「るろうに剣心」
むすめ達が好きで、単行本を集めていました。
アニメ好きのあたしも、暇を見ては読んでいました。
何年か前に映画化もされ、
主人公の緋村剣心役をやられたのは、佐藤健さん。
その中で、志々雄誠の10本刀の一人に瀬田宗次郎という、若者がいます。
映画では、神木隆之介さんがやられています。
彼、瀬田宗次郎は幼きときに両親を惨殺され、志々雄誠と出会い一派になったという経緯だったような・・・うる覚えですみません。
宗次郎には喜怒哀楽の「楽」しかないのだそうです。
親を失ったことから、無常に対する恨み?で「喜怒哀」を封印し、
「楽しこと」だけで生きているという。
わが家の日めくりカレンダーの下には、ことわざが載っています。
365日の日めくりなので、当然365日分が載っている訳です。

昨日の朝のことです。
捨てようと思ったところ、「怒り」の文字に引き付けられました。
「怒りは敵と思え」です。
ことわざ辞典をパラパラ。
『怒りは身をほろぼす敵と思って、慎むことが大切である。こちらの怒りは必ず他の怒りか恨みを招くものである。徳川家康の遺訓であるが、実行の難しいことだけに、ことさら語勢を強めて敵といい、自重を求めている』
(日東書院発刊 ことわざ辞典より)
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最近のあたしは美代さんに対して、いつも怒鳴っている。
そう、怒っているのです。
「おごるな、どったなどぎもある」認知症の母に諭されるあたしって・・・
でも、その原因を作っているのは誰!
好きで認知症になった訳ではない。
そんなことは当たり前のことと、理解はしている。
でも、怒らずにはいられない。
怒りから恨みを招くのであれば、あたしの言動は美代さんの恨みを招くことになる・・・のか。
母を、物事の判断ができない2~3歳児くらいと思えば、怒りも発しないのか。

子育て経験のあるあたし。
むすめ二人を育てている。
色んな時があった。
聞き訳がなく、押し入れに閉じ込めたり、お尻をひっぱたいたこともあった。(昭和の時代のこと・・・今では虐待になりかねないのでしょうね)
ならば、何度も同じことを繰り返し、聞き訳のない美代さんをひっぱたいてもいいのか?
答えは・・・たぶんNOでしょう。
だって本人には、悪いこと・間違ったことをしているという、意識が無いのだから。
幼子も、同じでしょう。なぜ叩かれるのか判らない。
でも、できないことができるようになり、いづれは叩かれた記憶も薄れていくのでしょう。
認知症患者は、何故叩かれたかの判断ができず、できなことが増え、叩かれた記憶だけが残る。
専門書には、そう記されています。
思うに、全ての認知症患者が怒られた記憶だけが残るのか。
症状が進行すれば、怒られた記憶もなくなっていくのではないか。
だって、今いまの記憶が飛んでしまうのだから。
怒らずに、楽しいことだけを考え生きる。
言うほど簡単なことではないです。
喜びもある。怒ることもある。そして哀しむことも。
美代さんの喜怒哀楽はいつまで続くのか。
あたしの怒りが収まるのは、美代さんの症状がどこまで進行した時なのか。
「もさげねな・・・」(申し訳ないな)と、言う美代さん。
面倒をかけているという自覚がありながら、やっていることは支離滅裂。
もしかしたら、手が・足が出るかもしれない。
それでも今は、怒りと上手に付き合っていくしかない。
その様に、思います。
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むすめ達が好きで、単行本を集めていました。
アニメ好きのあたしも、暇を見ては読んでいました。
何年か前に映画化もされ、
主人公の緋村剣心役をやられたのは、佐藤健さん。
その中で、志々雄誠の10本刀の一人に瀬田宗次郎という、若者がいます。
映画では、神木隆之介さんがやられています。
彼、瀬田宗次郎は幼きときに両親を惨殺され、志々雄誠と出会い一派になったという経緯だったような・・・うる覚えですみません。
宗次郎には喜怒哀楽の「楽」しかないのだそうです。
親を失ったことから、無常に対する恨み?で「喜怒哀」を封印し、
「楽しこと」だけで生きているという。
わが家の日めくりカレンダーの下には、ことわざが載っています。
365日の日めくりなので、当然365日分が載っている訳です。

