にゃんズの母(しがらみと生きる)

「老猫、桐ちゃん19歳、青(せい)くん16歳」「あたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、89歳。方言と訛り×認知症要介護3で、田んぼの観える特別養護老人ホームに入居」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして・・・なのですが、母が特養に入所しケンカ相手が居なくなり少々寂しくも感じています。 人生一度きり。前向きに生きるためのブログです。

父の想い出

故人の想いを汲み取る? 不義理な娘でした

2022.5.16(月)

2000年の3月に岩手を出た。21年が過ぎ22年目に入っている。

21年前、茨城に越すことを夫から告げられとき、

・・・やっと、美代さんから離れられる・・・

心の底から嬉しいと思った。


家を出る話を両親に持ち出した時に、言われた言葉がある。

「そうか。まぁやってみればいいんだ」

「なして出で行ぐのよ?!」


人の記憶の正確さはどこまでが守られているのだろうか。
この二つは、両親から言われたことに間違いはないが、わたしの記憶が曖昧でどちらが父で母でかが、判らなくなっている。
自分の想いを都合よく採ると、好きではなかった母が言ったであろう言葉が「なして出で行ぐのよ」

わたしのとっては、亡き父の方が色々な面で理解があった。
几帳面で、時には頑固、時にはおおらかな性格が出ていた父。
料理が得意で、裁縫や編み物・日曜大工もお手の物だった。
勉強やスポーツ、ファッションに関しても父と話している方が楽しかった。

これらを考えると、「やってみればいいんだ」と言ってくれたのが父で、
そうであってほしいという願望が強いように思う。

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岩手に戻ることを、仏壇にある写真に告げた。
わたしの声があの世とやらに届いているかは分からないが、勝手な想いで、
聴きとどめてくれのではないかと思っている(苦笑)

17年の9月に岩手から離れた美代さんも、7月には戻ることになる。
父が亡くなったことを理解していない美代さん。
家に戻ったら、夢に出て「お帰り」と言ってくれるだろうか。
それとも、仏壇の脇で美代さんにだけ姿を現してくれるのだろうか。



「おとうちゃん、ずっと不義理しちゃったね。ゴメンね」

長女として生まれ婿取りをしながらも、実家を離れてしまった。
この先は、どんな運命が訪れるのかは分からない。
運命は自分で選ぶものだと言う。

「やってみればいいんだ」


やってみて、戻ることを選んだ。


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年賀状のお付き合いは、いつまで続ける?

2021.12.22(水)

年賀はがきを買って来たまま、なかなか書けずにいます。
例年だと20日過ぎには投函しているけれど、今年は内職の完納を先に考えているので、投函は年内ギリギリかもしれない。

昔・・・岩手時代の頃、亡き父はプリントゴッコという年賀状を簡易的に印刷するプリンター?を買ってくれた。
新し物好きだった父は、とにかくいろいろなことに挑戦していた。
何年間使い続けただろうか・・・記憶の中では壊れたような・・・で、いつしか使わなくなり、その次に父が用意したのは、干支の絵が押せるゴム印と、年賀のゴム印。
毎年ひとつずつ買い求め、気が付けば全ての干支が揃っていた。

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父は季節の行事ごとを大事にする人だった。
お月見には、ススキと月見団子がテーブルに設えていた。

クリスマスには、生のもみの木に綿を雪代わりにし、電飾やオーナメントも綺麗に飾り付けてくれた。

お正月には、お節料理を作るのは父で、二段重ねのお重箱に色とりどりの料理が入っていた。

なんだか懐かしい。
本当にマメな人だった。
でも、41歳になる年に実家を離れたわたしは、それ以後の、日々の父の様子がどんなだったかを知らない。

父と最後に過ごしたのは、亡くなる年のお正月。
初詣に、浄法寺町(じょうぼうじまち)にある天台寺に家族で行ったのが最後。
脊柱管狭窄症を患ったっことのある父は、歩行がペンギン歩きになっていた。それでも、杖を使うこともなく雪の坂道もしっかりと歩いていた。

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年賀状。
父は、いつ頃まで出していたんだっけ・・・?
亡くなった年にも確か届いていたから、たぶん父も出していたのだろうね。

