「今朝は暑いな。この機械うごがさねのが?」

「機械?」

「ほれ、換気扇よ」

振り向くと扇風機を指している。
温度計は、28度。
母が言うほど暑くはなかったが、廻してあげた。

「これ、扇風機だからね」

「そだ、扇風機だ」

岩手生まれ岩手育ちの美代さん。
実家にエアコンが設置されたのは、5~6年前だったような。
いつもは室温が30度を超えないと暑さを感じないのに、今日は蒸し暑く感じたようだ。
エアコンの風は寒いと言い嫌うが、扇風機の生ぬるい風は美代さんには心地よいらしい。

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ここの所、めっきりご無沙汰しているお仏壇の父へのご挨拶を済ますと、もう一つの写真を観て、

「じっちゃの子どもは、おめどソノコだども、このおどごは〇〇だよな。これには子どもはいるのが?」(男)

仏壇には、父とあたしの夫の写真を立てている。
昨年、肺炎から退院したあとには、父の写真を観て「この男は誰だ?」と言っていた美代さんだった。
あれ以来、父の写真を観て自分の夫だと認識できない日もたまにはあったが、今朝はしっかりとしていた。その変わりと言っては何だが、〇〇と名前は言えてもあたしの夫であることは、すっかりと飛んでいた。

「その人はあたしの旦那さんだよ」

「ん~?したら子どもは誰よ?」

ユカとサキであると教えた。
ユカとサキが自分の孫であるという認識はあるが、写真の男性があたしの夫であり、娘たちの父親であることには結び付かない。

「そが、ユカどサキの父親が・・・」

たぶん、その内忘れる。
そして、間違いなくまた同じことを訊いて来る。
こういうことの繰り返しで、何れは写真にも興味を持たなくなるのかもしれない。
面倒くさいと思いつつ、毎回「こうだよ・ああだよ」と教えているあたし。
これが正しいのか、放っておけば良いのか正直判らないが、取り敢えず・・・たぶん、このスタンスは変わらないように想う。

そう言えば、あたしが以前通っていたパソコン教室のパンフレットに載っていた「同じことを100回訊いてもお応えします」の言葉。
仮に、100回教えて実になるのであれば良いが、100回聞いたところでその場で忘れる美代さん。
本人には毎回が初めてなので、100回も聞いているという意識もないのだろう。
人に教える知識があったとしても、あたしには向かないように想う。

今日も、何度も同じことを訊かれている。
この状態が、あと何年続くのだろう。