2022.4.25(月)
母美代さんを特別養護老人ホームに入所させて、今日で一年が経ちました。
初めの頃の面会ではわたしに対して笑顔が無く、たぶんですが「入所させられた」感が強く在ったのでしょう。
それが2ヶ月・3ヶ月と過ぎるうちに徐々に笑顔を観ることができ、慣れてきたのかなと思えるようになっていました。
在宅介護していた時は、ブログの内容はほぼ愚痴で、毎日まいにち、美代さんの悪口ばかりだった記憶です。
わたしは、経済的な理由から実家に戻ると決めました。
その為には、施設に居る母をどうしたらよいかと、認知症の家族の会のIさんにお会いして相談に乗ってもらいました。
Iさんは、現在要介護5の妻様をお一人で在宅介護なさっていますが、以前は3年半の間、特養にお世話になっていたそうです。
妻様の介護をするようになって15年。在宅に戻して7年くらいと。
在宅に戻した理由は個人情報なので書けませんが、戻してからの時間を、介護を有意義に工夫するように心掛けたのだそうです。
聴いていて「はぁ?有意義に!?」でしたが、介護の見方を変えたことで自分が苦しむということが少なくなったとおっしゃっていました。
妻様ができなくなることをまんま受け止め、失敗した際は自分のやり方が悪かったのだと考え、できるための工夫をするようにしていたそうです。
そして、工夫したことが成功した時は自分を褒めるようにしていたと。
例えばですが、オムツ交換をする際は寝かせたままでは大変ではないですか?の質問に対して、予めテープを軽くくっつけて置き、座らせた状態でリハビリパンツの様に穿かせるのだそうです。
トイレの際は、粗相をすることが続くことも有ったそうで、オシッコだけではなく、ウンチが手に付くこともありで、トイレットペーパーを何枚も用意していたそうですが、いちいち巻くことに時間をかけることを省くために、簡単に使えるガサチリに変えたそうです。
介護職の方は仕事では笑顔になれるが、いざ家族の介護となるとそうはいかないと言います。
その言葉を受けたIさんは、それならば自分が介護のプロという気持ちでやってみようと気持を切り替えたそうで、そうすることで気持ちが楽になったと。
今の時点では、特養を退去させ在宅に戻すことを八割方決めています。
岩手に戻ることで経済状況が改善されますが、それにより介護度が上がる頃にはもう一度特養にお世話になることも考えています。
そして、古河での在宅介護の経験を、なるべく改善するように努力したいことも伝えました。
これまでは一人での介護でしたが、実家に戻れば娘たちがいる。
介護は、家族でするものとおっしゃっていたIさんですが、Iさんにはお子様はいらっしゃらないそうです。
そして、時には娘さんたちの手を借りながら、夢を持つことですと。
お母様には、その夢が実現しなくても希望にはなるはずで、そのモチベーションが大事ではないかと。
わたしはまだまだ未熟なので、Iさんのように気持ちの切り替えがすんなりとできるかは疑問。
でも、在宅介護3年半でのあらゆる失敗や後悔は、今後の介護に於いての糧になるのでは。そのように想っています。
在宅に戻したなら、以前の様な愚痴がでることもあるでしょう。もしかしたら、戻した後悔の言葉が出るかもしれない。
でも、この一年間、特養に入れた罪悪感を持ったままで暮らすことがとても辛かった。優しくできなかったことの後悔を持ちながら面会に行っていた。
母を好きではなかった。今でもそれは同じ。
「心のどこかでは、お母様のことが好きなんですよ」
Iさんの言葉をそのまま受け止めることはできないけれど、そして退去の理由は経済的なことだけれど、それでもやり直す機会が訪れたと思いたい。
長文をお読みいただきありがとうございます。
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母美代さんを特別養護老人ホームに入所させて、今日で一年が経ちました。
初めの頃の面会ではわたしに対して笑顔が無く、たぶんですが「入所させられた」感が強く在ったのでしょう。
それが2ヶ月・3ヶ月と過ぎるうちに徐々に笑顔を観ることができ、慣れてきたのかなと思えるようになっていました。
在宅介護していた時は、ブログの内容はほぼ愚痴で、毎日まいにち、美代さんの悪口ばかりだった記憶です。
わたしは、経済的な理由から実家に戻ると決めました。
その為には、施設に居る母をどうしたらよいかと、認知症の家族の会のIさんにお会いして相談に乗ってもらいました。
Iさんは、現在要介護5の妻様をお一人で在宅介護なさっていますが、以前は3年半の間、特養にお世話になっていたそうです。
妻様の介護をするようになって15年。在宅に戻して7年くらいと。
在宅に戻した理由は個人情報なので書けませんが、戻してからの時間を、介護を有意義に工夫するように心掛けたのだそうです。
聴いていて「はぁ?有意義に!?」でしたが、介護の見方を変えたことで自分が苦しむということが少なくなったとおっしゃっていました。
妻様ができなくなることをまんま受け止め、失敗した際は自分のやり方が悪かったのだと考え、できるための工夫をするようにしていたそうです。
そして、工夫したことが成功した時は自分を褒めるようにしていたと。
例えばですが、オムツ交換をする際は寝かせたままでは大変ではないですか?の質問に対して、予めテープを軽くくっつけて置き、座らせた状態でリハビリパンツの様に穿かせるのだそうです。
トイレの際は、粗相をすることが続くことも有ったそうで、オシッコだけではなく、ウンチが手に付くこともありで、トイレットペーパーを何枚も用意していたそうですが、いちいち巻くことに時間をかけることを省くために、簡単に使えるガサチリに変えたそうです。
介護職の方は仕事では笑顔になれるが、いざ家族の介護となるとそうはいかないと言います。
その言葉を受けたIさんは、それならば自分が介護のプロという気持ちでやってみようと気持を切り替えたそうで、そうすることで気持ちが楽になったと。
今の時点では、特養を退去させ在宅に戻すことを八割方決めています。
岩手に戻ることで経済状況が改善されますが、それにより介護度が上がる頃にはもう一度特養にお世話になることも考えています。
そして、古河での在宅介護の経験を、なるべく改善するように努力したいことも伝えました。
これまでは一人での介護でしたが、実家に戻れば娘たちがいる。
介護は、家族でするものとおっしゃっていたIさんですが、Iさんにはお子様はいらっしゃらないそうです。
そして、時には娘さんたちの手を借りながら、夢を持つことですと。
お母様には、その夢が実現しなくても希望にはなるはずで、そのモチベーションが大事ではないかと。
わたしはまだまだ未熟なので、Iさんのように気持ちの切り替えがすんなりとできるかは疑問。
でも、在宅介護3年半でのあらゆる失敗や後悔は、今後の介護に於いての糧になるのでは。そのように想っています。
在宅に戻したなら、以前の様な愚痴がでることもあるでしょう。もしかしたら、戻した後悔の言葉が出るかもしれない。
でも、この一年間、特養に入れた罪悪感を持ったままで暮らすことがとても辛かった。優しくできなかったことの後悔を持ちながら面会に行っていた。
母を好きではなかった。今でもそれは同じ。
「心のどこかでは、お母様のことが好きなんですよ」
Iさんの言葉をそのまま受け止めることはできないけれど、そして退去の理由は経済的なことだけれど、それでもやり直す機会が訪れたと思いたい。
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