2021.4.29(木)

一昨日の27日、大阪に住む妹のソノコからライン電話が入りました。


美代さんとの同居が始まったのは17年の9月からで、その頃は要介護1で、外を歩く際は杖を使っていたが、自分の事はそれなりにできていた。
入浴も、頭と背中以外は自分で洗えていたし、パッド交換も一人でできていた。

記憶に関しても、今に比べてみると正常と想えるくらいだった。
第一、読み書きができていた。
そう、毎日日記をつけさせ、図書館から児童書を借りて来て読んでいた。

この頃の美代さんの就寝時間は午後9時~10時で、冬期間は自分で電気毛布のスイッチも入れられていた。
衣服に関しては、昔から洒落っ気のない人だったので、ハンガーに掛けた服を前から順に着るように教え、一人で着ることができていた。
歩行も、右手にミニじょうろを持ち、杖無しでベランダ栽培の野菜に、水やりをすることができていた。
本当にアルツなの・・・と、疑ったこともあったが、食事内容以外は今にしてみれば平和な時期だったと想う。

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     元気だったころの美代さん

15年に次女が結婚し、どこに住むかということになり、あたしの部屋だった2階の一室が空いていたので、畳をフローリングに換え娘夫婦の部屋とした。
次女の夫が住むことで、駐車スペースを確保しなければならず、美代さんには申し訳なかったが、裏の畑を潰した。その際、肥よくな土が勿体なく、花壇がある場所に一輪車を使い移し入れた。
美代さんは花より団子で、花壇は野菜用の畑に代わり、好きな野菜を植えていた。

ソノコに言われた。
美代さんが認知症になったのは、大好きだった野菜作りの畑を潰され、土いじりができなくなったからだと。
ソノコは、その際の土の移動のことは知らない。知らないままに、積もっていた鬱憤をあたしにぶつけてきた。

わが家には、家の裏以外にも車で10分ほどの所に畑があり、美代さんはセニアカーでその畑まで行き、土いじり・野菜作りを楽しんでいた。
ソノコは、畑のある場所を知ってはいたが、足を運んだことはない。一度たりとも畑仕事を手伝ったこともない。

あたしとソノコとの姉妹関係は、あまり良好とは言えない。
あたしも鬱憤はあるが、元をただせば両親の子育てから始まる。

長くなりますので、パートⅡにて。