にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん20歳。琴ちゃん5歳。黒(こく)ちゃん5歳。常くん5歳。連くん3歳。子猫の陽くん」「わたし、お洒落大好き前期高齢者」「母、92歳。認知症要介護5で、地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

生きるということ

老後の夢と希望? 半分は叶えられたかも…

2025.9.6(土)

亡き夫が言っていた。

「定年退職後は岩手に戻って犬猫屋敷を作る。畑に小屋を建てそこで飼う」


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異論はあった。
だって、世話をするのはわたしだってわかっていたから('A`|||)
でも、そういう夢があることで老後の楽しみが増えるのなら、それもいいのかもしれない。


夫の夢は、半分は叶っているのかも。
だって、猫は6にゃんにまで増えたもの。

別に、夫の意思を引き継いだというわけではなく、元来が動物好きということから今の状況になったんだと思っている。

犬が家族になることは未定(未定は予定で決定ではない)。
犬が苦手とか嫌いというわけではなく、これまでにも飼っていたことはあるけれど、ここまで増えたにゃんズの世話で手一杯というのが理由かな。

但しね、多頭飼育崩壊になるのだけは避けたいので、わたしたち母娘が賄える範囲でしか飼えない。


古河在住時、桐ちゃんと青くんだけだった頃は、ゴハンと水を沢山用意し、一泊の外泊をしたことはあった。
次女の結婚式で三泊四日で沖縄に行ったときは、さすがにそれは無理だったので、ペットホテルを利用した。

迎えに行った際には、桐ちゃんにスカンをされた。そう、あんた誰?みたいな顔をされた(苦笑)。
知らない場所で狭い空間に閉じ込められたことが、本にゃんにはとても苦痛だったのかもしれない。

今後、わたしたち母娘が一緒に外泊することがあるとして、その時には次女に来てもらいゴハンとお水、そしてトイレの掃除をお願いしようと考えている。

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夫が生きていたなら70歳。
桐ちゃんを迎え入れたとき、「パパにおいで」と、それこそねこっ可愛がりしていた。桐ちゃんに対してはいつもデレデレだった。
そんな夫は、桐ちゃんが弱って死んでいく姿を観ていられたのだろうか…。


動物を飼うということは、ハンパな気持ちではできない。
そのコの命を預かっているんだという、強い意志が必要だと思っている。


今生は一度限り。
宿命は変えられないけれど、運命は選べる。


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葬儀に関する考えは、家族の想いを優先するべき…?

2025.8.29(金)

最近ネットニュースで多く観るのは、葬儀の形態とお墓問題。

小さなお葬式が謳われようになって久しいけれど、最近では葬儀を行わない直送もあるんだとか。


30代の頃、両親と同じお墓に入るということが嫌で嫌で仕方がなかった。
それは特に美代さんからの干渉によるものが強く、この人とは同じ墓には絶対に入りたくない…同じ墓に入るくらいなら富士の樹海で野垂れ死にしたほうがまだまし…そんな風にまで考えていた。

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父は亡くなるずっと以前に墓所を購入していた。
それは菩提寺の裏手にある墓地の一画で、近くには一緒に購入したという父方の伯母のお墓も建っている。

79歳で亡くなった父だけれど、当時は表面的には健康だったので、こんなにも早く逝ってしまうとは…という想いが強かった。

墓を建立したのは美代さんで、葬儀が終わってから4ヶ月後のこと。
地元の石材店(わたしの同級生が営んでいた)に依頼し、新し物好きだった父のために横型のお洒落な墓を選んだ。


その後も美代さんからの干渉はあったけれど、今にして思えば父を亡くしたこによる寂しさの現れだったのではなかったかなと。


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認知症になった美代さんを古河に呼び、一緒に暮らすようになったのは2017年のこと。
好きではない(嫌いに近い)母親と暮らすのは言いようもない苦痛で、それが認知症ともなればなおさらのことだった。

認知症になってからも歩けるうちは墓参りを続けた美代さん。
その頃のわたしは、ここにいつかはわたしも入ることになるのかな…という漠然としたした思いがあった。


人生100年時代と言われている中で、美代さんは92歳。
食事量も減りガリガリに痩せ、もしも亡くなるのだとしたなら老衰となるのかな。

面会時、美代さんが可愛く思えることがある。
なんだかんだ言っても母親であることに変わりはなく、いつかはこの人と同じお墓に入るんだと思えるようになってきた。そしてそれが嫌ではなくなっている。

こんな風に気持ちが推移したのは、やはり離れて暮らしていた期間があったからではないかと。
干渉や束縛から逃れられたことで、美代さんに対する嫌悪も薄れていたんだと思う。

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父方の本家とは疎遠になっているので、仮に美代さんが死んだとしても知らせることはない。
美代さんには存命している弟妹が4人いるが、皆高齢になり、年齢順でということにはならないだろうし、行き届いている介護を受けている美代さんが一番長生きするかもしれない。

叔父・叔母たちの葬儀には、わたしが美代さんの名代として参列することになるのかもしれないが、それはあくまでも呼ばれたときの話。

小さなお葬式を希望しているわが家では、娘たちは家族葬でと言っているが、叔父叔母、そして従兄妹たちの考えはいかがなものか。


人は皆、いつかは死を迎える。
縁起でもないなどとは言わずに、自分のときのことも含め、少しずつでも話し合いをしておくべきではないかと考えている。


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お墓詣りでのお供え物は持ち帰ることが推奨されている

2025.8.24(日)Ⅱ

向かえ盆だった13日。
午前10時前にはお墓に着いた。
駐車スペースには車が何台か停まっていたけれど、満車ということはなくすんなりと駐車できた。

わが家のお墓には父と夫が眠っている。
眠っているという表現が正しいのかはわからないけれど、それでも間違ってはいないだろう…。

誰かが先にお参りしてくれたようで、線香の跡があった。そして、一口大のお菓子が一つ供えられていた。

お供え物に関しては、お参り後は持ち帰ることが推奨されている。それはカラスや野生動物に食い荒らされることを防ぐためにだ。
わたしは自分がお供えしたものは当然持ち帰った。そして、ポツンとあったあのお菓子も。

