介護認定調査は、住所変更なしでも受けられます。

古河市の認定調査員にきて頂きました。

名前、生年月日、年齢と、そつなくクリア。
しかし、ここの住所は答えられない。(まぁ、仕方がない)
昨年までは、デイサービスを受けていたことや、膝、腰が痛いことを、目いっぱいの標準語で説明。
例の如く、言葉がどこまで通じたのか疑問ですが、その後の一通りの質問が終わり、今度は家族への質問。

調査員さんが小声であたしに聞く。

すかさず母美代さん
「なんで小さい声で話すんだ?私に聞こえだらだめなのが?」

まあ、聞こえたところでどうこうなる訳ではないので、普通に受答え。
現状を説明してこれまでの区分を説明すると、調査員さんから一言。

「認知・・・?」
あたしも一言、「はい」と答える。

「アルツ・・・?」

またしても、「はい」

この一言二言で全てが決まるのかな?と思いましたが、
新しいことを憶える力が残っているようなので、まだまだ大丈夫かを訊く。
「その代わり、今後は憶えた順に出ていくんですよ」

甘かった。結局そうなるのだ。
結果は2週間後くらいの連絡になるらしい。

調査員さんが帰った後で美代さんに、調査を受けた感想を訊いた。
「話しやすう人だったな、ちゃんとしゃべれだがら良がったよ」

機嫌は悪くはなかったので一安心。

今度はどの区分になるのか結果待ち。
言葉の壁はあるけれど、お互いのためにもここでのデイサービスを受けることを真剣に考えます。
(美代さんは昨年の9月ここに越してくるまで、地元のデイサービスを受けていた)


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日付、曜日が前後する、電気の消し忘れ、トイレの流し忘れ、ドアの閉め忘れ、鍵の掛け忘れ。

特に日付曜日とドアの閉め忘れが、目立ってきた。

どうして閉めないのか訊くと、
「ん?閉めでねが?閉めだ気になってらったども」

こういう会話がこの先もどんどん増えていくのだろう。

あたしが閉めるのは簡単だけど、本人に気づいてもらわないと、なし崩しになるような気がして。
落ち込んでいるわけではないが、子供返りしていく親の姿を見るのが無性に切なくなる

この気持ちは美代さんにはわからないはず。何故なら、20代で相次いで両親を亡くし、年老いた親の姿を知らずに今に至っているのだから。

果たして、若くして親を亡くすという経験と、親の子どもに返る姿を観るのでは、どちらが悲しいことなのだろう。と考えるも、今は最善を尽くすのみ。