にゃんズの母

「老猫。桐ちゃん17歳、青(せい)くん15歳」「あたし。お洒落大好き還暦」「母。87歳、方言と訛り×認知症要介護1」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

父の想い出

父の想い出と、噛めない料理

亡き父は料理男子だった。
あたしと妹のソノコは、父の手料理で育った。
そう言っても過言ではない。

亡き父は花男子だった。
我が家の庭は(実家)、父が植えた数々の色とりどりの花で埋め尽くされていた。
手作りの垣根の扉から花壇に入ると、そこには小径が続き美しい花たちが
「観て、キレイでしょ」と、語り掛けてくるような想いを抱かせてくれるような庭だった。

その花たちの中で、一番好きだったのが「グラジオラス」
最近は、あまり見かけることがないが、子どもの頃は一般的な花だったように思う。

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小学5年生の夏休み、宿題で絵を描いた。
勿論水彩画だが、あたしは水で薄めることなく画用紙に塗っていた。
いや、薄めてはいたが水彩画特有のぼかしのような描き方ではなく、色の重ね塗りでおおよそ水彩画には程遠いような絵になっていた。

グラジオラスを1本。
担任は何も言わなかったが、廊下に張り出されたその絵を観た6年生は、

「これ、絵具?何かギトギトした絵だね」

この言葉は50年近く経った今でも忘れない。
認知症の仲間入り?
いいや、違う。
あたしは、図画工作は得意だった。
勿論絵を描くことも。
父が育てたグラジオラスの絵を批判?された・・・。

今にして思えば、小学生の素朴な感想だったのだろうが、一生懸命に描いた絵を悪く言われたという想いは、心の片隅にずっと残っていることも確かなこと。

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あたしの料理の基本は亡き父。
何処の家庭の母親でも、普通に作ってくれるような料理がテーブルに並んでいたが、父はアレンジが好きな人だったので、外食で食べた料理を自分なりに工夫して並べてくれることもあった。
当時の一般家庭にはない食材を使った料理。
そのまま作ることは難しいが、手に入らないものは無理をすることなく他の食材で賄っていた。そんな記憶がある。

夫が亡くなり一人暮らしになり、料理をすることもほとんどなくなっていた。
毎日、豆腐とサラダが中心で、たまに魚料理や、夫が好きだったもつ煮込みをあたし流に調理することもあったが。

母美代さんと暮らし始めて、あたしの手料理は開花された・・・はずなのだが、そんな甘いものではない。
好き嫌いがあり、尚且つ総入れ歯で硬い物やイカ・タコのように噛み切れない物は常にフードプロセッサーの出番。
料理は見た目もあるが、みじん切り・フードプロセッサーではそんなものは跡形もなくなってしまう。

「これは、なんだ?」

そうよね。
何を食べているかも判らないよね。
だって、仕方ないじゃない。そのまま出したら絶対言うよね!

「かだくて食べれね」

食べてくれる人がいるから料理の腕も弾むはずなのに、食べてくれる相手が料理音痴の母。
正直、作る気力も失せる。
それでも食べさせない訳にはいかない。

今夜はお刺身。
プロを使わずに済む。
絶対言うよ!

「おいしい~」

だって、噛めるんだものね。

美代さんが美味しいと言う料理。
それは味ではなく、あくまでも自分の歯(入歯)で噛める料理。

噛めないのは、歯の大切さを学ばなかったから・・・。
そして思う。
食べられたら、なんでもいいよね・・・。


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誕生日に亡くなった、父の命日 老母は思い出せる?

今日2月1日は、父の命日です。
そして、90歳の誕生日でもあります。

11年前の今日、次女からの突然の電話。
詳しくはこちら「亡き父を想うⅠ ~突然の訃報~」
お読みくださいましたら幸いです。
http://aya1205k.xyz/archives/10001874.html

当時の父は軽度認知症を発症していました。
要支援1・・・2、情けないのですが確かな記憶はないのです。
デイサービスへ行くように勧めても、口下手な父は周りの方々との会話に
不安があり、母と一緒でなければ行かないと、言っていたそうです。
そんな父に対して、介護の知識も情報もない母は、今のあたしよりも輪を
かけて辛く当たっていたようです。

離れて暮らしていたあたしは母任せでした。
それでも、介護の本を買い大事なところに付箋をつけて渡しましたが、
本を読む習慣などがない母には「豚に真珠・猫に小判」だったようで、
実践することなく、
「そったな病気、エイッヤッて、気合で治すんだ」
などと、平気で投げかけていたようです。

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最近、思うことがあります。
それは、
父は、自分の意思で逝ったのではないか・・・。


母美代さんは、家庭的なタイプではありません。
両親はもとより、舅・姑の介護経験もないのです。
その母に、今後の面倒・介護ができるのか・・・。
妻に面倒は掛けさせたくない・自分も辛い。
もしかしたら、そんな想いがあったのかもしれません。

誕生日のその日を、とても有意義に過ごした父でした。
孫むすめ達との、外食。
鍋焼きうどんを「美味しい」と、食べていたそうです。

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今朝の母美代さん。
いつものように日付と曜日確認です。
「今日は2月1日だよ。何の日だっけ?」