年に一度だけの、年賀状での挨拶をするだけの付き合いとなっている友人もいるが、数年前には、わたしの方から年賀状の付き合いをお断りした人たちもいる。

79歳で亡くなった父。
わたしも、もう少し頑張った方がいいのかな。


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父の想い出と、噛めない料理

亡き父は料理男子だった。
あたしと妹のソノコは、父の手料理で育った。
そう言っても過言ではない。

亡き父は花男子だった。
我が家の庭は(実家)、父が植えた数々の色とりどりの花で埋め尽くされていた。
手作りの垣根の扉から花壇に入ると、そこには小径が続き美しい花たちが
「観て、キレイでしょ」と、語り掛けてくるような想いを抱かせてくれるような庭だった。

その花たちの中で、一番好きだったのが「グラジオラス」
最近は、あまり見かけることがないが、子どもの頃は一般的な花だったように思う。

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小学5年生の夏休み、宿題で絵を描いた。
勿論水彩画だが、あたしは水で薄めることなく画用紙に塗っていた。
いや、薄めてはいたが水彩画特有のぼかしのような描き方ではなく、色の重ね塗りでおおよそ水彩画には程遠いような絵になっていた。

グラジオラスを1本。
担任は何も言わなかったが、廊下に張り出されたその絵を観た6年生は、

「これ、絵具?何かギトギトした絵だね」

この言葉は50年近く経った今でも忘れない。
認知症の仲間入り?
いいや、違う。
あたしは、図画工作は得意だった。
勿論絵を描くことも。
父が育てたグラジオラスの絵を批判?された・・・。

今にして思えば、小学生の素朴な感想だったのだろうが、一生懸命に描いた絵を悪く言われたという想いは、心の片隅にずっと残っていることも確かなこと。

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あたしの料理の基本は亡き父。
何処の家庭の母親でも、普通に作ってくれるような料理がテーブルに並んでいたが、父はアレンジが好きな人だったので、外食で食べた料理を自分なりに工夫して並べてくれることもあった。
当時の一般家庭にはない食材を使った料理。
そのまま作ることは難しいが、手に入らないものは無理をすることなく他の食材で賄っていた。そんな記憶がある。

夫が亡くなり一人暮らしになり、料理をすることもほとんどなくなっていた。
毎日、豆腐とサラダが中心で、たまに魚料理や、夫が好きだったもつ煮込みをあたし流に調理することもあったが。

母美代さんと暮らし始めて、あたしの手料理は開花された・・・はずなのだが、そんな甘いものではない。
好き嫌いがあり、尚且つ総入れ歯で硬い物やイカ・タコのように噛み切れない物は常にフードプロセッサーの出番。
料理は見た目もあるが、みじん切り・フードプロセッサーではそんなものは跡形もなくなってしまう。

「これは、なんだ?」

そうよね。
何を食べているかも判らないよね。
だって、仕方ないじゃない。そのまま出したら絶対言うよね!

「かだくて食べれね」

食べてくれる人がいるから料理の腕も弾むはずなのに、食べてくれる相手が料理音痴の母。
正直、作る気力も失せる。
それでも食べさせない訳にはいかない。

今夜はお刺身。
プロを使わずに済む。
絶対言うよ!

「おいしい~」

だって、噛めるんだものね。

美代さんが美味しいと言う料理。
それは味ではなく、あくまでも自分の歯(入歯)で噛める料理。

噛めないのは、歯の大切さを学ばなかったから・・・。
そして思う。
食べられたら、なんでもいいよね・・・。


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誕生日に亡くなった、父の命日 老母は思い出せる?

今日2月1日は、父の命日です。
そして、90歳の誕生日でもあります。

11年前の今日、次女からの突然の電話。
詳しくはこちら「亡き父を想うⅠ ~突然の訃報~」
お読みくださいましたら幸いです。
http://aya1205k.xyz/archives/10001874.html

当時の父は軽度認知症を発症していました。
要支援1・・・2、情けないのですが確かな記憶はないのです。
デイサービスへ行くように勧めても、口下手な父は周りの方々との会話に
不安があり、母と一緒でなければ行かないと、言っていたそうです。
そんな父に対して、介護の知識も情報もない母は、今のあたしよりも輪を
かけて辛く当たっていたようです。

離れて暮らしていたあたしは母任せでした。
それでも、介護の本を買い大事なところに付箋をつけて渡しましたが、
本を読む習慣などがない母には「豚に真珠・猫に小判」だったようで、
実践することなく、
「そったな病気、エイッヤッて、気合で治すんだ」
などと、平気で投げかけていたようです。

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最近、思うことがあります。
それは、
父は、自分の意思で逝ったのではないか・・・。


