2023.6.8(木)

昨日のKちゃんのグレイヘアを参考ネタに。

母美代さんが白髪染めを始めたのは、50代半ば辺りからだったような。
入浴中に染めるために、時計をお風呂のドアの前に置き、染めている間は寒いのでタオルを肩に掛け、ひたすら時間が過ぎるのを待っていた。


わたしが実家を出た時、美代さんは67歳。
この頃はまだ染めていたと思う。
毎年、GW・お盆・お正月は帰省していたが、いつの間にか黒からグレイに代わっていた美代さんの髪。

いつから染めなくなったのだろう。
わたしは、美代さんの髪の色をそれほど気にしていなかったということなのだろうか。

人間の記憶は、新しい物が入ってくると古い物は自動的に追い出されるらしい。
毎日を忙しくしてあの頃。母親の髪の色などは、どうでも良かったのかもしれない。


美代さんと古河で同居するようになり、ほぼグレイヘアになった髪を観て、思った。そう、トレードマークにもなったいたヘアーマニキュア。

・・・今なら綺麗に入るかもしれない・・・

美代さんは恥ずかしがっていたが、染まった色にまんざらでもない様子だった。

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初めの頃はピンクを入れていた。
要介護1で、携帯電話を自由に操作できていた頃。


両親共にグレイヘア。
わたしもグレイヘアになることは遺伝的に間違いないと想うが、グレイヘアを受け入れることができるかが問題(苦笑)

今は派手な茶髪でいるが、髪の毛の大半が白くなってきたら諦めもつくのだろうか。そうなったら、美代さんのようにヘアーマニキュアを入れてみてもよいのかも。

俳優(歌手?)の美輪明宏さんのようなド派手な黄色はさすがに恥ずかしいが、そのときの年齢と肌色に合った色を選択できればと思う。


要介護3で加須市の特養へ入所した時は、ブルーのヘアーマニキュア。
入所後も、行きつけの美容室で染めてもらうつもりでいたが、コロナ禍で外出もできない状況になり、染めることはできなかった。
そして、実家に戻ってからは車椅子となり、更に外出ができなくなり染めることはなくなった。

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美代さんは、ヘアーマニキュアをしていたことも忘れているだろう。
写真を見せながら、あの頃はああだった・こうだったと、美代さんの記憶を呼び起こすことができたなら幸い。
そんな日が、一日でも早く来ることを願ってやまない。


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