亡き父は料理男子だった。
あたしと妹のソノコは、父の手料理で育った。
そう言っても過言ではない。
亡き父は花男子だった。
我が家の庭は(実家)、父が植えた数々の色とりどりの花で埋め尽くされていた。
手作りの垣根の扉から花壇に入ると、そこには小径が続き美しい花たちが
「観て、キレイでしょ」と、語り掛けてくるような想いを抱かせてくれるような庭だった。
その花たちの中で、一番好きだったのが「グラジオラス」
最近は、あまり見かけることがないが、子どもの頃は一般的な花だったように思う。
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小学5年生の夏休み、宿題で絵を描いた。
勿論水彩画だが、あたしは水で薄めることなく画用紙に塗っていた。
いや、薄めてはいたが水彩画特有のぼかしのような描き方ではなく、色の重ね塗りでおおよそ水彩画には程遠いような絵になっていた。
グラジオラスを1本。
担任は何も言わなかったが、廊下に張り出されたその絵を観た6年生は、
「これ、絵具?何かギトギトした絵だね」
この言葉は50年近く経った今でも忘れない。
認知症の仲間入り?
いいや、違う。
あたしは、図画工作は得意だった。
勿論絵を描くことも。
父が育てたグラジオラスの絵を批判?された・・・。
今にして思えば、小学生の素朴な感想だったのだろうが、一生懸命に描いた絵を悪く言われたという想いは、心の片隅にずっと残っていることも確かなこと。
あたしの料理の基本は亡き父。
何処の家庭の母親でも、普通に作ってくれるような料理がテーブルに並んでいたが、父はアレンジが好きな人だったので、外食で食べた料理を自分なりに工夫して並べてくれることもあった。
当時の一般家庭にはない食材を使った料理。
そのまま作ることは難しいが、手に入らないものは無理をすることなく他の食材で賄っていた。そんな記憶がある。
夫が亡くなり一人暮らしになり、料理をすることもほとんどなくなっていた。
毎日、豆腐とサラダが中心で、たまに魚料理や、夫が好きだったもつ煮込みをあたし流に調理することもあったが。
母美代さんと暮らし始めて、あたしの手料理は開花された・・・はずなのだが、そんな甘いものではない。
好き嫌いがあり、尚且つ総入れ歯で硬い物やイカ・タコのように噛み切れない物は常にフードプロセッサーの出番。
料理は見た目もあるが、みじん切り・フードプロセッサーではそんなものは跡形もなくなってしまう。
「これは、なんだ?」
そうよね。
何を食べているかも判らないよね。
だって、仕方ないじゃない。そのまま出したら絶対言うよね!
「かだくて食べれね」
食べてくれる人がいるから料理の腕も弾むはずなのに、食べてくれる相手が料理音痴の母。
正直、作る気力も失せる。
それでも食べさせない訳にはいかない。
今夜はお刺身。
プロを使わずに済む。
絶対言うよ!
「おいしい~」
だって、噛めるんだものね。
美代さんが美味しいと言う料理。
それは味ではなく、あくまでも自分の歯(入歯)で噛める料理。
噛めないのは、歯の大切さを学ばなかったから・・・。
そして思う。
食べられたら、なんでもいいよね・・・。
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あたしと妹のソノコは、父の手料理で育った。
そう言っても過言ではない。
亡き父は花男子だった。
我が家の庭は(実家)、父が植えた数々の色とりどりの花で埋め尽くされていた。
手作りの垣根の扉から花壇に入ると、そこには小径が続き美しい花たちが
「観て、キレイでしょ」と、語り掛けてくるような想いを抱かせてくれるような庭だった。
その花たちの中で、一番好きだったのが「グラジオラス」
最近は、あまり見かけることがないが、子どもの頃は一般的な花だったように思う。
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小学5年生の夏休み、宿題で絵を描いた。
勿論水彩画だが、あたしは水で薄めることなく画用紙に塗っていた。
いや、薄めてはいたが水彩画特有のぼかしのような描き方ではなく、色の重ね塗りでおおよそ水彩画には程遠いような絵になっていた。
グラジオラスを1本。
担任は何も言わなかったが、廊下に張り出されたその絵を観た6年生は、
「これ、絵具?何かギトギトした絵だね」
この言葉は50年近く経った今でも忘れない。
認知症の仲間入り?
いいや、違う。
あたしは、図画工作は得意だった。
勿論絵を描くことも。
父が育てたグラジオラスの絵を批判?された・・・。
今にして思えば、小学生の素朴な感想だったのだろうが、一生懸命に描いた絵を悪く言われたという想いは、心の片隅にずっと残っていることも確かなこと。
あたしの料理の基本は亡き父。
何処の家庭の母親でも、普通に作ってくれるような料理がテーブルに並んでいたが、父はアレンジが好きな人だったので、外食で食べた料理を自分なりに工夫して並べてくれることもあった。
当時の一般家庭にはない食材を使った料理。
そのまま作ることは難しいが、手に入らないものは無理をすることなく他の食材で賄っていた。そんな記憶がある。
夫が亡くなり一人暮らしになり、料理をすることもほとんどなくなっていた。
毎日、豆腐とサラダが中心で、たまに魚料理や、夫が好きだったもつ煮込みをあたし流に調理することもあったが。
母美代さんと暮らし始めて、あたしの手料理は開花された・・・はずなのだが、そんな甘いものではない。
好き嫌いがあり、尚且つ総入れ歯で硬い物やイカ・タコのように噛み切れない物は常にフードプロセッサーの出番。
料理は見た目もあるが、みじん切り・フードプロセッサーではそんなものは跡形もなくなってしまう。
「これは、なんだ?」
そうよね。
何を食べているかも判らないよね。
だって、仕方ないじゃない。そのまま出したら絶対言うよね!
「かだくて食べれね」
食べてくれる人がいるから料理の腕も弾むはずなのに、食べてくれる相手が料理音痴の母。
正直、作る気力も失せる。
それでも食べさせない訳にはいかない。
今夜はお刺身。
プロを使わずに済む。
絶対言うよ!
「おいしい~」
だって、噛めるんだものね。
美代さんが美味しいと言う料理。
それは味ではなく、あくまでも自分の歯(入歯)で噛める料理。
噛めないのは、歯の大切さを学ばなかったから・・・。
そして思う。
食べられたら、なんでもいいよね・・・。
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それに対して無反応、あるいは批判。
作る気力が失せるか、ホなら食べんとき!
こんな気持になってもおかしくないですよね。