にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん4歳。黒ちゃん4歳。常くん3歳。連くん1歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、91歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

姉妹関係

実家への想いは絶ちきれない…?

2024.3.22(金)

実家という概念。

わたしは嫁いだことがない。
結婚の経験がないわけではなく、婿養子を迎えたから。

40歳からの22年間は茨城県在住で、GWや盆暮れ正月には帰省していたけれど、実家に帰るという感覚ではなく、両親や長女に会いに行く…そんな気持ちだった。


「あーちゃん、あーちゃんの、もう一つの家には行かないの?」

「もう一つの家は、もうないのよ。あーちゃんの家はここだけになったの」

孫は古河時代に何度か遊びに来ていたので、また古河に遊びに行けると思っていたらしい。

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         茶箪笥の上の常くん

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           こちらは連くん


車で4~5分ほど離れた場所に、家を建てた次女夫婦。
次女親子(婿殿除きで)はちょくちょく遊びに来る。
遊びにと言うか…用事がなくても来る(笑)

次女にとってはこの家が実家になるけれど、つい最近まで(マナくんが生まれてからの4年間ほど)住んでいた家だし、建てた家がほぼご近所状態なので、実家と言うよりもわたし同様にもう一つの家感覚らしい。


何かのきっかけで「家に来ても寝る部屋はないからね」と、妹に言ったらしい。らしいと言うのは、記憶に無いから(T_T)
この言葉を、妹は「実家に来るな」と受け取ったらしく、かなりしつこく根に持っていた。

次女が結婚し、自分たちの家を建てるまではこの家に住まわせてもらうということになっていたので、妹夫婦が来たとしても気まずいのではないかという思いから言ったのではないか…。記憶に無いからなんとも言えないけれど(苦笑)

妹の娘も結婚し、実家ができた。
そう、妹夫婦の家が姪や甥の実家になった。


父が亡くなって、今年で15年。
最後に妹が帰省したのは、父の7回忌法要のときなので、かれこれ9年間来ていない(十三回忌のときはコロナ感染を危惧し来なかった)

妹の頭に中では、実家とはどのくらいの位置を占めているのだろう。
昭和以前の考えでは、嫁いだ家が実家になる…そんな時代だったけれど、これは令和の現代では通用しないだろうね(苦笑)

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     廊下で、猫ドアからこちらを窺っている連くん


母美代さんの、施設での様子については話してある。
「暖かくなる頃に面会に来てみては」と伝えたのが先月の24日。
あれから何も言って来ない。


今年のお盆には、美代さんの面会に来てくれるのだろうか。
次女親子が住んでいないのだから、寝る部屋がないとは言えない(苦笑)


若くして一人暮らしを始めた妹。
わたしから催促するのではなく、自発的に会いにきてくれることを願っているけれど、妹の気持ちが何処にあるのかが、わからない。


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姉妹は他人の始まり・・・? Ⅱ(姉妹とは)

2021.4.30(金)

あたしは二人姉妹の長女。妹のソノコとは3歳違い。

両親の子育ては昔風で、長女のあたしは跡取り娘。故に将来は婿取りをするのだと、幼い頃からマインドコントロールの如く言われていた。
そして、次女のソノコには何れは家を出て行くことになるのだと、遠まわしに聞かせていたようだった。

中学生か高校生だった頃か「お姉ちゃんはいいね、ずっとお父ちゃやお母ちゃと居られて」こんなことを言われた記憶がある。

「ずっと居られて」と言っていたソノコは、高校卒業後は県南の短大に進学し、家を出て行った。
卒業後も、家から通える職場だったにもかかわらず、アパートを借り一人暮らしを始めた。
当時は、あたしの結婚で、他人である義兄が居る家に居るのが嫌だったのだろう・・・そんな風に想っていたが。

ソノコが嫁ぐことが決まった時は、ウエディングドレスを決めるなど、ファッションに疎い美代さんではなく、あたしが付き添った。
式場や親せきを乗せるバスの手配・当日の流れなど、細かなことにも手を貸していた。
そして、嫁ぐ日には、「お姉ちゃん、お父ちゃとお母ちゃのことを頼みます」こんな殊勝なことを言っていた。

ソノコは夫の仕事の関係で、頼る人が誰も居ない埼玉県で暮らすことになり、両親の傍で暮らすあたしを羨むようになった。
その羨むことが、徐々に恨めしいに代わってきた。

「お姉ちゃんいいよね、お金の苦労も知らずにのほほんとしていられて」

月日は経ち、あたしも夫の仕事関係で茨城に越すことになり、その際言われたことは、

「これからは、関東同士仲良くやりましょうね」

あたしが実家を離れたことを、ソノコは歓迎していたようだった。

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次女夫婦が住むことになり、あたしの部屋はなくなった。
帰省時は田舎によくある座敷で寝ていた。