昨日の朝のことです。
捨てようと思ったところ、「怒り」の文字に引き付けられました。
「怒りは敵と思え」です。
ことわざ辞典をパラパラ。
『怒りは身をほろぼす敵と思って、慎むことが大切である。こちらの怒りは必ず他の怒りか恨みを招くものである。徳川家康の遺訓であるが、実行の難しいことだけに、ことさら語勢を強めて敵といい、自重を求めている』
(日東書院発刊 ことわざ辞典より)
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最近のあたしは美代さんに対して、いつも怒鳴っている。
そう、怒っているのです。
「おごるな、どったなどぎもある」認知症の母に諭されるあたしって・・・
でも、その原因を作っているのは誰!
好きで認知症になった訳ではない。
そんなことは当たり前のことと、理解はしている。
でも、怒らずにはいられない。
怒りから恨みを招くのであれば、あたしの言動は美代さんの恨みを招くことになる・・・のか。
母を、物事の判断ができない2~3歳児くらいと思えば、怒りも発しないのか。

子育て経験のあるあたし。
むすめ二人を育てている。
色んな時があった。
聞き訳がなく、押し入れに閉じ込めたり、お尻をひっぱたいたこともあった。(昭和の時代のこと・・・今では虐待になりかねないのでしょうね)
ならば、何度も同じことを繰り返し、聞き訳のない美代さんをひっぱたいてもいいのか?
答えは・・・たぶんNOでしょう。
だって本人には、悪いこと・間違ったことをしているという、意識が無いのだから。
幼子も、同じでしょう。なぜ叩かれるのか判らない。
でも、できないことができるようになり、いづれは叩かれた記憶も薄れていくのでしょう。
認知症患者は、何故叩かれたかの判断ができず、できなことが増え、叩かれた記憶だけが残る。
専門書には、そう記されています。
思うに、全ての認知症患者が怒られた記憶だけが残るのか。
症状が進行すれば、怒られた記憶もなくなっていくのではないか。
だって、今いまの記憶が飛んでしまうのだから。
怒らずに、楽しいことだけを考え生きる。
言うほど簡単なことではないです。
喜びもある。怒ることもある。そして哀しむことも。
美代さんの喜怒哀楽はいつまで続くのか。
あたしの怒りが収まるのは、美代さんの症状がどこまで進行した時なのか。
「もさげねな・・・」(申し訳ないな)と、言う美代さん。
面倒をかけているという自覚がありながら、やっていることは支離滅裂。
もしかしたら、手が・足が出るかもしれない。
それでも今は、怒りと上手に付き合っていくしかない。
その様に、思います。
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私も毎日何回も怒っています。
(怒り狂っているときもある)
怒ってはいけないと思いながらも、感情がある限りは怒らないことは不可能だと思います。
美代さん、謝るだけ良心的です。
うちの母は謝りません。
悪いと思っていないようです。
日に日にできないことが増えていき、自分はできないからやってもらって当たり前だと思っているようです。
でも私だって何もかもできる訳じゃない。
仕事もしているし闘病もしている。
自分の通院、母の通院、ケアマネさんやデイサービスの施設担当者との打ち合わせ、愛犬の病院・・ちゃんとした休日(心休まる時間)がありません。
怒りを通り越して悲しくなります。
認知症は病気。
母は病気だから悪くない。
病気の辛さはなった人にしかわからない。
私の病気が母に分からないように、私も母の病気が分からない。
いつか私も認知症になるかも知れない。
そう思っても、無性に一人になりたくなります。
自営じゃなかったら、愛犬がいなかったら・・家出をしていたかもしれません。
母が産み育ててくれたから、いま自分がいる。
だから今度は私が母を看る。
頭では分かっているし、そうしたい、そうしなければいけない気持ちはあるのだけれど、時々(しょっちゅう)気持ちが付いて行きません。
病気は頑張れば回復するけれど、認知症は治らない。
どころか進行する。
どうしてこんな病気があるのか?と恨めしくなります。