9月から、在宅介護4年目に突入。

10年とか15年とか、長く介護をされているご家族様には、たったの4年?!と、思われる方も中にはいらっしゃるでしょう。

DSC_0938


DSC_0940

あたしには、おぎゃとこの世に生を受けた時には、父方の祖母のみでした。
その祖母からお小遣いをもらったり、どこかに連れて行ってもらった記憶は全くなく、亡くなる頃に認知症を患っていたのかも判りません。
要は、自分の周りには認知症患者が居なかったのです。

亡き父も認知症患者でしたが、亡くなる頃は要支援1か2で、自分のことは何でもできていたので、認知症であると言う実感はなかったです。
ただ、離れて暮らしていたので、介護は母任せ。
その母美代さんは、トイレを汚されると、ぼやいていました。

美代さんは自分の母親の看護経験はあります。
祖母は、たぶんガンだったのだと、美代さんは言います。
入院していた医院には、当時7~8キロほどの道のりを歩いて見舞いに行っていたそうです。
亡くなる前辺りには病室に詰め、貧乏故にゴザ・ボロ布を布団代わりにし、看病していたと言います。(今から、60年以上前のこと)

父方の祖母が亡くなったのは、記憶の中ではあたしが小学6年生のとき。
用務員をしていた父の、勤め先の町立病院に入院していました。
仕事の合間を見て、父は病室に詰めていたそうです。
学校から帰ると、家ではなく病院の用務員室で過ごすことが多かったのですが、父からは病室にはなるべく行かないようにと言われていました。

美代さんは、祖母の看病はしていなかったはず。
当時は土方仕事をしていたので、看病どころではなく、また、息子の父が居るのだからと、自分がすることではないと想っていたようです。
そう、美代さんからはお姑さんである祖母とは、あまり仲が良い状態ではなかったと、聞いています。

48歳で亡くなった母親の、看病の経験はあっても介護経験は無し。
お姑さんに至っては、看病も介護も無し。
その母が認知症になり、あたしの介護を受ています。

父も総入れ歯でしたが、自分で入歯洗浄をしていました。
トイレを汚していたかもしれませんが、リハパンのお世話にはなっていなかったし、入浴も一人でできていました。
母は、介護度が父よりも上ですが、入歯洗浄からリハパン・尿とりパッドの交換まで、全てあたし任せ。
おまけに、トイレも汚します。
入浴は、浴槽に浸かることができないので、家では無理。

認知症の疑いが出てきたことでの同居。
この3年で、随分と進行したと感じています。
日々、カッカしながらの介護をしてきました。

DSC_0941

   見ようによっては黒猫・桐ちゃん((=゜エ゜=))


因果応報。
穏やかな認知症と言われても、毎日同じことの繰り返しで、あたしはイライラが増す一方。
いつかあたしも、美代さんのように認知症になるかもしれない。
そのとき娘たちは、今のあたしが美代さんに辛く当たっているように、あたしにも辛く当たって来るのでしょうね。

この先、あたしが少しでも優しい介護をすることができたなら、それを観た娘たちはあたしを見習ってくれるのでしょうか。
母の記憶は無くなっていっても、あたしの記憶はこの先も詰め込まれる。
コップから溢れ出す前に、嫌な記憶は排除したいと思ってしまう。

優しい介護・優しく在りたいと思いつつ、今日もつんけんとした態度を取ってしまう。