にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん4歳。黒ちゃん4歳。常くん4歳。連くん2歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、91歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

2021年04月

姉妹は他人の始まり・・・? Ⅱ(姉妹とは)

2021.4.30(金)

あたしは二人姉妹の長女。妹のソノコとは3歳違い。

両親の子育ては昔風で、長女のあたしは跡取り娘。故に将来は婿取りをするのだと、幼い頃からマインドコントロールの如く言われていた。
そして、次女のソノコには何れは家を出て行くことになるのだと、遠まわしに聞かせていたようだった。

中学生か高校生だった頃か「お姉ちゃんはいいね、ずっとお父ちゃやお母ちゃと居られて」こんなことを言われた記憶がある。

「ずっと居られて」と言っていたソノコは、高校卒業後は県南の短大に進学し、家を出て行った。
卒業後も、家から通える職場だったにもかかわらず、アパートを借り一人暮らしを始めた。
当時は、あたしの結婚で、他人である義兄が居る家に居るのが嫌だったのだろう・・・そんな風に想っていたが。

ソノコが嫁ぐことが決まった時は、ウエディングドレスを決めるなど、ファッションに疎い美代さんではなく、あたしが付き添った。
式場や親せきを乗せるバスの手配・当日の流れなど、細かなことにも手を貸していた。
そして、嫁ぐ日には、「お姉ちゃん、お父ちゃとお母ちゃのことを頼みます」こんな殊勝なことを言っていた。

ソノコは夫の仕事の関係で、頼る人が誰も居ない埼玉県で暮らすことになり、両親の傍で暮らすあたしを羨むようになった。
その羨むことが、徐々に恨めしいに代わってきた。

「お姉ちゃんいいよね、お金の苦労も知らずにのほほんとしていられて」

月日は経ち、あたしも夫の仕事関係で茨城に越すことになり、その際言われたことは、

「これからは、関東同士仲良くやりましょうね」

あたしが実家を離れたことを、ソノコは歓迎していたようだった。

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次女夫婦が住むことになり、あたしの部屋はなくなった。
帰省時は田舎によくある座敷で寝ていた。

そう、次女の結婚前は、ソノコ親子が帰省したときは座敷と下座敷がソノコ御一行様の部屋として使われていたが、それができなくなったことで、あたしはソノコにとんでもないことを言ったらしい(記憶にございません・・・)

とんでもないこと・・・「あんたたちが来ても寝泊まりする部屋は無いよ」
この言葉をソノコは、「実家には来るな」と、受け取ったようだった。

来るなとは言っていない。見解の相違だが、言った方は憶えておらず、言われた方はいつまでも憶えているのが世の常?で、ソノコは悔しくて情けなくて、かなり長い間泣いて暮らしていたそうだ。

元々、帰省時のソノコはお客様状態で、美代さんも精一杯のことをしていたが、何故こんなにも妹に気を遣わなければならないのかと、気に病んだことがあった。
ソノコ曰く、

「年に一度くらいしか行かないのだから、おもてなしをしてくれてもいいじゃない!あんたには、おもてなしの心が欠けているのよ!!気遣いや配慮が足りないのよ!」

お・も・て・な・し・・・どこかで聞いたことがあるわね(笑)
毎回お客様面でやってきて、言いたいことを言って帰るソノコだったが、電話の向こうでは苛立っていた。

寝泊まりの件は、謝った。本心から言っているのかと訊かれ、一応「そうだよ」と。そして、この際だから言いたことがあるなら、なんでも聞くからと

「・・・今日の所はここまでにして置く」

この後は無言が続き、最後に一言。

「入所の件、お疲れ様でした」

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特養に入所する日もその前にも、美代さん宛てには電話をくれなかったソノコ。
義弟の両親は共に認知症で、母親が施設に入所する際泣いていたと、夫弟から聞かされていたらしい。
美代さんの様子はどうだったかと気に掛けての電話が、最終的にはあたしへの不満を爆発させる内容になっていた。

あたしに対しての鬱憤はそれはそれだが、母親への気遣いは無いのか。
確かに短期記憶はなくなっているけれど、一言くらい声を掛けてくれても良かったのではないか。

実家とは何だろう。
美代さんも、生家を恋しがる。

あたしが実家に帰省するのは、やはり跡取りとしての責任があるから。
遠く離れた茨城に住んでいても、美代さんが生きているうちは実家に対しての責任がある。
ソノコは、ソノコが実家に固執するのは何故だろう。

姉妹とは・・・何ぞや。


姉妹は他人の始まり・・・?

