2020.12.23(水)

何故最初から一言「やって頂戴」が言えないのでしょうね。

ずっとやってもらっているから、それが当然になっているから、あたしが動かないと・・・やってもらえないことを何故?と、思うようです。

昨夜もひと悶着ありました。
あたしが動かなくても、自分でしようとしていました。
・・・あ、そう。できるのならやればいいじゃない・・・
でも、できないのです。
泣きついてきましたが、それでも頭に来たあたしは放っておきました。
と、すると自分でしようとします。
が、結局できずに中途半端なまんま。

「なして始めがらしてくれねのや!」

「だって、自分でやろうとするからでしょ。できるのなら最後までやればいいじゃない」

「こったに苦しい想いしてるのに、おめはそったにオレのごどがにぐいのが?」

「そうよ、今のあなたのことは憎いわね!なんなのその態度は?できないならできないって最初から言えばいいでしょ」

憎い・・・。
母が憎いのか、それとも病気が憎いのか。
たぶん・・・両方。

一人でやらざるを得ない暮らしをしてきた美代さん。
気持ちは解ります。
あたしも48歳で未亡人となり、相談したくても誰も頼る人もなく、全て自分で決断していました。
母親である美代さん相談しても、答えは導きかれないことは解っていたので、敢えて相談もしませんでした。
そのことは娘たちも理解していて、おかぁは何でもひとりでやってきたもんね・・・と言います。

「ひとりでできるもん」
あたしもその一人。となると、果ては美代さんのようになる?
いやいやいや、ダメでしょ。

【人の振り見て我が振り直せ】
世の中に絶対はないと言うけれど、美代さんのようには絶対になりたくない。
100歩譲って美代さんと同じ病気になったとしても、もう少し可愛い病人でいたい。
自分の意思が失われたとしても、介護する人に面倒と思われたくない。

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昨夜の憎いと言われたことが夢見に繋がったかどうか、今朝起きざまに言われました。

「死ぬ夢みでらった」

「あのね、寿命が来ないと死なないのよ。あなたみたいな意気地なしは、首をくくることも包丁で胸を刺すこともできないんだから、迎えが来るまで変なことは考えないことね」

「その通りだな・・・」

人一倍怖がりで痛いことが大嫌いな美代さん。
以前、死に方が判らないと言われ、ご飯を食べなければいいのだと教えましたが、それはできないどうしてもお腹が空いて食べてしまうと言っていました。

仏教の教えに「修行のためにこの世に生まれる」とありましたが、人それぞれの修行のこの世で、美代さんの修行はいつまで続くのでしょうか。

あたしの介護も修行の一環なのかもしれません。
死、以外の神様からのご褒美を頂きたい。
こんな考えを持っているうちは、まだまだ修行が足りないということなのかもね。

今朝のデイケアからの迎えの際、両手を引いて玄関まで連れ出しました。
車に乗り込むまで、杖歩行とタッフから手を引かれるのと、どちらが良いかと訊くと、手がいいと。

今朝は、素直に人の手を借りた美代さんでした。