1週間前に買っていた柿。
ヘタの辺りに少し青みが残っていたので、南側の窓辺に数日置き、軟らかくなるのを待っていましたが、なかなかシブトク軟らかくならないので、あたし得意の「ま、いっかぁ」で冷蔵庫へ。
昨日、流石にそろそろ食べなきゃと思い、食べやすい大きさにカットし母へ。

「柿、テーブルに置いたから食べて」

美代さんは「カリッカリッ」と、音をさせながら食べていましたが、暫くして「この入れ物に入っているのは何だ?」と、訊いてきました。
あたしはすぐには応えず、思い出すのを待っていましたが「リンゴにも見えるども・・・あぁ、カギだぁ。やっと出た」と。

自分で考え思い出したのです。それはそれで良いのですが、その後に出た言葉は「美味しいリンゴだな」で、半分ほど食べ残していました。

「ねぇ、残してある柿だけど、食べるの?それとも食べないの?どっち?」

「は?オレはカギは食べでね」

・・・出た出た・・・
「じゃあ、リンゴでもいいよ。食べないならラップして冷蔵庫へ入れて」

「はぁ?オレはリンゴは食べでね」

・・・え?・・・
「もう、リンゴでも柿でもいいけどどうすればいい?」


「食べね」

「じゃぁ、捨てるよ!」

結局、残した分はあたしが頂きましたが、リンゴ・柿の区別がつかなくなり、食べたか食べないかの記憶もない。
これも、順調な進行なのでしょう。

でも、なんだか寂しいです。
秋の味覚を味わえず、何を食べたかも判らずに結局捨てても苦にならない。
勿体ない精神で生きてきたはずなのに、情けないです。

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そうかと思えば今朝のこと、例のごとくリハパン論争ですよ。
昨日は火曜日でデイには行かない日でした。
美代さんは勿体ないからとリハパン交換はせずに、一昨日のリハパンのままで過ごしました。

二日間穿いていたリハパンは、パッドから漏れた尿でそこそこ汚れていましたが、ぜんぜん濡れていない汚れていないと手で触りまくり、頑としていました。
新しいリハパンと見比べさせ、重みや汚れ具合を確認させたのですが、あたしの目には、涙が溢れていました。

涙目のあたしの顔を観た美代さんは、渋々新しいリハパンを穿いてくれましたが、柿は簡単に捨てられるのに、なぜにあんなにも臭くて汚れたリハパンを捨てられないの!?

「ひとりできるもん」はいいですよ。
自分でできることは、なるべくなら自分で。
そう、言い続けやらせてきましたから。

でもね、判断できなことを・間違っていることを、平気で「できるもん」でやってほしくないのです。
できなのならそれでも良い。潔くあたしに任せてほしいのです。

「もう、あなたの面倒は看きれない!岩手に行けばいい。ユカもサキも面倒は看てくれないよ。あなた一人で生きればいい」

そして更には、

「転んで動けなくなればいい。そしたら介護施設に入れて、あたしは楽になるから」

美代さんは黙って聞いていましたが、どこまで聞き取れていたのかは判りません。
ここまで言われても平気で居られるのは認知症のせいなのか、それとも元々の空気を読めない性格からなのか。

迎えに来て下さったデイケスタッフに「今朝、母と喧嘩しました。どうして言うことを聞いてくれないのでしょうね・・・」
今朝のスタッフは見た目30代後半くらいでしたが、

「ゆっくりと休んでいてください・・・」

憐れむような眼が、印象的でした。

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このままだと、何れは手を出してしまうのではないか。
若しくは、自分を傷つけてしまうのではないか。

美代さんに言い放った言葉は本心です。
もう、辛いのです。
まともな会話がしたい。
黙ってうなずいて、聞いてくれる・・・そんな存在がほしい。

PS
リハパンについての正しい対処法。
捨てられないリハパンについては、
「今日はデイケアのお出かけ日なので、
新しいリハパンを穿きましょうね、このリハパンは明日穿きましょうね
この様に言い、汚れたリハパンはこっそりと捨てる。

やり方は解っていますが、カーッと頭に血が上がっている状態では、この様に穏やかにはできません。