そう、次女の結婚前は、ソノコ親子が帰省したときは座敷と下座敷がソノコ御一行様の部屋として使われていたが、それができなくなったことで、あたしはソノコにとんでもないことを言ったらしい(記憶にございません・・・)

とんでもないこと・・・「あんたたちが来ても寝泊まりする部屋は無いよ」
この言葉をソノコは、「実家には来るな」と、受け取ったようだった。

来るなとは言っていない。見解の相違だが、言った方は憶えておらず、言われた方はいつまでも憶えているのが世の常?で、ソノコは悔しくて情けなくて、かなり長い間泣いて暮らしていたそうだ。

元々、帰省時のソノコはお客様状態で、美代さんも精一杯のことをしていたが、何故こんなにも妹に気を遣わなければならないのかと、気に病んだことがあった。
ソノコ曰く、

「年に一度くらいしか行かないのだから、おもてなしをしてくれてもいいじゃない!あんたには、おもてなしの心が欠けているのよ!!気遣いや配慮が足りないのよ!」

お・も・て・な・し・・・どこかで聞いたことがあるわね(笑)
毎回お客様面でやってきて、言いたいことを言って帰るソノコだったが、電話の向こうでは苛立っていた。

寝泊まりの件は、謝った。本心から言っているのかと訊かれ、一応「そうだよ」と。そして、この際だから言いたことがあるなら、なんでも聞くからと

「・・・今日の所はここまでにして置く」

この後は無言が続き、最後に一言。

「入所の件、お疲れ様でした」

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特養に入所する日もその前にも、美代さん宛てには電話をくれなかったソノコ。
義弟の両親は共に認知症で、母親が施設に入所する際泣いていたと、夫弟から聞かされていたらしい。
美代さんの様子はどうだったかと気に掛けての電話が、最終的にはあたしへの不満を爆発させる内容になっていた。

あたしに対しての鬱憤はそれはそれだが、母親への気遣いは無いのか。
確かに短期記憶はなくなっているけれど、一言くらい声を掛けてくれても良かったのではないか。

実家とは何だろう。
美代さんも、生家を恋しがる。

あたしが実家に帰省するのは、やはり跡取りとしての責任があるから。
遠く離れた茨城に住んでいても、美代さんが生きているうちは実家に対しての責任がある。
ソノコは、ソノコが実家に固執するのは何故だろう。

姉妹とは・・・何ぞや。


姉妹は他人の始まり・・・?

2021.4.29(木)

一昨日の27日、大阪に住む妹のソノコからライン電話が入りました。


美代さんとの同居が始まったのは17年の9月からで、その頃は要介護1で、外を歩く際は杖を使っていたが、自分の事はそれなりにできていた。
入浴も、頭と背中以外は自分で洗えていたし、パッド交換も一人でできていた。

記憶に関しても、今に比べてみると正常と想えるくらいだった。
第一、読み書きができていた。
そう、毎日日記をつけさせ、図書館から児童書を借りて来て読んでいた。

この頃の美代さんの就寝時間は午後9時~10時で、冬期間は自分で電気毛布のスイッチも入れられていた。
衣服に関しては、昔から洒落っ気のない人だったので、ハンガーに掛けた服を前から順に着るように教え、一人で着ることができていた。
歩行も、右手にミニじょうろを持ち、杖無しでベランダ栽培の野菜に、水やりをすることができていた。
本当にアルツなの・・・と、疑ったこともあったが、食事内容以外は今にしてみれば平和な時期だったと想う。

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     元気だったころの美代さん

15年に次女が結婚し、どこに住むかということになり、あたしの部屋だった2階の一室が空いていたので、畳をフローリングに換え娘夫婦の部屋とした。
次女の夫が住むことで、駐車スペースを確保しなければならず、美代さんには申し訳なかったが、裏の畑を潰した。その際、肥よくな土が勿体なく、花壇がある場所に一輪車を使い移し入れた。
美代さんは花より団子で、花壇は野菜用の畑に代わり、好きな野菜を植えていた。

ソノコに言われた。
美代さんが認知症になったのは、大好きだった野菜作りの畑を潰され、土いじりができなくなったからだと。
ソノコは、その際の土の移動のことは知らない。知らないままに、積もっていた鬱憤をあたしにぶつけてきた。

わが家には、家の裏以外にも車で10分ほどの所に畑があり、美代さんはセニアカーでその畑まで行き、土いじり・野菜作りを楽しんでいた。
ソノコは、畑のある場所を知ってはいたが、足を運んだことはない。一度たりとも畑仕事を手伝ったこともない。

あたしとソノコとの姉妹関係は、あまり良好とは言えない。
あたしも鬱憤はあるが、元をただせば両親の子育てから始まる。

長くなりますので、パートⅡにて。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と4にゃんズとの6人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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