にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん4歳。黒ちゃん4歳。常くん4歳。連くん2歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、91歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

認知症の母との暮らし

認知症の人から笑顔を引き出すには・・・介護者が笑う?

2025.4.25(金)

昨日の面会で、と言うか毎回の面会で思うこと。
それは、美代さんの笑顔を引き出せていないな~て。

昨年の秋だったかな。
美代さんの2番目の妹・ヨッコさんが面会をしてくれた時は、声が出るほど笑っていた。


ヨッコさんは元々が話し上手で、美代さんが携帯電話を使いこなせていた要介護1の辺りまでは、結構な頻度で電話で話していた。

ときどき「おめの話は面白れぇなぁ」と、美代さんは大笑いしていた。
わたしと話すときも見事なくらいに笑わせてくれるので、天性のものなのかもしれない。


わたしにはヨッコさんほどの話術はない。
物事を面白おかしく話せるような才もない。

ヨッコさんが美代さんを笑わせてくれた時の内容を思い出し、それとなく真似てみたことがあったけれど、やはり本家本元のようにはいかず笑ってはもらえなかった(泣)。

DSC_2759


月に一度送られてくるお便りがあるが、それには美代さんの笑顔の写真が載っている。

「あ~、笑顔だよ~。いい笑顔だわ~。わたしの前ではなかなか笑ってもらえないけれど、職員さんたちは上手なんだね」


認知症には色々症状がある。
美代さんは比較的穏やかな認知症と言われていた。
デイサービスを利用していたときはいつもニコニコしていたので、介護士さんからは好かれていた。

でも、それを善としない利用者さんからはあまりよくは思われなかったらしいけれどね(お便りノートで知った)。


夫ががんで入院していたとき、ある看護師から「なるべく笑えるようなテレビを観てください。笑いは細胞を活性化させますから」と言われたことがある。

もうテレビを観ることもなく、言葉のキャッチボールも難しくなっている。
どんな話をしたら笑ってくれるのだろう。
笑顔を引き出すには何をすればいいのか。

次回の面会日には、施設職員へアドバイスを乞うてみようか。

DSC_2747

ナオくんの笑顔を見せたら、笑ってくれるのかな。


美代さんの頭の中を占めているものは、いったいなんだろう。
娘や孫の顔も忘れ、なにを思っているのだろう。

わたしが笑顔になったら、美代さんも笑顔を見せてくれるのかな。
せめてマスクを外せたら・・・て、思うけれどね。


いつもお読みくださりありがとうございます。
ランキングに参加しています。
ポチっと応援していただけますと、励みにもなり嬉しいです。

コメントも、お待ちしております。



人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村

92歳の誕生日を祝う でも自分の年齢を自覚できない

2025.4.24(木)

今日は母美代さんの、92歳の誕生日。


午前中、面会に行って来た。
自分の年齢など、とうに忘れている美代さん。

「今日は美代さんの92歳の誕生日だよ。おめでとう」

と、話しかけたけれど、何だろう・・・誰の事?みたいな感じで、表情は変わらない。

「すごいね、92歳だよ。長生きだね~」

「・・・」


何かを言いたい様子は見える。
耳の聞こえはすこぶる良いのでちゃんと聞こえてはいるのだろうけれど、それが言葉になるまでには時間がかかり、なかなか出ない。

92歳という年齢をわたしは長生きと表現したけれど、本人はたぶん自覚していないのだろうね。だから答えようがないよね。

認知症になると自分の実年齢はどこかへ行ってしまい、ある年齢から歳を取らないことって多々ある。
美代さんが自分の年齢をちゃんと言えたのは認知症の初期の頃までで、それ以後は答えられなくなっていた。

まぁね、何歳でもいいのよね。
生きててくれるだけで、娘としては嬉しいのよね。

DSC_2754


今日は父の名前を出してみた。
すると「じっちゃんだ」と答えてくれた。「そうだね。美代さんの旦那さんだね」と言うも、これには??と。
はて、じっちゃんだとはわかっても、イコール旦那さんには結びつかなかった?


