にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん16歳、青(せい)くん13歳」「あたし。お洒落大好きアラ還暦」「母。86歳、方言と訛り×軽度認知症」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

生きるということ

夫が亡くなった、10年前の記憶を辿る。

霊柩車で8時間(憶えていないが、東北道岩槻インターから100キロ平均走行、途中休憩を入れるとたぶんこのくらいの時間)

葬儀屋さんの運転手は2人。(交替での運転の為)
遺体安置は後部席。当然寒い。
後部スライドドアの横に小さな椅子があり、そこにポツンと座る。横の棺の中には53歳胆管細胞がんで亡くなった夫。

運転席と助手席は暖房が効くが、後部座席はブルブル震えるほど寒かった。

途中、トイレ休憩が2回ほどあったような・・・。
トイレから戻ってくると、葬儀屋さんから、缶コーヒーを頂いた。
「うしろは寒いですよね・・・でもこればかりは仕方のないことですので」

気遣いは嬉しかった。


夫が亡くなったのは、2009年3月28日 午後11時13分。

余命宣告を受けていたので、亡くなるのなら岩手で。との夫の気持ちを尊重し、事前に岩手の病院への転院手続き・民間の救急車の手配、そして引越しの準備を全て終えた日でした。

個室に移り、付添い用の簡易ベッドを借り、ロングドライブに備えて早めに休んだ方がいいね。などと、車の移動のために岩手から来てもらったむすめ達と話したことを憶えています。

亡くなる2~3日前から、虚ろな目をしベッドの上で、起上がる・横になる、という動作の繰り返しをしていた夫。
たぶん、無意識で病気がさせていたのだと思います。
それでも、明日は岩手に向かうのだいうことは解っていたようで、
「引越しの物は片付いたのか・・・?」

と、自分が何もできない状態で、申し訳ないという気持ちも出ていました。

急変。と言うのでしょう。
いきなり呼吸が荒くなり、すぐに意識がなくなりました。
慌てて看護師を呼ぶと、心臓マッサージが始まったのです。

夫の名前を呼び、傍にいることしかできませんでした。

「手をさすってあげてください。名前を呼んであげてください。伝わりますから!」

看護師から言われた通りに手をさすり、何度も何度も名前を呼んでいたあたしの横で、むすめ達も「おとぅ、おとぅ」呼び続けていました。

心臓マッサージを始めて、どのくらいの刻が過ぎたのか分かりませんでしたが、「ガッ!」という声にもならないような声と、大きく見開いた目で上半身が上がり、バタンとベッドに落ちたのが最期だったように思います。

看護師の手が止まり、夜勤の医師が脈をとり黙って見ているだけ・・・。
でも、諦めきれないあたしは、医師に対してもう少し心マを続けてほしいとの懇願に、元々心臓が弱っての急変なので、これ以上は意味がありませんとの応え。どうすることもできませんでした。

瞳孔と時計確認をし、
「午後11時13分。御臨終です」

余命宣告されたとき、一応の覚悟はしていたしたつもりでしたが、あまりにもあっけない別れでした。


10年の歳月が過ぎた今でも、はっきりと憶えていること。
その夜、夫の口から出た一言。
「俺は死ぬとき苦しむのかな・・・」

「そんなこと神様しかわからないでしょ・・・」

まさか、この会話の後に亡くなるとは夢にも思ってもいなかったので、こんな素っ気ない返事をしてしまったあたしです。

嘘でも、「だ丈夫だよ」と、どうして言えなかったのか・・・。
後悔しています。


人によっては、全てのことが頭の中に残っている。と、言える方もいるでしょう。
あたしには・・・断片的な記憶しか残っていません。

そんな記憶の中での最大の後悔が、先の会話です。


人は、必ず亡くなります。
それがいつであるかは、判りません。

あたしは、母美代さんを看取る覚悟はしています。
まぁ、それもいつになるか判りませんし、もしかしたらあたしの方が先かもしれないのですが・・・。

この世に、悔いなき人生を送られている方が、どれほどいらっしゃるのか定かではありませんが、
なるべくなら、後悔のない日々を送りたいと思っている、あたしです。

お読み頂き、ありがとうございました。


終焉は「家」で・・・。母の想い。

昨日の朝、
母美代さんの自室から話し声が聞こえてきた。

洗濯機を廻していたので、誰とどんな内容なのかは聞こえてこず、まぁいつものヨッコさんかな・・・くらいに思っていた。

お昼頃、朝の電話は誰だったのかと問うた。
美代さんは、
「は?オレ・・・誰がど電話したってが?誰ど話したってよ?」

「洗濯機の音で良くは聞こえなかったけど、あなたの話し声は聞こえたよ」

3時間ほどで誰と、どんな内容だったかも忘れる。
こんなものなの・・・。


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2時過ぎ、
「あたし、3時半から美容室だから留守にするよ」

「そが、わがった」

いざ出かける支度をしていると、
どごさが行ぐのが?」(どこかに)

「エッ、美容室に行くって言ったよ。あなた、解ったって言ったよね?」

「・・・おべでね(憶えていない)

聞こえているが、聞いてはいない・・・のでしょう。
要するに、頭に入っていない・・・。

12歳下の妹「ヨッコさん」との内容は、だいたいが昔話。
ヨッコさんの口調も面白おかしく話してくれるので、母も大笑いで楽しそうだが、昨日の誰からの電話で内容も憶えていないとなると、大事な内容であったらどうする?ということになる。

ヨッコさんもそうだが、美代さんの認知症を叔母たちはどこまで理解しているのか?
年を取ればみんなそんなもの。誰でも一緒・・・。くらいの考えなのだろうか?


