にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん5歳。黒(こく)ちゃん4歳。常くん4歳。連くん2歳」「わたし、お洒落大好き前期高齢者」「母、92歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

父の想い出

25年前の電子レンジ 古いけれどちゃんと動いてる

2025.6.15(日)

30年近く使ってきたボイラー。
着火がうまくいかなかったり途中で止まってしまったりと、不具合が起きていた。
先月新しいボイラーを設置していただき、今のところは順調に動いてくれている(保証期間は1年だと)。


電化製品にかかわらず、昔作られた機器類は壊れにくいようだ。
今使っている電子レンジは、25年前に茨城に引っ越す際に亡き父が買ってくれたもの。
この間一度も不調になったことはなく、とても元気?に動いてくれている。

25年…四半世紀だよ。すごいね~。

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世の中日進月歩で、毎年機能満載の新商品が売り出されているけれど、購入者はそれらを使いこなしているのだろうか?
わたしはたぶんだけれど、世の主婦(主夫)ほどには使いこなしていないのかもしれない。

この古いタイプでも、それなりの機能はついている。
初めの頃は色々と使ってみた。

特に解凍機能を使うことが多かったけれど、ある日ふと気づいた。
解凍を押さなくても、あたためでチンしたほうが早くね…?て。

トースト機能もなんだか上手くいかず、このレンジではイマイチ。
こうなったらオーブントースターを買ったほうが早い?てことで、5千円台の物を購入。


電子レンジで各種調理ができるタイプもある。
そう、長女がそのタイプを買い、初めは物珍しくて調理をしてみたらしいけれど、いつしか使うのはあたため機能だけになったと(笑)。

あっても使うことのない機能。
妹夫婦が家を建て引っ越す際には、少しでも料理の時短になればとその電子レンジは妹に持っててもらい、自分はあたため機能だけの安いタイプを購入(苦笑)。


茨城を引き払い実家に戻ったわたし。
わたしが使っていた電子レンジのほうが年式が古かったので、長女が買ったものはこれが壊れたら使おうということにし、現在に至っている。

大事に使えばまだまだ持ちそうなので、と言うか、特に大事に使っているという意識はないけれど、頻度としてはよそ様のお宅よりも少ないのかもね。

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もうすぐ1歳のナオくん、お兄ちゃんのスマホで「もしもし」かな?


あの世とやらで、まだ使っているのか!?て、父は驚いている?それとも電子レンジを買ったという記憶がない?

まぁどちらにしても、わたしは覚えているからね。

じっちゃん(父のこと)ありがとね。
ボイラーはダメになったけど、電子レンジはもうしばらくは大丈夫そうだよ。


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今年初のタラの芽 山菜採りが懐かしい

2025.5.13(火)

初物を食べると75日長生きできる・・・だったかな。

昨日、娘たちは日帰り温泉へ行って来た。
帰宅後に「はい」と渡された物。

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今年初めてのタラの芽。天ぷらにして食べた。


タラの木は、わが家の裏山にもいくらかは生えているけれど、収穫時期を逸してしまい気づけば芽ではなく葉っぱ状態に。

この裏山だけれど、持ち主が誰なのかをわたしは知らない。
そういえば2週間くらい前に軽トラが止まっていたので、もしかしたら山の持ち主だったのかな?でも、タラの芽を見つけた通りすがりの人だったの、か~もしれない。


娘たちが子どもだった頃は、少し遠出をしてタラの芽採りをしていた。それは遠足気分というかハイキング気分というか、木を見つけると「あった~」と娘たちも楽しそうだった。

但し、タラの木にはトゲがある。
気を付けないとケガをしてしまうこともあるので、娘たちには触らさせないようにしていた。


古河に引っ越してからはタラの芽を食べる機会も減り、スーパーで見つけたときはとても懐かしく感じていた。そして、もちろん買っていた。

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ご近所の枝垂桜。葉っぱが増えてそろそろ終わりね。


春は山菜が豊富で、亡き父が元気だった頃は、テーブルには山菜料理がけっこう並んでいた。

特に重宝したのは行者ニンニク。
父は几帳面だったので、採ったものはその場で長さを揃え、輪ゴムできれいに括り持ち帰っていた。

行者ニンニクは生でもイケる。
ある程度の長さに切り、ビン詰めにし生醤油で寝かせる。
ニンニクのエキスが出た醤油は、炒め物の調味料には最適だった。


亡き夫も山菜採りは好きだったので、生きていたなら一緒に出かけられたはず。ま、わたしの腰次第かもしれないけれどね(苦笑)。


今日の八幡平市は、日中の最高気温が20℃超えの予報が出ている。
ずっと寒かったので、やっとだよ~て、感じ。
わたしの坐骨神経痛もかなり改善されてきているので、そろそろウォーキングの再開ね。


山菜採りは好きな人にはとても楽しいことだけれど、くれぐれも熊の出没にはご用心。
命あっての物種ですヮ。


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寒い時期の葬儀・回忌法要を思う 生きている人を優先する?