今日の美代さんは疲れた様子が見えず、気をよくしたわたしは面会時間を少しオーバーしてしまった。
職員から「そろそろ」と言われ、もう?・・・て(苦笑)。

「また来るからね」と言うわたしに、か細い声で「また来てや」。
訊かれたことには答えらえなかったとしても、自分の想いはちゃんと言葉にすることができている美代さん。

DSC_2756


美代さんから何かを言ってくれるのを待つこともできるけれど、それだといつになるかわからないので、ついついわたしからあれやこれやと言ってしまう。


コロナのために居室に入ることは叶わずにいるけれど、もしも居室に入ることができたなら、無理に会話に持ち込もうとせずとも、ただ一緒の空間に居られる・・・それだけでいい。

居室入室可になるのはいつ?
職員も、ハッキリとは言えないみたい。


いつもお読みくださりありがとうございます。
ランキングに参加しています。
ポチっと応援していただけますと、励みにもなり嬉しいです。

コメントも、お待ちしております。



人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村

一人ぽちの辛さを抱え込まないで 少しでも誰かと話してみて

2025.4.14(月)

毎月第二金曜日は、認知症の人と家族の会が催される。
認知症と銘打っているけれど、参加者の顔ぶれによっては全く違う内容になったりもする。


いつもは内容についての経験や意見を求められたりするけれど、今回はひと言も発せずに聞き役に徹していた。と言うか、わたしの経験したことのない内容だったので、仮に振られたとしても何も言えなかったと思う。

DSC_2741

当日配布されたチラシ


前回・・・前々回だったかな、この街に移住し一人暮らしをなさっている方の参加があった。
仕事以外ではほとんど誰とも会話することがないと言い、スーパーに置かれていたチラシが目に入り、誰かと話ができるかもしれないという理由での参加だった。

ああいう会って、話慣れしている人は要点をスラスラと伝えられるけれど、そうでない人は内容が行ったり来たりと、まとまらなかったりすることもある。

あの時の方も何が言いたいのかかな?だったけれど、それでも一生懸命話されていた。
わたしなりに感じたことは、もしかしたら友達が欲しかったのでは?だったけれど、話は他に移ってしまい、あの方の話はそこでストップしてしまった。

会が終わり、皆帰り支度を始めた。
少しだけ話がしてみたいな…と思ったけれど、あの方はそそくさと帰られてしまったようで、気づいたときにはもういなかった。

参加者名簿をお借りできれば電話番号を知りえることはできるはずで、参加を促すことも可能だけれど、会の参加はあくまでも自由参加。
でもあの1回で、今後の参加をどのようにするかをめてしまったとしたら、なんだか残念に思う。


わたしもおしゃべり上手ではない。
なんとか的を絞って話そうと思うも、「あれ?なんだかズレてきている?」なんて思うことが多々ある。

自分の想いや考えを伝えるって、思っている以上に大変だったりする。
言葉を選んで慎重にと思うと、余計に頭に血が上り背中に冷や汗をかいたりする(苦笑)。

DSC_2739

常くんと琴ちゃん、ゴハン待ち。


どちらかと言うと出不精のわたし。
家に引きこもり、こうやって文章を書いているほうが楽だったりする。
でも、認知症予防の一つには、会話をすることとある。
誰とでもいいから、そしてどんな話でもいいから話すというとが大事らしい。

そうだよね。
古河住まいのとき、誰かと話したい。介護の辛さを誰かと共有したい。その想いで、この会に行きついたのだから。そして、月に1度の会が待ち遠しいくらいだったから。

DSC_2740


認知症や介護、そして一人ぽっちの辛さは、一人で抱え込んではダメ。
言葉を選ばなくてもいいから、口に出すことで気持ちが楽になったりすることもある。
少なくとも、わたしは古河の会で救われた思いでいる。


わたしも、何れは認知症になる。
それが、年齢的なものか病的なものになるかはわからないけれど、今はこうして自分の想いを伝えられる場があることに、感謝している。


いつもお読みくださりありがとうございます。
ランキングに参加しています。
ポチっと応援していただけますと、励みにもなり嬉しいです。

コメントも、お待ちしております。



人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村

介護の辛さ?それは人それぞれで一律ではない

2025.4.23(日)

介護の、なにが一番辛かった・・・?


時々自問自答している。
なぜ今更になってそんなことを想う?

