にゃんズの母

「老猫、桐ちゃん18歳、青(せい)くん15歳」「あたし、お洒落大好き還暦」「母、88歳。方言と訛り×認知症要介護3で、田んぼの観える特別養護老人ホームに入居」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして、人生一度きり。前向きに生きるためのブログ。

母娘関係

遠野・花巻観光・・・宮沢賢治の世界に浸る母娘

2021.5.10(月)

ザ・観光。
今日は帰省最後の日で、長女ユカと遠野~花巻観光へ。

最初の目的は、ユカが行きたいと言っていた道の駅「遠野風の丘」
途中、めがね橋を観る?と訊かれ、先ずはそこへ。
道の駅「みやもり」の隣にある、宮守川橋梁・通称「めがね橋」

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~宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージさせる橋梁として親しまれ、SL銀河が運行する日は多くのカメラマンや家族連れが緑地広場で手を振ってお見送りを行っている~

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道の駅「みやもり」の中にある、宮沢賢治の銀河鉄道の夜をイメージした通路。


目的地の、道の駅遠野風の丘は、強風で車のドアを持って行かれそうなくらいの勢いで、向かい風の中駐車場から店の中へ入るのも一苦労(苦笑)

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母美代さんが食べられそうなお菓子「わかめせんべい」を購入。
えびみりんの様なサクサク煎餅なので、美代さんでも食べられそうなので決めた。

次は、花巻の宮沢賢治記念館へ。
その前に腹ごしらえで入ったお店は「なめとこ庵」時刻は14時。
手打ちそばと季節の山菜天ぷらの盛り合わせで舌鼓。

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程よいコシで風味のある蕎麦と、季節の山菜の天ぷらの盛り合わせ。
店主から、自家製ワサビを蕎麦にのせて食べるようにと。
塩が振りかけられた天ぷらは、タラの芽・コゴミ・ウド・ふきのとう・他。
初めて食べる山菜もあり、大変美味しゅうございました(⌒∇⌒)

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店の中から写した風景。郵便ポストが懐かしかった。
奥に見えるのが、宮沢賢治記念館&童話村へ向かう道。

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館内は撮影禁止で、致し方なし。

銀河鉄道の夜の主人公は、猫のジョバンニとカムパネルラ。
売店には猫をモチーフにしたものが多く売られていた。

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           マグネット

宮沢賢治の童話には、猫が多く出ていると思ったので、売店のお姉さんにそのことを言うと、「彼は猫は嫌いだったそうですよ」と。
猫好きのあたしとしては、?と、腑に落ちないが、嫌いが故に、あんなにも猫を押し出していたのだろうか。

賢治記念館には、賢治の原稿のレプリカが売られていたが、殴り書きのその字は、案外子供っぽく可愛らしく感じられ、宮沢賢治という人間の性格から出ているのかなぁと。


岩手時代には行くことがなく、20年前に岩手を脱出し、いつかは行ってみたいと思っていた賢治の世界。メンテナンスで観られない施設があり残念だったので、いつかまた来たいと想う。

全行程8時間弱のドライブ&観光。運転は今回もユカ任せ。
帰路、睡魔に襲われコンビニの駐車場の隅を借りて仮眠。
いつも運転をありがとうね。

連休も終わり、観光地とは言え混雑もなく楽しむことができ、誘ってくれたユカに感謝。
あたしは幸せな母だね。

この関係がいつまでも続くことを願いますヮ。


自分らしく生きるために、家を売る?

