2021.4.2(金)
日曜日に撮って来た、生前遺影写真が出来上がりました。
台紙に挟まれた写真と、CD。
70歳以上は30%引きなのだそうで、お代は7,700円。
会計の前に、出来上がった写真を見せてもらい、開口一番。
「あらっ、綺麗! 加工しているのですか?あたしよりもシワがないです」
「少しだけですけれどね」
載せている写真では分かりづらいけれど、頬の辺りがピーンと張り、シワもシミもなく目立たなく、肌色もとても綺麗。
丁寧にお礼を述べてお店を後にした。
帰宅後に美代さん見せると、
「あだまの色きれったな」(綺麗だな)
「いや~、こんなにも綺麗に出来上がるんだね。もう、いつ死んでもいいね」
「この写真、おでらさ飾られるんだな。誰みでもわがるよな?」
(お寺に、みても判るよな)
むすめ達にも、早速ライン送信。
ふたり共、「いいじゃん!」と、返信.。゚+.(・∀・)゚+.゚
最近は、生前葬をやる人も居るらしいが、何となく解る気がする。
自分が亡くなったら、当然だけれど自分の葬儀を観ることはできない。
あたしは想う。
写真だけでも、自分のお気に入りのものを使って欲しいと。
例えば、思い出の写真を遺影にしても良いとは思うけれど、あたしの顔は、ほうれい線のシワが深く、自撮り写真ではそのシワが少しでも目立たないようにするため、不自然な笑顔になってしまう。
この様にプロに頼むと、気になっている部分が修正や加工を施してもらえ、気持ち若返った写真に出来上がることが判った。
あたしの場合は、突然の事故や命に関わる病気にならない限り、もう暫くは生きていられると想うから、生前遺影の準備は未だ必要ないと思うけれど、看板にもあったように、70歳を過ぎたらそろそろと、考えてみても良いのかもしれない。
暫くの間、自分の写真を眺めていた美代さん。
髪の毛の色のことは気にしていたけれど、顔のことは何も言わなかった。
もしかしてだけど、写真の顔がまんま自分の顔と思ってる?
ま、いいんですけれどね(苦笑)
日曜日に撮って来た、生前遺影写真が出来上がりました。
台紙に挟まれた写真と、CD。
70歳以上は30%引きなのだそうで、お代は7,700円。
会計の前に、出来上がった写真を見せてもらい、開口一番。
「あらっ、綺麗! 加工しているのですか?あたしよりもシワがないです」
「少しだけですけれどね」
載せている写真では分かりづらいけれど、頬の辺りがピーンと張り、シワもシミもなく目立たなく、肌色もとても綺麗。
丁寧にお礼を述べてお店を後にした。
帰宅後に美代さん見せると、
「あだまの色きれったな」(綺麗だな)
「いや~、こんなにも綺麗に出来上がるんだね。もう、いつ死んでもいいね」
「この写真、おでらさ飾られるんだな。誰みでもわがるよな?」
(お寺に、みても判るよな)
むすめ達にも、早速ライン送信。
ふたり共、「いいじゃん!」と、返信.。゚+.(・∀・)゚+.゚
最近は、生前葬をやる人も居るらしいが、何となく解る気がする。
自分が亡くなったら、当然だけれど自分の葬儀を観ることはできない。
あたしは想う。
写真だけでも、自分のお気に入りのものを使って欲しいと。
例えば、思い出の写真を遺影にしても良いとは思うけれど、あたしの顔は、ほうれい線のシワが深く、自撮り写真ではそのシワが少しでも目立たないようにするため、不自然な笑顔になってしまう。
この様にプロに頼むと、気になっている部分が修正や加工を施してもらえ、気持ち若返った写真に出来上がることが判った。
あたしの場合は、突然の事故や命に関わる病気にならない限り、もう暫くは生きていられると想うから、生前遺影の準備は未だ必要ないと思うけれど、看板にもあったように、70歳を過ぎたらそろそろと、考えてみても良いのかもしれない。
暫くの間、自分の写真を眺めていた美代さん。
髪の毛の色のことは気にしていたけれど、顔のことは何も言わなかった。
もしかしてだけど、写真の顔がまんま自分の顔と思ってる?
ま、いいんですけれどね(苦笑)