だって、今後は自分が受ける側になるかもしれないから。受ける側として少しでも介護者の負担にならないようにしたいから…などと思ったところで、なってみなければわからないことだし、わたしが母美代さんと同じ症状になるとは限らない。


ずっと言い続けていることは、美代さんとわたしの母娘関係が、一般的な母娘とは違っていたということ。
それが根底にあったことで、美代さんに対する姿勢や態度がかなり厳しくキツイものになっていたように思う。

DSC_2738

黒ちゃん用にドームベッドを出してあげた。
気づくと上手に潰し、巣を作っていた。


わたしの変形性脊椎症は、過去の仕事内容が原因になっていることは間違いないけれど、引き金になったのは介護中でのこと。

介護用ベッドから美代さんを抱き起す際に、腰に出た痛み。
ギックリ腰を何度も経験していたので、その痛みが何であるかはすぐに分かった。

かなり痛くて一瞬うずくまってしまった。
美代さんからは「どした?」と訊かれ、ホントはとても辛かったけれど、痛い素振りはみじんも見せず、気合だけで抱き起した。
火事場のなんちゃらとはいうけれど、正にそんな感じで。

このことがきっかけでわたしの腰を案じた長女は、すかさず腰椎コルセットを買ってくれた。
このコルセットはかなり重宝し、ベッド上でのおむつ交換や、ベッドから抱き起す際には必ず装着していた。


足腰が強いと俳諧が危惧される。
知り合いの父親は自転車で20キロ先の街まで行き、その街の警察に保護されたと言っていた。

美代さんには変形性膝関節症があった。
農作業はほどほどにするようにと医師から忠告を受けていたのに、それを無視し続け畑作業に勤しんでいたが、長年の無理がたたったこともあり、徐々に歩けなくなり最終的には完全車椅子になった。


立てない人を立ち上がらせたり、起き上がれない人を起き上がらせるのは、介護素人のわたしには結構な負担だった。
それは腰に爆弾を抱えた状態でのおむつ交換も然りで、毎回・・・あぁ、しんどいなぁ・・・と思いながらの介護だった。


認知症になると、それまでの人格とは様変わりすることもあるが、美代さんは比較的穏やかで、知らない人には認知症だとは気づかれなかった。

でも、穏やかとはいっても娘に対してはそうではなく、なんなの?!と思えるような言動はそれなりにあった。

DSC_2737

昨夜作った鶏団子スープ。
シイタケ、エノキも一緒に入れた。


わたしは美代さんに優しくなれなかった。
そんな娘に介護される美代さんを、不憫だと思ったことが何度もあった。

わたしの介護を見てきた娘たちは、仮にわたしが認知症になったり歩けなくなったら、なんとするだろう。


世の中には色々な親子関係があると思う。

ある日突然認知症になるわけではないから、普段の様子を知っておくことはとても重要なことだと思う。


一番辛かったのは、優しくなれずに自分勝手な介護を続けたこと。

わたしの介護は後悔だらけ。
たぶん、生きている限りずっと思い続けるのだろう。

今は、面会時に優しい言葉をかけることが、せめてもの償い。


いつもお読みくださりありがとうございます。
ランキングに参加しています。
ポチっと応援していただけますと、励みにもなり嬉しいです。

コメントも、お待ちしております。



人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村

在宅介護の後悔 外では優しい娘を演じていた

2025.4.10(木)

こんな介護なら認知症になってもいいのかも・・・と、思わせられる光景を見た。

ペインクリニックに通院するようになり1ヶ月が過ぎたけれど、この間に3回ほど見かけた患者さん親子。
車椅子の父親とその娘であろう親子の会話に、毎回心を打たれていた。

3118462_s


初めは認知症だとは思わなかったけれど、あれ?、もしかしたら認知症かな?と思える二人の会話と、そこから垣間見えた親子関係。

父親が「もう帰ろ」と言い出した。
すると娘さんは「お父さん、まだ診察していないからもう少し待ってね」。
ここまでは、まぁあるあるの会話。

少し間をおいてまた父親は同じことを言い出した。
ここでわたしは「あ、これはもう認知症ね」と、以前の自分と重ね合わせ、大変だなぁと。
でも娘さんは「お父さん、喉乾かない?お水にする?それとも温かいお茶もあるよ」と。そう、父親の意識を変える会話に誘った。

