2021.5.5(水)

子どもの日(端午の節句)
昔から、子どもの日は晴れの得意日だった記憶があるが、今年は曇りベースで風もあり肌寒い気がする。

母美代さんの衣類を中心とした断捨離をしているが、物持ちの善さ(捨てられない症候群)に感心している。
野良着はどうせ汚れるだろうからと、ボロボロになるまで着ようとしていたことは解るが、シミがつき人前で着るには恥ずかしいと想える服や、ほころびをかがり縫いし、他の生地でアップリケをしたようなものまで綺麗に畳んで仕舞っていた。
いつかは着られる・・・そう思っていたのだろうが、結局の所は着ることもなく、あたしとの同居が始まり、今となっては持っていたことさえ忘れているだろう。

タオル類も半端ない量が仕舞ってあったが、長い年月をかけ、コツコツと溜め込んだのだろうね。そしてボロボロにほつれ色褪せてしまった物を、いつまでも使い続けていたようだ。
新しい物を使うように言ったことがあったが、「まだ使える」が言い癖になっていた。

帰省時にバスタオルを使わせて欲しいと頼んだ時に「ダメだ」と言われ、あたしは100均で購入した物を使っていた。
それはシーツに至っても同じで、あたしに使わせるものはないと言われた。
ところが、妹ソノコ家族が泊まる際には、人数分の新し物を出し、ソノコは当然の如くそれを使っていた。
美代さんは、ソノコ達にはとても気を遣っていたが、家娘のあたしにはそこまでする必要はないと思っていたようだ。

今回、仕舞い込んでいた新しいバスタオルが、数枚出てきた。
入居している特養では、一度に5枚の持ち込みが必要で、揃えるのが大変だった。
洗濯後は乾燥機に入れることになっているようで、生地自体が痛むのも早くなるだろうから、予備として持って行くことにする。

靴下や肌着・ズボンも、数点がまだ使えそうな物があったが、ここに置いていても、誰も着ることもない衣類たちだ(基本、サイズが合わない)持って行こう。

ソノコが言うように、美代さんは亡くなった訳ではないが、着ることのない服を後生大事に仕舞っておいても、それこそタンスの肥やしになるだけ。
着られるものはちゃんと避け、明らかに「もういいでしょ」と想えるものはゴミへ。

捨てる捨てないは、その服にときめきを感じるかどうかだと、片付けの達人【こんまり】(近藤麻理恵)さんが言っていたが、物を捨てられない美代さんには、ときめきの度合いなどは関係なかったのかもしれないね。

4488878_l


9日は母の日。
花キューピットで、母の日のプレゼントを用意した。
当日より早く届くかもしれないと言われたので、ホームに連絡し保管してしてもらうように頼んだ。
美代さんは、ホームシックもなくなり不穏な状態もなく、ご飯も完食しニコニコしているらしい。

これまでにも、母の日には何かしらのプレゼントを用意してきた。
一緒に住むようになってからは、カーネーションだけになっていたが、何も贈らないことはなかった。
そう言えば大阪のソノコから、美代さんが入所した特養の名前を訊かれなかったな。彼女にとって、母親とはどんな存在なのだろう。

むすめ達は、両親にプレゼントをしてきたあたしの姿を観ているので、あたしに対してもプレゼントをしてくれる。

背中って、大事だな~って、思うけれど、捨てられない母の血を受け継いだのはソノコで、あたしは片付け魔だった父親に似たのかもしれない。