2024.8.2(金)

東北北部も梅雨明けしたようです。
室内の気温は31℃。今の所は扇風機で賄えています。

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昨日、叔母ミッコさんから呼び出しが。
桃とナスとキュウリを分けてくれると言うので、喜んで行ってきた。

ナスとキュウリは、27日に母美代さんの面会の際にも頂いている。
冷蔵庫にまだ残っていたけれど、決して要らないとは言わない。

美代さんが元気だった頃は、野菜を買うということはほとんどなかったが、今は買って食べることが普通になり、野菜代もバカにならない。

一度要らないと言ったら二度と声掛けをしてもらえなくなるはず。だから、例え沢山残っていたとしても、要らないとは言わない。そして、声掛けをしてくれるミッコさんに感謝している。


帰り際に、従兄のヨシさんの話が出た。
ヨシさんは美代さんたち姉妹の長兄の子。
癌を患ってから何年になるだろう…。

「ヨシの具合、悪ってよ。ミサ死んでまだ少ししかたってねども、ヨシも年内もだねがもしれね…」(もたない)

ミッコさんは目に涙を浮かべながら教えてくれた。
自分よりも遥かに若い甥っ子が癌で苦しみ、その命も長くないということを憂いていた。そして、更にヨシさんの妻が可哀想だと。連日の看病で疲れ切っている姿をみるのが辛いと。

「うちも癌だったから…。もし、何かあったら連絡ちょうだい」


お見舞いは何度もしている。そう、入院の度に…。
でも、今回は入院はせずに自宅療養にし、緊急時には掛かりつけ病院へ運ばれる手はずになっているらしい。

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わが夫も癌だった。
診断されたときは既に末期で、入院後約ひと月で死亡。
当時の夫の年齢は53歳。わたしは48歳だった。

あの当時、わたしはただただ悲しかった。泣いてばかりいた。
ミッコさんたち叔母からは「しっかりしろ」と言われた。

2ヶ月前に父を亡くしたばかりで、更に夫も。
そんな状況でも「しっかりしろ」と言われることに、憤りというか…やるせなさを感じたものだった。


死を悼むことは自然なことだけれど、血縁が入ると、そこに差が生じるのは当然かぁ。
ヨシさんに恨みはないけれど、わたしのときの対応とはえらく違うものだなぁと、ある意味嫉妬のような感情が湧いていた(苦笑)。


若くして連れ合いを亡くす(失くす)辛さを、叔母たちは知らない。
ヨシさんの妻を可哀想だと言うのなら、16年前のわたしにも、せめてもう少し違う言葉をかけてほしかった(苦笑)。


命は永遠ではない。
今生は一度だけ。


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