2021.3.19(金)

今日から25日までの1週間、美代さんはショートステイにお泊りです。
土日の送迎がないので、金曜日の今日からの利用です。

3月23日に、亡き父と夫の十三回忌法要を岩手の菩提寺で執り行います。
七回忌法要までは、家族以外に親戚にも声掛けをしましたが、今回は家族・それも、あたしとむすめ達の3人だけの法要になります。

あたしの妹・ソノコですが、現在大阪在住で、コロナ禍の中での長距離移動を心配し、出席しないとの連絡が来ています。
その、一番の理由は「自分が感染したら、夫に迷惑が掛かる」でした。これも致し方なしなのでしょう。

喪主の美代さんが出席しないのは、父が亡くなったこと理解できていないから。
昨年のお盆には帰省し、お墓参りも普通にできていた。
お墓の前で「じっちゃ、来たよ」と、挨拶できていた。

父の死を理解できなくなったのは昨年秋から暮れにかけてだったような。
年が明けてからは「どうしてここにいないんだ」「どこで何をしているんだ」「ちゃんとご飯を食べているんだろうか」などと、とにかく父を心配する言葉が出ていた。

それに合わせ、あたしも頑張って迷女優をしていたが、美代さんのツッコミに耐え切れずに「じいちゃんは亡くなったんだよ」と、言ってしまったことがあった。
その時は、驚きながらも一応理解していたようだったが、暫くするとまた元に戻り「じっちゃが心配だ」を繰り返すようになっていた。

あんなにも心配していた父のことを、ここ最近は全くと言って良いほど口にしなくなっている。美代さんの中で何かが変わったのだろうか・・・。
あたしは、敢えて言うこともしないが。

今回の法要については、以前1~2回話しているが、たぶんぜ~んぶ忘れていると想う。
今朝も、法要のことは一言も話していない。
それよりも「ショートステイで皆様方と一緒に美味しいご飯を食べてきて」
こう言って送り出した。

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美代さんがあたしと暮らし始めたのは、2017年の9月から。
それまでは、岩手の家であたしのむすめ達と暮らしていた。
岩手の家・・・父と美代さんが建てた家だが、その家のこともすっかり飛んでしまっている。
美代さんが口にする家は、美代さんが生まれ育った生家。

「まや、家のオレの部屋の隣さ藁をおいでいだども、おめ、それをどごさやった?」(置いていた)

美代さんの生家がどんなだったか、あたしは殆ど忘れているが、茅葺屋根だったことだけは憶えている。
美代さんは、生家の図面等も全て頭にあるようで、美代さんが暮らしていた当時、あたしも一緒に暮らしていたと思い込んでいる(60数年以上も前のこと・あたしは生まれていない)
こんな風に昔のことは鮮明に憶えていても、そこに現在の事を入りこませる不自然さもある。

「美代さん、あたしと暮らし始めて何年になるか判る?」

「何言ってれ。ずっと一緒にいだべな(居たでしょ)

3年半前に岩手を出てきたことは、既に頭にはない。
住んでいるのは岩手だと思い込み、ご近所には生家があると思っている。

特養に入居したら、初めのうちは戸惑うかもしれないが、段々にあたしと暮らしていたことも忘れていくのだろう。
そして、想いは常に生家。

田んぼの向こうには生家があると、言い出すのかもしれない。