2021.4.29(木)

一昨日の27日、大阪に住む妹のソノコからライン電話が入りました。


美代さんとの同居が始まったのは17年の9月からで、その頃は要介護1で、外を歩く際は杖を使っていたが、自分の事はそれなりにできていた。
入浴も、頭と背中以外は自分で洗えていたし、パッド交換も一人でできていた。

記憶に関しても、今に比べてみると正常と想えるくらいだった。
第一、読み書きができていた。
そう、毎日日記をつけさせ、図書館から児童書を借りて来て読んでいた。

この頃の美代さんの就寝時間は午後9時~10時で、冬期間は自分で電気毛布のスイッチも入れられていた。
衣服に関しては、昔から洒落っ気のない人だったので、ハンガーに掛けた服を前から順に着るように教え、一人で着ることができていた。
歩行も、右手にミニじょうろを持ち、杖無しでベランダ栽培の野菜に、水やりをすることができていた。
本当にアルツなの・・・と、疑ったこともあったが、食事内容以外は今にしてみれば平和な時期だったと想う。

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     元気だったころの美代さん

15年に次女が結婚し、どこに住むかということになり、あたしの部屋だった2階の一室が空いていたので、畳をフローリングに換え娘夫婦の部屋とした。
次女の夫が住むことで、駐車スペースを確保しなければならず、美代さんには申し訳なかったが、裏の畑を潰した。その際、肥よくな土が勿体なく、花壇がある場所に一輪車を使い移し入れた。
美代さんは花より団子で、花壇は野菜用の畑に代わり、好きな野菜を植えていた。

ソノコに言われた。
美代さんが認知症になったのは、大好きだった野菜作りの畑を潰され、土いじりができなくなったからだと。
ソノコは、その際の土の移動のことは知らない。知らないままに、積もっていた鬱憤をあたしにぶつけてきた。

わが家には、家の裏以外にも車で10分ほどの所に畑があり、美代さんはセニアカーでその畑まで行き、土いじり・野菜作りを楽しんでいた。
ソノコは、畑のある場所を知ってはいたが、足を運んだことはない。一度たりとも畑仕事を手伝ったこともない。

あたしとソノコとの姉妹関係は、あまり良好とは言えない。
あたしも鬱憤はあるが、元をただせば両親の子育てから始まる。

長くなりますので、パートⅡにて。


特養入所の母を想う、娘心・・・

2021.4.28(水)

4月26日に、特別養護老人ホームに入所した母美代さん。

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       25日、長女ユカとの写真

入所した特養には、各自の部屋にはタンス等の物入れは設置されていない。
その為、美代さんが使っていたタンスと衣装ケース(プラスチック製のコンテナ)を運び入れた。

今までタンスや衣装ケースに入れて入た物を全て取り出したことで、行き場を失った衣類は床に放置。
昨日・今日とその片付けをした。

あたしは断捨離魔・・・魔、ではないか(苦笑)
でも、明らかにもう使うことはないよな・・・とか、これはもう着ないよなと想う物は、まとめてゴミ袋の中へ。
衣類に関しては、古河市には古着の回収日があるが、毛玉やヨレヨレになった服を誰が欲しがるのだろうと想うと、やはり可燃ゴミに出す方が無難かと想った。

コロナ禍で面会は月に2階まで。
外出や外泊はできればしてほしくないとのことで、収束されるまでは家に帰れることはないと想うが、それでも、いつでも泊まれるように布団干しもし、ベッドメーキングも済ませた。

