人間50年。
武将・織田信長の時代のこと。

2020年。
人生100年の時代。

30代・40代の頃、親が認知症になるなど努々思っていなかった。
自分の周りにも、認知症患者が居なかったので、認知症の知識もなかった。
と、言うより、
あたしの周りには年寄りがいなかったので、年寄りがどういう生き物なのかさえ分からなかった。

あたしが46歳のとき、父が認知症と診断を受けた。
アルツハイマー型認知症。
その当時は、最新の専門書を買い、一生懸命勉強した。
父の行動が何に因るものなのか、どういう時にこの行動が出るのか。
認知症の年寄りを知らなかったので、本に頼るしかなかった。

それでも、軽度だったので自分の事は自分でできていた。
足腰は丈夫だったので、農作業もできていた。
76歳で診断を受け、79歳で死亡。
この間3年。
特に進行することもなく、まぁもの忘れが少し増えた。くらいだった。

スポンサーリンク


40歳のとき実家を離れ、17年後の2017年。
母美代さんが認知症となり、実家に置いておくわけにはいかず、
古河での同居が始まった。

物を認知できなくなるから、認知症なのか。
それは物だけではなく、言葉や人に対してもだ。
午前中、例の如く寂しいと言い孫娘のユカに電話。
掛け方も忘れていたので、教えた。

会話中「エッ?」と、思うことが。
「いがった、ヨッコど話でぎで・・・」とか「は?おらえさ、ネゴはいね」
(オレの家)

美代さんは孫のユカと話していたはずだが、いつの間にかヨッコさんと
話していることに。
そして、桐と青のにゃんズがいることも、頭にはなかった。
忘れた。というより、すっぽりとその記憶が抜ける。
と、専門書には書いてある。

ユカに愚痴を言っていた。
いつもあたしに怒られている、もの忘れすることは自分でも解っている。
もっと優しく教えてくれたら、理解できるのに・・・の、ような事を。

悲しくなる。
順序立て、ゆっくり話しているが、一度で解るはずもなく二度三度と繰り返していくうちに、声のトーンは上がり結果怒られているように感じるのだろう。

わからなければそれで善い。
だが、美代さんの場合は聞きたがる。なんでもかんでも聞きたがる。
二度も三度も教えたのだから、少しくらいは解っているのだと思い会話を進めるが、理解などしておらず話にならない。

もの忘れを自覚しながらも、教えてくれたらまだまだできると信じている。
そのくせに、時には
「オレのあだまバガになったよんた。だがら教えられでもわがらね」
などと、平気で言う。

DSC_0623

完全に振り回されている・・・と、思う。
あたしは女優にはなれないようだ。
美代さんの話に合わすことができない。
否定してしまう。
「はい・いいよ・そうだね・わかったよ」などとは、どうしても言えない。

人生100年の時代で、食欲旺盛な美代さん87歳。
この先、どの様に進行していくのだろう。
あたしは、毎日文句を言いながらひたすらに母の面倒を看るしかない。
親を疎ましく思うあたしは、最低の娘なのだろう。
最低の娘から介護を受ける母。

仕方・・・ないよね。


うがい・手洗い・マスク着用を。
外では距離を保ちましょう。


スポンサーリンク