「ん?なにがあるっけが・・・」

父の誕生日、そして命日であることを、すっかり忘れていました。
暫くして、もう一度訊いてみました。
「2月1日だよ。判らない?」

「わがらね」

この後、何の日だ?という問いかけもありませんでした。

・・・じいちゃん、あの世と言うところはどんなところ?美代さんを迎えに来ることはないの?・・・

この世は修行の場。という仏教の教えがあるとかないとか。
美代さんには、まだまだ修行が必要なのかしら。
同時にそれは、あたしにも修業が必要ということになるのかも。
デイケアから帰ってきたら、命日であることを教えます。

甘いものが大好きだった父。
お仏壇には、お饅頭と果物をお供えました。


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運転免許証の自主返納・・・いつかは自分も

高齢者の事故が後を絶たないですね。

子どもの頃、我が家には車がありませんでした。
遠出の際は、列車を利用していました。

よその家には車があり、なぜうちには車がないの?
幼心に思っていました。

そう、父は免許を持っていなかったのです。


役場職員として、用務の仕事をしていた父でしたが、小学校への転属で徒歩通勤ができなくなり40歳後半で初めて免許に挑戦し、原付の免許を取得したのです。

それまでは徒歩や自転車でしたが、原付取得で行動範囲も広くなり、任せてもらえる仕事の内容も変わっていったようでした。

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定年後は、田んぼや畑に行く際は原付をフル活用していました。
我が家の畑は、自宅から3~4キロ、田んぼに至っては7~8キロ近くあったので、原付様さまだったようです(母は、自転車でしたが)

75~6歳のときだったと思います。
田んぼの帰り道、後ろから来た車との衝突事故に遭いました。
手の指の脱臼と、脳挫傷。
幸い、命に別状はないとの診断でしたが、娘からの連絡の際は、心臓が止まるのではないかと思うほど驚きました。

この時の脳の検査で、小さな梗塞がいくつかあるようだとの指摘を受けたのですが、それまでの父には脳梗塞の症状などは一切見られず、元気そのものでした。

細い農道走行で、車の往来もなく父は真ん中辺りを走っていたらしいのです。後ろから車が気たことを察した父は左に避けようとしたらしいのですが、その車は、何を思ったのか父の左側を追い越そうとしたようで、ドン・ガシャン!となってしまったらしいのです。

このとき、父は確かに左に寄ったと言っていましたが、相手側の運転手は父が右側に寄ったと言い、仕方なく左を追い越すことになったのだ言っていたそうです。(警察からの話)

当事者同士の意見の食い違いがあったものの、安全確認をせず、無理な追い越しをしようとした車が全面的に悪いということになりました。

退院後、父を交えて家族会議を開き、父の免許証の返納についてを話し合いました。
最初は渋っていた父でしたが、孫むすめ達からの強い勧めで返納に納得してくれたのです。

免許証は、近くの交番に持って行きました。
そのまま返すのかと思っていましたが、ビス止めのような工具?で免許証に穴を開けられ、持ち帰りできたのです。
そして、原付は近くのサイクルショップに引き取ってもらいました。

それ以後、父は電動アシスト自転車に乗るようになり、変わらず畑・田んぼ通いをしていましたが、あの事故のときには、もしかしたらですが、認知症になりかけていたのではないか・・・後になってからそう思うようになり、その後の検査で軽度認知症を発症していることが判明しました。

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        田んぼ道のイメージです

都会と違い地方では、車は足代わりの必需品。
免許の返納は、一大決心が要ります。
でも、命には代えがたいとも思うのです。

今回起きている事故は都会でのことのようですが、車・人が多ければ事故の被害も大きくなると思われます。

自分も、いつの日か返納を考える年齢になることは間違いないのですが、
それまでは細心の注意を払っての運転を心掛けます。

ただ、貰い事故と言うものもあります。
どんなに安全運転・安全確認をしていても、自分ではどうしようもないときもあります。

くれぐれも安全確認・スピードは控えめ安全運転をお願いしたいものです。



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亡き父の命日と誕生日。人生を充実させるコツとは・・・?

今日2月1日は、10年前に亡くなった父の誕生日。そして命日です。

父は、酒・たばこをやることもなく、甘いものが大好きで、特にあんこ餅が好きでしたので、仏壇に供えました。

実家には立派な仏壇があります。新し物好きな父のために母が選んだ現代仏壇ですが、さすがに、ここに持って来ることは出来ませんでしたので、夫用の仏壇に写真を立てています。

79歳の誕生日。朝から元気に過ごしていた父ですが、夜、浴槽の中で静かに旅立ちました。
詳しいことはこちらに記しておりますので、宜しかったらお入りください。

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過ぎてしまえばの10年ですが、まぁ色いろなことがありました。
それは、あたしだけではなく、お読み頂いている皆様にも言えることだと思います。

友人が申しておりました。
人は年齢を重ねると、時間が経つのが早く感じられるそうですが、それは、ときめくことがなくなっているからと・・・。ときめきを持って生きている人は充実しているので、早いとは感じないそうです。

あたしのこの10年。
ときめくこと、あったかしら・・・?

