2022.5.16(月)

2000年の3月に岩手を出た。21年が過ぎ22年目に入っている。

21年前、茨城に越すことを夫から告げられとき、

・・・やっと、美代さんから離れられる・・・

心の底から嬉しいと思った。


家を出る話を両親に持ち出した時に、言われた言葉がある。

「そうか。まぁやってみればいいんだ」

「なして出で行ぐのよ?!」


人の記憶の正確さはどこまでが守られているのだろうか。
この二つは、両親から言われたことに間違いはないが、わたしの記憶が曖昧でどちらが父で母でかが、判らなくなっている。
自分の想いを都合よく採ると、好きではなかった母が言ったであろう言葉が「なして出で行ぐのよ」

わたしのとっては、亡き父の方が色々な面で理解があった。
几帳面で、時には頑固、時にはおおらかな性格が出ていた父。
料理が得意で、裁縫や編み物・日曜大工もお手の物だった。
勉強やスポーツ、ファッションに関しても父と話している方が楽しかった。

これらを考えると、「やってみればいいんだ」と言ってくれたのが父で、
そうであってほしいという願望が強いように思う。

DSC_1945


岩手に戻ることを、仏壇にある写真に告げた。
わたしの声があの世とやらに届いているかは分からないが、勝手な想いで、
聴きとどめてくれのではないかと思っている(苦笑)

17年の9月に岩手から離れた美代さんも、7月には戻ることになる。
父が亡くなったことを理解していない美代さん。
家に戻ったら、夢に出て「お帰り」と言ってくれるだろうか。
それとも、仏壇の脇で美代さんにだけ姿を現してくれるのだろうか。



「おとうちゃん、ずっと不義理しちゃったね。ゴメンね」

長女として生まれ婿取りをしながらも、実家を離れてしまった。
この先は、どんな運命が訪れるのかは分からない。
運命は自分で選ぶものだと言う。

「やってみればいいんだ」


やってみて、戻ることを選んだ。


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