2021.4.3(土)Ⅱ

「美代さん、ここは茨城県なの。岩手までは車で7時間くらいかかるのよ。ちょいとそこまでと行って来られない距離なの」

「古河市が?」

「そうだよ。良く判ったね」

昨日、ユカ・サキはいつ来るのだと訊いてきた。
これまでは、のらりくらりとはぐらかしてきたけれど、特養に入るのだからこの際だと思いハッキリと言った。

ついでに、古河市に来るまではどこの家に誰と暮らしていたのかも併せて訊いてみた。
生家のナガゼギで、美代さんの弟夫婦と一緒に住んでいたと言い、そこにはユカ・サキも住んでいると思っている。
・・・あぁ、そうかぁ・・・父と建てた家で暮らしていたことを教えてもピンと来ず、ならばと、周りの風景や近所の店を教えると、

「あぁ、何となぐおべでら」

これらは昼頃の会話で、夕方に「おさらい」と称して訊いてみたが、訊くだけ無駄で、やはり憶えてはいなかった。

そりゃそうよね。5分前の記憶が飛んでしまうんだもの、憶えていられたら、すこぶる改善されたことになるわよね。
でも、日によっては何日か前のことを憶えていることもあるから、不思議よね。


認知症になったことを「やんたなぁ」と嘆くけれど、だからと言って何かに当たったり、あたしに危害を加えたりすることはない。

「あだま悪ぐなって、何もおべでね」

この言葉に、可哀想と感じるか仕方がないと感じるか。
両者もありだけれど、可哀想と感じるのはクリアな人の一方的な考えのようにも想う。
なぜなら、美代さんは頭が悪くなったことよりも、歩けなくなったことやおしっこが駄々洩れすることの方を大きく嘆くからだ。

歩けたなら、外に出て大好きな草取りをするし、オシッコが漏れなければ邪魔なパッドをあてがうこともないと言い、これさえなければ、もっと自由で居られたとも言う。

確かに、歩けていたなら・おしっこが漏れたりしなければ、あたしの負担はもう少し軽かっただろう。
でも、歩けていたならこの先は徘徊に悩むだろうし、パッドに関しては5年以上も前からあてがっていたのだから、今更の様な気もする。

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オシッコをした後のペーパーを、トイレの棚に置こうとする素振りを見せた。「エッ」と、想った次にはそのペーパーを握りしめていた。
あたしは思わず、

「美代さん!汚いからトイレに捨てて!!」

なぜ大声を出されたのかも判らなかった美代さん。
言われるままにトイレに捨てていたけれど、こういう姿を観ると確実に認知症なんだなと思ってしまう。

善悪とまでは言わないけれど、普通にやらないことをやってしまうのが美代さん。
やって欲しいことはやらず、やってはいけないことをやってしまう。
やる理由があると言うけれど、ペーパーを握りしめたのは、もしかしたらまだ使えると思ったのかもしれない。

使用済みのティッシュペーパーやウエットティッシュを、後生大事に仕舞って置くことが増えた。
でも、仕舞って置いたことも忘れ「オレが置いたのではない」と、言う。

今日はデイサービス日。
あと何回、お世話になるだろう。

特養からの、説明会の連絡がまだ来ない。
なるべく早くその日が来て欲しいと想ったり・・・
いやいや、できるだけ一緒に居られる時間を望んだり・・・

あたしの気持ちは、毎日揺れている。