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人生80年?85年?
折り返しはとうに過ぎていますし、85年として、残り30年にも満たない訳で、何かしらのときめきを持って生きなければ、坂道を転がるどころか、ワープをしてしまいそうです。

母美代さんのまだらボケの介護の中で、どんなときめきがあるのか・・・。

あたしのモットーは「お洒落」
オシャレとおしゃれ心を「ときめき」として忘れないように生きたいです。


PS
父も、とってもお洒落な人でした。


亡き父を想うⅢ ~親父の味~ 「好きこそ物の上手なれ」

今日のことわざは、「好きこそ物の上手なれ」です。
          □■□■□■□■□

以前、おふくろの味を載せたことがありますが。今回は、父の料理ついてを記します。

父はとても料理好きで、彩りや工夫も上手な人でした。
(母娘関係Ⅰを参照ください、こちらからどうぞ)

昨夜の晩ご飯、八宝菜(白菜だけがあればすぐできる)を作ったのですが、そういえば、父がよーく作っていたなぁって思い出しました。

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        (イメージです)

家族で外食をした際などに、美味しかった料理は家で自己流にアレンジして食卓に並べてくれました。
「中華飯」と称して、昔ですから具材はさほどはありませんでしたが、白菜・にんじん・ハム(肉の代わり)などが入っていたように記憶しています。あんかけなので、のど越しも良かったです。
わが家は肉は食べない家庭でした。何故か、肉は体に悪いとの両親の思い込みで、食卓に肉料理が並ぶことは年に数回もなかったのです。

話が少しズレますが、あたしの肉の脂身が嫌いな理由がそこにあります。
保育園の給食のカレー。じゃが芋だと思い口の中へ。「むにゅ・・・」
何とも言えない食感。元々肉に対して免疫がないのに、あの食感で更に肉嫌いに。トラウマですね。
失礼。現在は少しの脂身であれば食べられます。

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父が得意だった料理を並べてみます。

【大学芋】(もどき)
水あめの代わりに水溶き片栗粉を使用。美味しかったですよ。

【オムライス】
ケチャップで味付けされたチャーハンを、型の中へ入れ皿へ。その上に卵焼きを載せてケチャップ。

【太巻き寿司】
かんぴょう・卵焼き・きゅうり・桜でんぶが入っていました。
運動会の定番でした。(母の手作りの記憶は無しです)

【ちらし寿司】
当時のわが家のちらしは生もの無し。ご飯の上に桜でんぶ・シイタケと油揚げ・きゅうりと卵焼きの千切り。そして刻み海苔。
シイタケと油揚げの甘辛さは絶妙で、それだけでも十分おかずになってました。
これはご馳走で、誕生日や記念日などにリクエストしていました。

【フルーツサラダ】
こう言うと聞こえがいいのですが、中身はリンゴとバナナ。
5ミリくらいにカットし、マヨネーズで和えます。40年以上も前に果物をサラダに変身させた父。good job です。

あたしは、これキウイフルーツなどを加えています。
因みにマヨネーズは万能調味料です。ワサビ・からし・七味唐辛子・生姜・もちろん醤油。なんでも混ぜられます。
(ピュアセレクトマヨ、コクうま65%カロリーカット使用)

料理ではありませんが、
【お正月用の大根なます】
おおぶり大根3本ほどと人参。床にまな板を設え気合を入れて線切に。大きめボウルに山盛りになるほど作ってました。好きでしたねぇ。
大根なますは、母美代さんの好物でもあります。上記の記憶は薄っすらなのですが、この大根なますのことは、しっかりと記憶に残っているようです。
今はあたしの仕事です。酢が苦手な方は干し柿を刻んで入れることをオススメします。とてもまろやかになり一層美味しいですよ。

因みに、腕はパンパンになります(笑)

思い出しました。
食卓に肉が並ばなかったのは、両親の思い込みもありますが、近所に肉屋さんが無く逆に魚屋さんがあり、いつでも新鮮な魚が食べられたことが大きかったのだと思います。

あたしや神戸に住む妹は、自分の家がよそとは違うことを薄々感じてはいましたが、父の作る料理を嫌いに思うことはなく、彩りがよくいつも美味しい料理が大好きでした。

ありふれた家庭料理だったと思います。それでも、父の「美味しく食べてもらいたい」の心のこもった料理でした。

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~今日のことわざ~

『好きこそ物の上手なれ』

好きなことは、天分があるかあであろうが、自ら進んで工夫したり、また飽きずに勉強するもので、自然に上手になるもの。芸事などは殊にはっきりしていて、いやいややったのでは上達するものではない。また碁や将棋など、下手の横好きというのも少なくはないが、これは好きでも天分がないからであろう。

(日東書院発刊 ことわざ辞典より)

好きこそものの上手なれとはよく言ったものですね。
料理嫌いな母と上手くいったのは、お互いの領域を侵さなかったから?
でしょうか。

・・・母の領域って、何だったかしら・・・


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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