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10年前、父と夫を立て続けに亡くし、父方の本家長男から手厚い嫌がらせを受けている我が家。
3年前に父方の伯父がこの世を去った。本家を含め、これで縁も切れたと思っている。
残っているのは母方の叔父・叔母たち。
順番でいけば母が最初に逝くことになるが、美代さんを観ているとそうとも思えない。
美代さんは、家で死にたい。自分の遺体を姉妹たちに見てもらいたい。と言う。
泣き崩れる姉妹の姿を自分は空の上から見物でもする。ということなのか?
そのとき、何人の兄弟姉妹が残っているのだろう。

10年前の葬儀の煩わしさを考えると、こじんまりとした家族葬でもいいのではないか・・・。そんな風にも思ってしまう。


そう言えば、夫も亡くなる前は家(岩手)に帰りたいと言っていた。
郷愁なのだろうか、あんなに自由奔放な生き方をしていた夫でさえも、亡くなるときは「家」と言う。

あたしも、いつかは美代さんや夫のような心境になるときがくるのだろうか・・・。

母美代さん。
「デイは楽しい」

そう言って出かけて行った。


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阪神・淡路大震災 生きるということ

記憶とは、かくもあやふやなもので。


阪神・淡路大震災から、24年。


ひとは何を想い何を考え生きてきたのであろうか。


愛するものを失った瞬間(とき)この世の絶望がはじまる。


でも、生きなければ。


それでも、生きなければ。


あたしは生きている。


あなたを失っても生きている。


命はひとつ、たったひとつ。


その、たったひとつの命を、大切にたいせつに、


これからも、生きていく。


いつか、あなたの生きる世界で巡り逢う日まで。


この世界で、ただひたすらに・・・。


あたしは、生きていく。


平成天皇、85歳の誕生日(2018年12月23日)

12月23日(日)

平成天皇、85歳の誕生日。


運命と宿命。

運命は変えられるが、宿命は変えられないと何方かの言葉にありました。


皇室に生を受け、絶対的な環境の中で今上天皇の担われてきたことは多大であると思います。

太平洋戦争以前までは「神」とあがめられた時代を経て、皇室の在り様も変わってきたように思います。

いついかなる時でも、象徴天皇として皇后美智子様と共に、常に国民に寄り添われていたように感じます。


それは誕生日を前に記者会見された、陛下御自身のお言葉にもありました。

陛下のお言葉の中で、

~平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに 
                
心から安堵しています~


改めて気付かされました。

日本という国は、徳川の鎖国時代を経て、明治の日清・日露戦争。

大正時代は第一次世界大戦の勝利を受けて、軍備を増強せざるを得なかった時代。

そして昭和。太平洋戦争に突入。


平和を心から願い、国民に寄り添われた30年。

一国民として、心から感謝を申し上げたいと思っています。


ドラマ「大恋愛」から感じた、しあわせとは何か

わが家ではドラマをONタイムで観ることはない。
一緒に観ている母美代さんからの「何でだ?どうしてだ?」攻撃があり、応えているうちに見逃してしまうから。

昨日、3日遅れで録画しておいた最終回を観た。
前回の、やっとのことで書いたであろう置手紙のラストでも泣いた。
あの、揺れる字は主人公「尚」の素直な気持ちだったのだろう。

そして最終回。
始まりからドキドキ。

泣いた・・・泣いた・・・泣いた。
しっかりメイクがほぼ落ちた。映画館でなくてよかった・・・。


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尚の気持ち・・・わかる。
あたしも、尚の立場となったらたぶん姿を消す。
でもそれは、壊れていく自分の姿を見せたくないからではなく、面倒を掛けたくないから。
母を観ていると一層強く思う。

なりたくてなった病気ではないことは重々分かってはいる。それでも尚の夫、シンジのように献身的にはなれないだろう。
「全てを受け入れる。何があっても一緒にいる」
あたしは言えない。軽度の今の状態でさえそう思うのだから、この先のことはもっとわからない。
シンジのようにいつも「笑顔」を絶やさなかったら、母もしあわせに違いないが、あたしには難しい。

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母が認知症になるまでは、あまり深く考えたこともなかった。
父も認知症だったが、「要支援2」の状態で、当時の母も深刻には思っていなかったようだったし、「そったな病気、エイッヤッて治すんだ」などと平気で父に投げかけていた。
そんな母に父を任せっぱなしにしていた罰が、今あたしに報いとなっているのだろうか。

母は自由だ。「忘れだ」の一言で済む。「何で忘れるんだがなぁ」と言いながらも、深く考えることはない。

尚とシンジのように、お互いを信頼しきっている関係はどのようにして生まれるのか。
そもそも母はあたしを信頼しているのか?
「おめがいねどいぎでげね」(お前がいないと生きていけない)と言われる。

85年の母の人生の中で、認知症であったのは父のみ。その父も母に対して面倒を掛けるということもなく、浴室での突然死。(心不全)

父と同じ病気となって、当時の父の記憶がなくなりつつある中で、母のこれからの「しあわせ」は、たぶんあたし次第なのだろう。

ケアマネさんの言う、「お互いが笑顔でいる方が楽しいじゃないですか」を実践するもしないもあたし次第。
記憶がなくなる母に「笑顔」でいてもらうことが、「しあわせ」

母の「しあわせ」・・・それはご飯を食べること。
隠れてお菓子を食べている母に、ダイエットは必要なのか。

あたしの独りよがり・・・そんな気もする。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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