今年の梅雨は長かった。
で、我が借家に変化があった。

母美代さんの部屋の壁は、元々が土壁。
その土壁の上からクロス張りにしている。

4~5日前に、壁の一部分が剥がれている箇所を見つけた。
それも結構な長さで。
剥がれているのは、ここだけ?
そう思いながら見回すと、なんと天井近くから床間際まで、あちらこちらが剥がれていた。

昨日、午前中に大家さんへTEL。
来週には岩手へ帰省予定なので、できればその前に直してほしいことを伝えた。
大家さんの動きは早く、午後には修理に来て下さった。

作業内容は、一見簡単そうに見えた。
剥がれたクロスに糊を塗り、刷毛で均一にしてローラーでコロコロと押さえつけていた。
その間、認知症についての世間話。

大家さんのお母様も認知症だったことは、以前に聞いていたが、もう少し突っ込んで訊いてみた。
在宅介護は6年ほどだったらしいが、仕事で傍にいられなことも多く、このままでは危険と想えることがあり、最終的には特養に入れたそうだ。そして認知症発症から10年近くで亡くなったと言っていた。

宅配のお弁当を頼んでいたらしいが、昼に届いたそのお弁当を開けられず、大家さんが帰宅した時には真っ暗な部屋で食事も摂らずにしょんぼりしていたと。
そうかと思えば、お弁当を電子レンジで温めようとしたらしく、時間設定を間違え、レンジの中でプラスチックは溶け、おかずの入っていたアルミ箔からは火花が飛び散り火事直前になることもあったと。

亡くなられた年齢を訊いてみた。77歳だったと。
ということは、発症は67歳くらいの時?
この年齢での発症は、若年性になるのかな・・・
若い頃は、活発で認知症になるなど思いもよらなかったと、そして、足腰が丈夫だったので徘徊も多く大変だったとも言っていた。

あたしは美代さんと仲が悪い。
幼い頃からの母娘関係が、尾を引いている。
大家さんはどうだったのだろう?

大家さんにはお兄様がいらっしゃるらしいが、介護については一切関わらず全てを大家さんがしていたらしい。親子関係は良好だったと。
もの忘れも頻繁になり、一人では何もできない状態になっていったが、それらは納得していたことで苦にはならず、幼子に返るような姿を可愛くさえ思っていたらしい。

・・・おとなだ・・・
と、思うも、そこはやはり親子関係の良好さがあるのだと、勝手に解釈した。

お母様は最終的には、どこまで進んだのかと訊くと、
亡くなる頃には、5になっていたとのこと。
特別な事情がない限り、特養には要介護3にならなけらば入所できないと、専門書には記されている。
とすると、大家さんは3になるまでの間、一人で介護していたことになる。
まぁ、あたしも一人だが、娘が母親の介護をするのと息子のとでは、色いろと面倒なこともあったのではないかと察するが、そこは大家さんの優しさが大きかったのだろう。

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因みに、大家さんの現在の年齢は40代後半。
30代の頃に発症されたお母様の為に、都内での仕事を退職したと以前に聞いていた。
介護は、家族の運命も変える。

大家さんの介護の経験で、この家には美代さんの為の手摺や、段差を無くす配慮もしてくださった。
あたしは、大家さんの爪の垢を煎じて飲んだ方が善いのかもしれない。

この先、介護度が進行していったら、あたしは美代さんに優しく接することができるのだろうか。
どんな風に変化していっても、結局はやるしかないのだろう。