次女サキが、ポツンとつぶやきました。
「あたしも、こんな風になるのかなぁ・・・」

こんな風にとは、勿論美代さんのことです。
サキは誕生日で34歳。

あたしには、祖父母との思い出の記憶がありません。
小学校6年のとき、父方の祖母が亡くなっています。
その祖母との楽しい記憶・・・てか、何かを一緒にしたという記憶もないのです。

祖母が亡くなった当時は土葬で、俗にいう「棺桶」の中に小さく座らされていたその姿は、今でも記憶に残っており、人の死を初めて感じた瞬間でした。
中学生となり、担任に死についてを問うたことがあり、職員室の隣の相談室に招き入れられ、何かを言われた記憶があります。
何かを・・・話の内容は忘れましたが、危うい精神の生徒だったのかもしれません。

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子供の頃から老人と接したことがなく、認知症の知識も皆無だったあたし。
父も認知症を発症していましたが、当時は要支援1or2で、母の様な物忘れの記憶はありません。
一応、専門書を読み母にも教えていましたが、めんどくさがりの母は、あたしのアドバイスなど一向に聴かず、父に対しては辛く当たっていたようです。

日中は、仕事に出ていたむすめ達。
父が、母に対して暴言を吐いている姿は、目にしたことがあると言っていましたが、それは、母の、父に対する態度が気に入らなくてなのだと、感じていたようです。
父の状態を訊いても、認知症であるという認識はそこまではなかったようです。

あたしも思います。
母の様になるのかしら・・・?

世の中には老人と言われる方は沢山いらっしゃるでしょう。
その中で、認知症になる・ならないの境目は、どこにあるのでしょう。
父は70代半ばでの発症。
それに対して母は、80代に入ってから。
医師からは、スローペースでの進行になると言われています。

亡くなる頃も、入浴は一人でできたいた父。
そして、79歳の誕生日、浴室での「心不全」という名の死。

美代さんは、入浴の手順が判らなくなっていますが、全てをあたしがしているので、父のような亡くなり方はしないでしょう。

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小学6年で、祖母の亡き骸を見、死に対する考えが身近なものになっていました。
23歳、夫の父親の死。
48歳、父・そして夫の死。

順番にいけば、姑(現在は疎遠)長生きのお墨付きを頂いている美代さん。
スローペースと言えども、記憶がまだらになったり飛んだりの状態。

願わくば、美代さんが存命中には認知症になりたくない。
その日が来たら、あたしの手で送り出したい。
それが、あたしを含めむすめ達の想い。

デイのない今日。
朝から落ち着かず、トイレに行くと言いながら、居間と自室を行ったり来たり。
これは、もしかして徘徊の症状?

母の様には、なりたくない。


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