夜、仕事から帰宅した長女と一緒にお供えしたお菓子を食べた。故人にとってはそれが供養になることだと教えられていたから。
でも、誰が供えてくれたかわからないお菓子には手を出せなかった。そのお菓子はテーブルに置かれたままで、送り盆まで残っていた。

この場合、本当は食べたほうが良いのだろうけれど、どうしても口にすることができなかった。だって、なんだか恐かったから。てか、なぜ持ち帰ってくれなかったのだろう。

お参りをしてもらえたことは線香でわかった。
敢えて残していく理由がないはずなのに、何故?

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2人の初盆を迎えるとき、菩提寺にてそのとき初盆を迎える他のご家族との合同供養があった。
その際住職から言われたことは、お供え物は必ず持ち帰るようにと。

他のお寺の考えはわたしにはわからない。だから同じようにこのお寺の考えを知らない人は置いて行くのかもしれない。でもね、それにしてもたった一つはないでしょ(苦笑)。


八幡平市は自然が豊富で、タヌキやキツネ、カモシカも出る。
最近は熊出没の放送も流れているから、なおのこと残してはおけない。


どこのどなたかはわからないけれど、仮に来年もお参りに来てくださるのであれば、できることなら持ち帰ってもらうことを願う。

周知って、意外と難しいことなんだね。


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歴史的瞬間? 初めての1歩はばぁばの目の前で

2025.7.19(土)

這えば立て立てば歩めの親心。

孫のナオくん、1歳1ヶ月。
ずり這いの期間が長く、なかなかハイハイをしなかった。

このままハイハイをせずに育つのかな~て、心配していたけれど、11ヶ月辺りでやっとハイハイをしだした。

ハイハイが始まったと思ったら、今度は急につかまり立ちができるようになり、なんだかいきなりね(笑)。

つかまり立ちができるようになると伝い歩きもお手の物。
でも、伝い歩きはするけど壁から手を離すことはできず、もうちょっとなのにな~と、ヤキモキ(苦笑)。

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1週間前には壁から手を離すとコテンと座ってしまっていたのが、昨日は壁から手を離し不安定ながらもしっかりと立つことができた。
と、摺り足だったけれど、いきなり歩が進んだ。

「ナオくん歩けた~!すごーい」

この歴史的瞬間を観たのはわたしだけ.。゚+.(・∀・)゚+.゚

近くにいたお兄ちゃんにも見せたくて、おいでおいでをするようにと頼んだ。ナオくんはお兄ちゃんをめがけ更に歩を進ませ、お兄ちゃんの手前でコテン(惜しい、あと1歩)。
とっても嬉しくて、家族ラインへ「ナオくん、歩いたよ~」と。

仕事を終え帰宅した次女はラインを観てはいなかったようで、歩いたんだよ~と伝えると「え~!かかにもみせて~」と(笑)。

一度歩き出すとコツをつかんだかのように、歩が進む。
上体が少し揺らめいてはいたけど、ゆっくりと1歩、また1歩と。
後ろから動画を撮っていた次女は、「もう1回歩いて~」と(笑)。


保育園の同い年の子たちはスタスタと歩いており、ナオくんが歩き出すのはいつになるのかな~と、ちょっとだけ心配していたけれど、これでもう安心(^∀^)

他の子に比べ発達が遅いとなると、親はどうしても不安になるけれど、次女は「そのうち歩くでしょ」と楽観視していた。
でもいざ歩いたとなると喜びはひとしおのようで、「歩いてみせて~」を連発(笑)。


お兄ちゃんは誕生日前に歩いていたので、1歳の誕生日には一升餅ならぬ一升パンを背負わせた。

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これのパンバージョンで。

ナオくんがもう少し安定した歩きになったら、お兄ちゃんのときのように一升パンを背負わせるのかな?

ナオくん、初めての1歩おめでとう。


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故人の誕生日を祝うことはいけないこと?

2025.5.27(火)

「明日って、おとうの誕生日だよね?いくつになるんだ?」

「そう、70歳だよ」

「ひえ~、70か!おじいちゃんだね・・・」

昨夜のこと。
普段は父親の話などしない長女がいきなり切り出した。


「53歳で死んだんだっけ?」

「そう、2ヶ月後には54歳になってた」


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どんな風に老いていたんだろ・・・。
遺伝的には頭髪は薄くはなっていないはずだから、白髪がチラホラ出ていたのかな。
子どもは男の子を熱望していたから、生きていたなら孫のマナくん・ナオくんを溺愛していたかもしれない。

酒もたばこも教えるんだ。なんて言ってたけど、今の時代たばこを吸う人は少ないし、お酒は体質もあるから飲めるかどうかもわからない。
それに、孫たちが成人するまで生きていられるかもわからない(苦笑)。


亡くなって、16年が過ぎた。
最初の2~3年は、毎日泣いていた。
結構苦労を掛けられたけれど、いなくなってしまうとそんなことも忘れてしまい、寂しさだけが増す。
人は亡くなると美化されるというけれど、夫もそんな感じだった(苦笑)。

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お酒が好きな人だったので、命日や誕生日にはビールを供えてきた。
今日もお仏壇にはビールを置いている。


あなたがいてくれたから、わたしは母親にもおばあちゃんにもなれた。
70歳、おめでとう。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と5にゃんズとの7人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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