2021.3.24(水)Ⅱ

実家を売る話を長女にしてみた。

「500~600万くらいにはなるかもよ」

「売ったら、あたしはどこに住むのよ。たかだかそんなお金が残っても、これからの人生ではあっと言う間に無くなるじゃない」

この家は、母が亡くなったらあたし名義になる。
あたしの自由にしても良いはずだが、住んでいるのは長女。

「半分は母のお金になるよ」

「え~っ。じゃぁ、余計に売りたくないわ」


押し入れの中の、うんざりする量の寝具類。
それ以外にも、冠婚葬祭で頂いた物がぎゅうぎゅうに積み込まれている。
物置小屋には、捨てられない食器やボロ布団が。
全部に思い入れがあるのだろうけれど、使わなければただの物。

次女夫婦が実家に住んでくれると言うので、LDK・トイレを改築。
元あたしの部屋だった2階の部屋も、畳を取り除きフローリング張替えをし、押し入れの襖も無しにして、お洒落なロールカーテンを取り付け次女夫婦の部屋とした。

あれから5年で、次女夫婦は自分たちの家を建て、実家を出た。
孫のハヤブサくんは幼心にも、しっかりと家の位置づけをしている。

「ボクの家は新しい家。ここはユカちゃんの家」


昨日の朝、保育園に行く際にバイバイをするために寄ってくれた。

「あーちゃんは、あーちゃんの家に帰るんだね」

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実家は母名義だが既に住んではいないし、跡取りのあたしも出ている。
一人になったことで、寂しさを感じないかとユカに訊いてみたが、静かだとは感じるが思ったほど寂しくはないと言っていた。
結婚する気もないようで、この先どうするのかと訊くと、

「助け合って生きて行こう」

母娘と言えども、それぞれの人生がある。
あたしは母美代さんが嫌いで、実家を離れられたことが嬉しくてしょうがなかったが、認知症となり結局は元に戻った形。

近々、特養入居になる予定の美代さんだが、実家で過ごした数日間で頭の中は・・・本当に加須市でいいのだろうか。岩手の、実家近くの特養の方がいいのではないか・・・そんな考えが浮かんでいた。

が、そうなるとあたしは古河を離れ実家に戻ることになる。
家事が苦手な長女の世話をする生活になること、間違いなしになる。
東北道を降り、見慣れた風景になり、古河の街が見え始めたときに思った。

「あ~、あたしはこの街が好きだヮ・・・」

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「やりたいことはやった。この世に未練はない」

亡くなる前に、こんなことを言っていた夫。

自分らしく生きるためには・・・これからの人生を考えなければ。


特養って、どんなとこ?(ユニット型)

2021.3.6(土)

今朝、特養入居の事を美代さんに話した。

あたしの手に負えなくなったら、施設に入ってもらうからね。

こういう話をしていたのは、美代さんと同居が始まった辺りなので、3年は過ぎている。
当時は「お前に面倒をかけるわけにはいかない。いいと思う時に入れてくれ」などと、殊勝なことを言っていた。

あれから、あたしのイライラが爆発した時には随時特養の話を出してきた。
そのことも踏まえて、特養に入ってもらうよと切り出したが、如何せん3年前のことなど全く記憶にない。ちょくちょく出してきたのに、それさえも記憶にない。まぁ、いつものことなので致し方なし。

ところで、2017年の秋から一緒に住み始めたが、その記憶もたぶんないのだろうと思いながら、古河に住むようになったきっかけから話し始めた。

案の定だ。
先ず、住んでいるところが既に判らない。
そして、20年前にあたしと夫、次女のサキの3人で茨城に越してきたことも、きれいさっぱりと記憶にない。故に美代さんは、ずっとあたしと一緒に暮らしてきたものと思い込んでいる。

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元々あたしは、美代さんのことが好きではない(嫌いが正しいかな)
(詳しいことは母娘関係や父の想い出に載せています)
20年前に美代さんから離れられることを、とても幸せに思っていた。
それでも、離れたことで案ずる気持ちにもなるもので、帰省から古河に帰る際は「元気で身体を労わって居てね」などと、優しい言葉を掛けることができていた。

嫌いな母親と一緒に暮らす。それだけでも抵抗があったのに、介護の為の同居は究極の選択だった。
世の中には、一卵性母娘とか友達母娘とか、とても良好な母娘関係が存在しているらしいが、ことわが家に関しては全く当てはまらない。
ただ、美代さんは自分がこんなにも嫌われているなどとは想ってもいない。

