2021.4.30(金)

あたしは二人姉妹の長女。妹のソノコとは3歳違い。

両親の子育ては昔風で、長女のあたしは跡取り娘。故に将来は婿取りをするのだと、幼い頃からマインドコントロールの如く言われていた。
そして、次女のソノコには何れは家を出て行くことになるのだと、遠まわしに聞かせていたようだった。

中学生か高校生だった頃か「お姉ちゃんはいいね、ずっとお父ちゃやお母ちゃと居られて」こんなことを言われた記憶がある。

「ずっと居られて」と言っていたソノコは、高校卒業後は県南の短大に進学し、家を出て行った。
卒業後も、家から通える職場だったにもかかわらず、アパートを借り一人暮らしを始めた。
当時は、あたしの結婚で、他人である義兄が居る家に居るのが嫌だったのだろう・・・そんな風に想っていたが。

ソノコが嫁ぐことが決まった時は、ウエディングドレスを決めるなど、ファッションに疎い美代さんではなく、あたしが付き添った。
式場や親せきを乗せるバスの手配・当日の流れなど、細かなことにも手を貸していた。
そして、嫁ぐ日には、「お姉ちゃん、お父ちゃとお母ちゃのことを頼みます」こんな殊勝なことを言っていた。

ソノコは夫の仕事の関係で、頼る人が誰も居ない埼玉県で暮らすことになり、両親の傍で暮らすあたしを羨むようになった。
その羨むことが、徐々に恨めしいに代わってきた。

「お姉ちゃんいいよね、お金の苦労も知らずにのほほんとしていられて」

月日は経ち、あたしも夫の仕事関係で茨城に越すことになり、その際言われたことは、

「これからは、関東同士仲良くやりましょうね」

あたしが実家を離れたことを、ソノコは歓迎していたようだった。

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次女夫婦が住むことになり、あたしの部屋はなくなった。
帰省時は田舎によくある座敷で寝ていた。

そう、次女の結婚前は、ソノコ親子が帰省したときは座敷と下座敷がソノコ御一行様の部屋として使われていたが、それができなくなったことで、あたしはソノコにとんでもないことを言ったらしい(記憶にございません・・・)

とんでもないこと・・・「あんたたちが来ても寝泊まりする部屋は無いよ」
この言葉をソノコは、「実家には来るな」と、受け取ったようだった。

来るなとは言っていない。見解の相違だが、言った方は憶えておらず、言われた方はいつまでも憶えているのが世の常?で、ソノコは悔しくて情けなくて、かなり長い間泣いて暮らしていたそうだ。

元々、帰省時のソノコはお客様状態で、美代さんも精一杯のことをしていたが、何故こんなにも妹に気を遣わなければならないのかと、気に病んだことがあった。
ソノコ曰く、

「年に一度くらいしか行かないのだから、おもてなしをしてくれてもいいじゃない!あんたには、おもてなしの心が欠けているのよ!!気遣いや配慮が足りないのよ!」

お・も・て・な・し・・・どこかで聞いたことがあるわね(笑)
毎回お客様面でやってきて、言いたいことを言って帰るソノコだったが、電話の向こうでは苛立っていた。

寝泊まりの件は、謝った。本心から言っているのかと訊かれ、一応「そうだよ」と。そして、この際だから言いたことがあるなら、なんでも聞くからと

「・・・今日の所はここまでにして置く」

この後は無言が続き、最後に一言。

「入所の件、お疲れ様でした」

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特養に入所する日もその前にも、美代さん宛てには電話をくれなかったソノコ。
義弟の両親は共に認知症で、母親が施設に入所する際泣いていたと、夫弟から聞かされていたらしい。
美代さんの様子はどうだったかと気に掛けての電話が、最終的にはあたしへの不満を爆発させる内容になっていた。

あたしに対しての鬱憤はそれはそれだが、母親への気遣いは無いのか。
確かに短期記憶はなくなっているけれど、一言くらい声を掛けてくれても良かったのではないか。

実家とは何だろう。
美代さんも、生家を恋しがる。

あたしが実家に帰省するのは、やはり跡取りとしての責任があるから。
遠く離れた茨城に住んでいても、美代さんが生きているうちは実家に対しての責任がある。
ソノコは、ソノコが実家に固執するのは何故だろう。

姉妹とは・・・何ぞや。