2023.2.1(水)

12分の1が終わり、今日から2月。
年が明けたんだぁ・・・と思ったら、もうひと月が終わってしまった。
若い頃は一日がとても長く感じたけれど、年を重ねてからは、過ぎ行く日がとても早く感じるようになりましたヮ(苦笑)

14年前の今日、父が亡くなっています。79歳の誕生日でした。
北国の冬の葬儀は過酷です。
マイナス気温の中での葬儀は、避けられるのであれば避けたい・・・などと罰当たりなことを思ってしまいます(苦笑)

先日の叔父の葬儀ですが、予定では納骨まで済ませるはずだったと。しかし、和尚様から「納骨はもう少し暖かくなってからにしよう」と言われたそうです。
従兄弟たちはその日に全てを終わらせたいと思っていたらしいのですが、和尚様から言われたのでは致し方なしとなったようで、いつになるのか見当もつかないと話していました。

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父の葬儀のときは、お墓はまだ建立(こんりゅう)されておらず、骨壺は暫く家に置いていました。
墓地自体は父が生前に買い求めていたので、後はそこに立てるだけ。
新し物好きの父でしたから、墓石はその当時では珍しい白を選び、石屋さんと相談し雪が完全に解けてからの建立。そして納骨となっています。

あれから14年。
夫もその年の3月に亡くなっているので、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌を一緒に済ませ、このあとは十七回忌が待っています。
寒い時期での葬儀や回忌法だったので、要娘たちと話すのは、

「ばあちゃんは、できるなら冬ではなくて暖かい時期で、できれば真夏は避けてほしいよね」

などと、勝手なことを言い合う、親・婆不幸な母娘です(苦笑)

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お餅が大好きな父でしたから、仏壇にはお餅を供えました。
何故に二つずつ?
お供えはしても、結局食べるのはわたしと長女なので(笑)

葬儀屋の社長がおっしゃっていました。
一番に考えることは、生きている人たちを優先すべきで、亡くなった人を供養するのは勿論だが、生きている人の生活を考えて行うようにと。


叔父の納骨ですが、和尚様ご自身が寒さを避けたくて暖かい時期を選ぼうとした・・・?
真意は判りませんが、生きている人たちのためならば、それもアリなのでしょうね。


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故人の想いを汲み取る? 不義理な娘でした

2022.5.16(月)

2000年の3月に岩手を出た。21年が過ぎ22年目に入っている。

21年前、茨城に越すことを夫から告げられとき、

・・・やっと、美代さんから離れられる・・・

心の底から嬉しいと思った。


家を出る話を両親に持ち出した時に、言われた言葉がある。

「そうか。まぁやってみればいいんだ」

「なして出で行ぐのよ?!」


人の記憶の正確さはどこまでが守られているのだろうか。
この二つは、両親から言われたことに間違いはないが、わたしの記憶が曖昧でどちらが父で母でかが、判らなくなっている。
自分の想いを都合よく採ると、好きではなかった母が言ったであろう言葉が「なして出で行ぐのよ」

わたしのとっては、亡き父の方が色々な面で理解があった。
几帳面で、時には頑固、時にはおおらかな性格が出ていた父。
料理が得意で、裁縫や編み物・日曜大工もお手の物だった。
勉強やスポーツ、ファッションに関しても父と話している方が楽しかった。

これらを考えると、「やってみればいいんだ」と言ってくれたのが父で、
そうであってほしいという願望が強いように思う。

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岩手に戻ることを、仏壇にある写真に告げた。
わたしの声があの世とやらに届いているかは分からないが、勝手な想いで、
聴きとどめてくれのではないかと思っている(苦笑)

17年の9月に岩手から離れた美代さんも、7月には戻ることになる。
父が亡くなったことを理解していない美代さん。
家に戻ったら、夢に出て「お帰り」と言ってくれるだろうか。
それとも、仏壇の脇で美代さんにだけ姿を現してくれるのだろうか。



「おとうちゃん、ずっと不義理しちゃったね。ゴメンね」

長女として生まれ婿取りをしながらも、実家を離れてしまった。
この先は、どんな運命が訪れるのかは分からない。
運命は自分で選ぶものだと言う。

「やってみればいいんだ」


やってみて、戻ることを選んだ。


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年賀状のお付き合いは、いつまで続ける?

2021.12.22(水)

年賀はがきを買って来たまま、なかなか書けずにいます。
例年だと20日過ぎには投函しているけれど、今年は内職の完納を先に考えているので、投函は年内ギリギリかもしれない。

昔・・・岩手時代の頃、亡き父はプリントゴッコという年賀状を簡易的に印刷するプリンター?を買ってくれた。
新し物好きだった父は、とにかくいろいろなことに挑戦していた。
何年間使い続けただろうか・・・記憶の中では壊れたような・・・で、いつしか使わなくなり、その次に父が用意したのは、干支の絵が押せるゴム印と、年賀のゴム印。
毎年ひとつずつ買い求め、気が付けば全ての干支が揃っていた。

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父は季節の行事ごとを大事にする人だった。
お月見には、ススキと月見団子がテーブルに設えていた。

クリスマスには、生のもみの木に綿を雪代わりにし、電飾やオーナメントも綺麗に飾り付けてくれた。

お正月には、お節料理を作るのは父で、二段重ねのお重箱に色とりどりの料理が入っていた。

なんだか懐かしい。
本当にマメな人だった。
でも、41歳になる年に実家を離れたわたしは、それ以後の、日々の父の様子がどんなだったかを知らない。

父と最後に過ごしたのは、亡くなる年のお正月。
初詣に、浄法寺町(じょうぼうじまち)にある天台寺に家族で行ったのが最後。
脊柱管狭窄症を患ったっことのある父は、歩行がペンギン歩きになっていた。それでも、杖を使うこともなく雪の坂道もしっかりと歩いていた。

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年賀状。
父は、いつ頃まで出していたんだっけ・・・?
亡くなった年にも確か届いていたから、たぶん父も出していたのだろうね。

年に一度だけの、年賀状での挨拶をするだけの付き合いとなっている友人もいるが、数年前には、わたしの方から年賀状の付き合いをお断りした人たちもいる。

79歳で亡くなった父。
わたしも、もう少し頑張った方がいいのかな。


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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と5にゃんズとの7人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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