いつだったか「あたしはあなたから母親らしいことは何もしてもらっていない。あたしはあなたが嫌いなのよ」こうまで言い放ったことがある。
その時の美代さんはうなだれて「ウッウッ」と泣き始めていた。
が、認知症故、数分後にはパーッと飛んでいた。

入居になるかもしれない特養が、どんなところなのかを説明した。
① 3食昼寝付きで、おやつも出るよ。
② 周りは田んぼで、田植えや稲刈りの様子も観られるよ。
⓷ あなたくらいの人達が10人で暮らすけど、ちゃんと自分の部屋もあるよ。トイレも洗面台もあるし、お風呂にも入れるからね。
④ デイみたいに、嫌いなお絵描きや字を書く勉強もしなくていいんだよ。
⑤ 今はコロナだから簡単には会えないけれど、コロナがなくなったら面会もできるしお出かけもできるから、一生会えない訳じゃないんだよ。

こんな様なことを話してあげたが、⑤に関してはあたし自身に言い聞かせているような・・・そんな感じだった。

歩けなくなるかもしれない。認知も進行するかもしれない。
でも、あたしのイライラに付き合わされたりすることもなく、一層穏やかに暮らせると想う(たぶん)

昨夜は、大好きな・生きていると思い込んでいる父の名前も、言えなくなっていた。
忘れて行くのがこの病気なのだから、これも致し方なし。

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    美代さんのひ孫のハヤブサくん
    七五三お祝いの写真を持たせようと思っています

4日の晩に長女のユカとライン電話。
思いの外早く入居になることを伝えたが、異論はなし。

「母が認知症になったら、あんた、どうする?」

「大丈夫だよ。おかぁみたいにちゃんと施設を探して、そこに入れてあげるから」

おありがとうございます(笑)
でも、自分の気持ちとしては、なるべくならならないように。
仮になったら、全てお任せで言うことを聴きましょう(苦笑)


自分の人生・終焉を考える 自分らしく生きるとは?

2021.1.3.(日)

新年も、もう3日ですねぇ。
午後1時半過ぎの宇都宮線に乗った長女のユカ。
大宮から、東北新幹線で一路盛岡へ。

「4日間て、あっという間だね~、ありがとう」

こう言って帰っていきました。

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今朝、美代さんとは簡単にサヨナラをしていました。
又来るからね。という、言葉に美代さんは「寂しくなるな・・・」と。
5月の連休には、あたしの方が岩手に帰省する予定です。
その時、美代さんを連れて行くかショートステイにお願いするかは、まだ決めていませんが。

介護度が3になったら、特別養護老人ホームに入れることは、以前から話していましたが、住んでいる古河地区にするか実家の町近辺にするかは、まだ迷っています。
ユカはあたし次第と言っていますが、当然ですよね。

この街に今後も住み続けるのか、実家に戻るのかを決めかねています。
春以降は次女親子は実家を出、新居に引越しの予定です。
そうなると、実家には独身のユカのみになるわけで、本人はそれでも不安はないと言います。

現在40歳の長女は実家を離れたことがなく、当然一人暮らしの経験もありません。
家事などは次女がしているので、家庭的な女でもありません。
それでも何とかなると言い、何れはあたしが実家に戻って来るものと思っていたと言われましたが、「あくまでもおかぁ次第だよ」とも、言います。

夫が亡くなり、それでも一人暮らしを選択したのは、田舎の風習(しがらみ)や寒さ・雪深さが嫌だったから。
コロナ禍の中で、特養の見学も簡単にはいかず、いつ入所に繋がるかも分らない現状で、自分のこれからも考えなければなりません。

日頃から、人生は一度限りと載せています。
自分らしく生きるには、どこで・どんな風に暮らせば良いのか。

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むすめ達は大人。
あたしも、いつかは美代さんのようになるかもしれない。
その時に、果たしてむすめ達があたしの介護をするのか。
以前、嫁いだ次女が言っていました。

「あたしはおかぁの面倒は看ないよ。自分の事は自分でしてね」

長生きするなら健康で。
若しくは、ある日突然ピンピンコロリであの世行き。
あたしには、この二つの選択肢しかないようです。

自分の人生を生きるための最善策ですが、答えが出るまでにはもう暫くかかりそうです。


クリスマスプレゼント 本当に必要なもの?