母美代さんは、家庭的なタイプではありません。
両親はもとより、舅・姑の介護経験もないのです。
その母に、今後の面倒・介護ができるのか・・・。
妻に面倒は掛けさせたくない・自分も辛い。
もしかしたら、そんな想いがあったのかもしれません。

誕生日のその日を、とても有意義に過ごした父でした。
孫むすめ達との、外食。
鍋焼きうどんを「美味しい」と、食べていたそうです。

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今朝の母美代さん。
いつものように日付と曜日確認です。
「今日は2月1日だよ。何の日だっけ?」

「ん?なにがあるっけが・・・」

父の誕生日、そして命日であることを、すっかり忘れていました。
暫くして、もう一度訊いてみました。
「2月1日だよ。判らない?」

「わがらね」

この後、何の日だ?という問いかけもありませんでした。

・・・じいちゃん、あの世と言うところはどんなところ?美代さんを迎えに来ることはないの?・・・

この世は修行の場。という仏教の教えがあるとかないとか。
美代さんには、まだまだ修行が必要なのかしら。
同時にそれは、あたしにも修業が必要ということになるのかも。
デイケアから帰ってきたら、命日であることを教えます。

甘いものが大好きだった父。
お仏壇には、お饅頭と果物をお供えました。


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運転免許証の自主返納・・・いつかは自分も

高齢者の事故が後を絶たないですね。

子どもの頃、我が家には車がありませんでした。
遠出の際は、列車を利用していました。

よその家には車があり、なぜうちには車がないの?
幼心に思っていました。

そう、父は免許を持っていなかったのです。


役場職員として、用務の仕事をしていた父でしたが、小学校への転属で徒歩通勤ができなくなり40歳後半で初めて免許に挑戦し、原付の免許を取得したのです。

それまでは徒歩や自転車でしたが、原付取得で行動範囲も広くなり、任せてもらえる仕事の内容も変わっていったようでした。

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定年後は、田んぼや畑に行く際は原付をフル活用していました。
我が家の畑は、自宅から3~4キロ、田んぼに至っては7~8キロ近くあったので、原付様さまだったようです(母は、自転車でしたが)

75~6歳のときだったと思います。
田んぼの帰り道、後ろから来た車との衝突事故に遭いました。
手の指の脱臼と、脳挫傷。
幸い、命に別状はないとの診断でしたが、娘からの連絡の際は、心臓が止まるのではないかと思うほど驚きました。

この時の脳の検査で、小さな梗塞がいくつかあるようだとの指摘を受けたのですが、それまでの父には脳梗塞の症状などは一切見られず、元気そのものでした。

細い農道走行で、車の往来もなく父は真ん中辺りを走っていたらしいのです。後ろから車が気たことを察した父は左に避けようとしたらしいのですが、その車は、何を思ったのか父の左側を追い越そうとしたようで、ドン・ガシャン!となってしまったらしいのです。

このとき、父は確かに左に寄ったと言っていましたが、相手側の運転手は父が右側に寄ったと言い、仕方なく左を追い越すことになったのだ言っていたそうです。(警察からの話)

当事者同士の意見の食い違いがあったものの、安全確認をせず、無理な追い越しをしようとした車が全面的に悪いということになりました。

退院後、父を交えて家族会議を開き、父の免許証の返納についてを話し合いました。
最初は渋っていた父でしたが、孫むすめ達からの強い勧めで返納に納得してくれたのです。

免許証は、近くの交番に持って行きました。
そのまま返すのかと思っていましたが、ビス止めのような工具?で免許証に穴を開けられ、持ち帰りできたのです。
そして、原付は近くのサイクルショップに引き取ってもらいました。

それ以後、父は電動アシスト自転車に乗るようになり、変わらず畑・田んぼ通いをしていましたが、あの事故のときには、もしかしたらですが、認知症になりかけていたのではないか・・・後になってからそう思うようになり、その後の検査で軽度認知症を発症していることが判明しました。

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        田んぼ道のイメージです

都会と違い地方では、車は足代わりの必需品。
免許の返納は、一大決心が要ります。
でも、命には代えがたいとも思うのです。

今回起きている事故は都会でのことのようですが、車・人が多ければ事故の被害も大きくなると思われます。

自分も、いつの日か返納を考える年齢になることは間違いないのですが、
それまでは細心の注意を払っての運転を心掛けます。

ただ、貰い事故と言うものもあります。
どんなに安全運転・安全確認をしていても、自分ではどうしようもないときもあります。

くれぐれも安全確認・スピードは控えめ安全運転をお願いしたいものです。



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プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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