今日は9年前に癌で他界した夫の、63歳の誕生日です。
(命日は、3月28日。2ヶ月後の誕生日を迎えることなく)

先日お亡くなりになられた、西城秀樹さんと同い年です。

夫が亡くなる2ヶ月ほど前に、父も心不全で亡くなっています。
(経度認知症、79歳の誕生日のその日)

回忌法要は父の命日に併せて済ませてきました。

今日は特に何もしませんが、お酒が好きでしたので仏壇にビールを供えました。

後で、あたしがいただきます。


死についての想いは、「西城秀樹さん、逝く」のブログに記しています。


夫は自由奔放な人間で、普段から死を恐れることはなく、

「俺はやりたいことは何でもやってきた~。この世に未練はない。ただなぁ、孫の顔を見られないのは心残りだな~」

そんな風に言ってました。



医師からの改めての告知はなく、

「手術をしても1年生存率は50%、5年生存率は10%」
そう言われ、

「おまえはまだ若いのだから、俺が死んだら、誰かいいやつがいたらそいつと・・・」

「何言ってるの!ガンバって治そうよ」

途中までの言葉を遮ったわたし・・・。


黄疸が引かず、結局手術をすることもできず、抗がん剤治療を進めることになったのですが、

「どうせ死ぬのなら、ここではなく家で死にたい」


夫の希望を叶えるべく、転院の手続きと民間の救急車の手配をし、明日転院という前の晩。

「俺は死ぬとき苦しむのかなぁ?」

それに対してのあたしの言葉、

「う~ん。それは神様だけが知ってるのかもしれないね・・・」

後悔しています。嘘でも、

「そんなことはないよ・・・大丈夫だよ」

どうして言えなかったのか・・・。

その夜急変、呼吸困難になり心臓マッサージを施すも、入院後約1ヶ月で亡くなってしまいました。



ひとが死を恐れるのは、この世に未練があるから・・・そんな風に思います。


夫の言葉の中にはどれほどの想いがあったのか、今となっては知る由もありません。

命あるものには必ず死が訪れます。

その日が来るまで、できるだけ健康でいたい。できるだけ人様に面倒はかけたくない。

母美代さんを見ていると、つくづく思います。



写真の中の夫は、いつまでも若いまま。わたしだけが年老いていく。

いつの日か、夫のいる場所へ行くことになるでしょう、それまでは夫の言葉ではないのですが、

後悔の無いような日々を送っていけたなら・・・そう・・思います。