母美代さんの手は、昔から冷たかった。
真冬の岩手の凍えるような日でも、手袋をしている姿を見たことがなかった。
足が冷たいと言い、靴下の重ね履きはしていたが、薄氷の張った漬物樽に手を入れても「手が冷たい」と、言うことなどなかった。

そんな美代さんでも立派な皮の手袋を持っている。
自分で買ったのか、誰かにもらったのかは、あたしは知らない。
でも、その手袋をしている姿も見たことがない。

宝の持ち腐れ・・・とまでは言わないが、どうせしないのなら、あたしに頂戴と言うと、二つ返事で「いいよ」
これは、一昨年のことだったと思う。


最近になり「手が冷たい」と言い出すようになった。
家で過ごす日は、デイケアから頂いたハンドウォーマーをしている。
一昨日だったか、手が冷たいのでこのままこれをして寝たいと言い出した。
動きが取れなくなって危ないからと止めさせたが、余程の想いだったのかもしれない。

今日はクリスマスイブ。
子どもの頃、亡き父が生?のもみの木をどこぞから調達してきて、雪に見立てた真綿や電飾・オーナメントを、父と妹のソノコと飾り付けていた。

その飾り付けに美代さんが参加することはなかった。
美代さんは、イベントごとには興味がなく、お洒落やファッション的なことにも疎く、飾り付けなどにも興味を示すことはなかった。

クリスマスプレゼントはいつも父から(サンタさんだけど、置いといて)
美代さんから貰ったことはない。

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先週、デイサの送迎車に乗る際に、先に乗っていたNさんが、乗り込もうとした美代さんの手を引っ張ってくれ、その時発した言葉が、

「なんて冷たい手なの!寒くないの?」

「・・・・・」

あたしは面目が立たなかった。
親の冷たい手を承知で放っていたが、それをNさんに指摘されたように思った。

美代さんは手袋をしたいとか、欲しいとは言わない。
あたしにくれた手袋のことも、既に忘れているのだろう。
今日は手袋を渡した。
あたしが持っていたアクリル毛糸の手袋。
それを観た美代さんは、

「布の手袋が?」

「毛糸だよ」

渡された手袋だが、指をきちんと入れることができなかった。
むすめ達が幼かった頃、やはり5本の指を入れることができずに、人差し指と中指を一緒に入れることがあったが、そんな状態だった。

「あぁ~もう、違うでしょ。ちゃんと1本ずつ入れて」

土方仕事や農作業で、軍手やゴム手袋の経験はあっても、防寒用の手袋の経験はない?でも、いったい何が違うのだろう。
これは手袋の経験ではなくて、単なる認知機能の低下なのかな。

靴下を履くのは毎日のことなので忘れないけれど、手袋は冬だけのこと。
ましてや普段からすることのなかった美代さんだ。
致し方なしなのかもしれない。

クリスマスプレゼントに、手袋を買うつもりでいる。
中が起毛になっているような、暖かな手袋を探してみよう。

デイサから帰って来るのは、夕方の4時過ぎ。
このブログを書き終えたら、買い物へ。
そうだ、ケーキも買わなきゃ。

そのケーキも、特別好きな訳ではないから、スイーツコーナーにあるような小さなもので十分だけれど、まぁ、気持の問題としてね。

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コロナ禍の中でのクリスマス。
おとなしく控えめに、ですね。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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