父親は「温かいほうがいい」と言うので、娘さんは水筒を取り出し飲ませてあげていた。と、更に娘さんはお腹が空いた?と訊き、「確かお母さんがお菓子を入れてくれたはず」と、バッグの中から菓子を取り出し口の中へ入れてあげた。
一口で飲み込んだ父親に「すごいねお父さん、たった一口で飲み込んだね」と褒めてあげる。

・・・うわ~、わたしには絶対にできなかったことだし、褒めるなんてこともしなかったな・・・。


違う日には、娘さんはトイレへ行くので少し待っててねと。
娘さんがいなくなったことで不安になったのだろうか、父親は大声で娘さんの名前を呼び始めた。

「〇〇ちゃ~ん、どこ~?〇〇ちゃ~ん、いないの~?」

周りの患者さんたちは、え?みたいな顔をしながらも、あまり関心を示さない。そう、わたしも他人様のことなので観ぬふりを。

何度も叫ぶ父親だったけれど、娘さんの姿が見えると落ち着きを取り戻し「〇〇ちゃん、どこに行っていたの?」

トイレに行くとちゃんと言っていたけれどね、そこは認知症。一瞬で飛んでしまったのだろうね。

1126260_s


またま違う日。
今日も一緒だ~思いながら遠目に。

この日は大声で「「〇〇ちゃん、帰ろうよ!!」と言いだした父親。
流石に娘さんは「お父さんここは病院だからもう少し静かにしてね」と。
娘さんにいなされ少しおとなしくなった父親だったけれど、その時間が長く続くことはなく、大声で話し始めた。

「うんうん」と聞きながらも「お父さん、もう少し静かに話して」と、あくまでも優しい口調の娘。


こんな風に優しい介護に徹する娘さんを見て、すごいなぁと思ったけれど、同時に家でもこんなに優しいのかな?とちょっとだけ疑問に(苦笑)。


美代さんの在宅介護していたとき、わたしも病院で介助することは沢山あった。そして、なにかあるごとに一々訊かれ、「あ~メンドクサ」と思ったこと数知れず。

でも、わたしは外面は善い(笑)
精一杯できた娘を演じ、メンドクサと思いながらも、なるべく美代さんの意に沿うようにしていた。

そうだ、ある日のスーパーで車椅子に乗せようとしたいた際に、「お母さんの介護ですか、優しいですね」と、声をかけられた。

・・・優しい?いいや致し方なくやっているのであって、決して優しいわけではないのよ・・・

心の中で呟きながらも「ありがとうございます」と笑顔で答えていた。


あの父親の介護度はわかりえないけれど、認知の面ではかなり進行していたのではないかな。
これに、もしかしたら下の介助もあるとしたら、ほんにできた娘さんなのだろうね。

DSC_2731

ナオくんの寝顔は、お兄ちゃんのマナくんそっくり。


もしも過去に戻れるのならば、もう一度美代さんの在宅介護をしてもいい?
答えは・・・no。

戻れることなんてできないだろうし、仮に戻れたとしてもまた同じことを繰り返すような気がする。だから今はできることを精一杯したいと思っている。
そう、それが面会。


100歳まで生きられると言われた美代さん。
今後も、せっせと面会に行こうと思っている。


いつもお読みくださりありがとうございます。
ランキングに参加しています。
ポチっと応援していただけますと、励みにもなり嬉しいです。

コメントも、お待ちしております。



人気ブログランキング

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
にほんブログ村

プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と5にゃんズとの7人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
お問い合わせ
プライバシーポリシー
ギャラリー
  • 認知症の人から笑顔を引き出すには・・・介護者が笑う?
  • 認知症の人から笑顔を引き出すには・・・介護者が笑う?
  • 92歳の誕生日を祝う でも自分の年齢を自覚できない
  • 92歳の誕生日を祝う でも自分の年齢を自覚できない
  • 痺れを軽減させるための漢方薬 効能は痺れとは関係ない?
  • 痺れを軽減させるための漢方薬 効能は痺れとは関係ない?
  • ねこのさくら耳カット わが家のにゃんズに必要だった?
  • ねこのさくら耳カット わが家のにゃんズに必要だった?
  • ねこのさくら耳カット わが家のにゃんズに必要だった?