ご飯は食べられているのだろうか。
ちゃんと寝られているのだろうか。
ホームは冷暖房完備なので、今回電気毛布は持たせなかったが、寝ている間、寒くはなかっただろうか。
話し相手はできただろうか。
あたしは美代さんの母親か・・・と、思うほど心配してしまう。

10時過ぎに、ホームに電話を入れ訊いてみた。
ご飯は全食し、ニコニコしているしているらしい。
夜の寒さについては「あぁ、そう言えば・・・」と、訊かれてみて答えたという感じで、自ら寒さを訴えた訳ではなかったらしい。
夜の巡回時もぐっすりと寝ていることを確認していると仰っていた。

古河市から、美代さん宛てのコロナワクチンのクーポン券が届いていた。

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加須市に問い合わせてみると、そのままホームで使えるということだったので、改めての申請は必要なし。
それでも、インフルエンザワクチンも含め、接種には家族の判断・同意が求められるので、時期が来たら同意書が送られてくることになる。
痛みにはめっぽう弱い美代さんだが、集団接種で一人だけ大声を張り上げるのは恥ずかしいだろうから、右習いでおとなしく打ってもらうのではないか・・・そんな風に想う。


契約時に、入所している方の中で遠方の方は何処からかと尋ねてみた。
少し遠いのは、さいたま市で、一番遠いのは東京都北区の方と。
都内には空きがなく、待機者も多く中々入所は難しいということで、こちらの特養を選ばれたそうな。
その方の娘さんは八王子に住まわれているそうで、遠方からの面会は大変の様ですと。(それでも、入所を選んだのだろうね・・・)

因みに、古河からの入所は母以外に3名ほどいらっしゃるそうで、「古河は近い方ですよ」と仰られていた。(利根川橋を渡ると古河市)


これまで、ショートステイを利用し美代さんが居ない数日を過ごしたことは何度かあるが、その時は介護の煩わしさから解放され、精神的にとても穏やかでいられた。

今回の、半強制的に入所させてしまったことへの罪悪感は、ぬぐい切れないでいる。
この気持ちはいつまで続くのだろうか。
コロナ禍の中で入所させたことで、余計にこの気持ちが強いのかもしれない。

美代さんは、古河市に越してきたことを忘れ、ずっと昔からあたしと一緒に暮らしていると、記憶が変換されている。
その為、一時的なホームシックはあるだろうが、何れはあたしと暮らしていたことも忘れてしまうだろう。

問題はあたしの方だ。
17年間離れて暮らし、認知症となっての同居。
離れて暮らしていた頃は、嫌いな母にでも優しくできて居たが、一緒に暮らすようになり増してや認知症で、あたしの生活パターンもガラリと変わり、全ては美代さんが中心の暮らしになった。

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この凝縮された3年半で、あたしの脳も何かに侵されていたのかもしれない。
少しずつ、前に進んでいこうと思う。
そして、少しでも早く、コロナが収束されるのを願うばかりだ。


特養入所に当たっての、契約等のあれやこれや

2021.4.27(火)

昨日は、朝から神経を張り詰めた状態でした。
解放されたのは、夕方家に着き、桐ちゃんからおやつをねだられたときでした。

入所日には、契約に2時間ほどを要すると事前説明会で聞いていましたが、実際には3時間近くかかっていました。

普段から朝食抜きの生活パターンで、朝食兼昼食を摂るのが11時半頃で、看護師からの説明を受けている辺りからお腹が「グー」と鳴り始め「朝食抜きなので・・・」と、言い訳。

説明会は、特養担当ケアマネ→看護師→管理栄養士の順で行われ、それぞれから今後のホームでの生活についてをこまごまと受けた。

初めに、副施設長から、母のことについての要望や、伝えておきたいことを書いてくださいと用紙を出されたが、美代さんの取扱説明書を書いていたのでそれを渡した。

「ここまで詳しく書いて頂くと有難いです。早速コピーし、スタッフに渡します」

暫くして、ケアマネが入って来られ説明が始まったが「要望の全ては受け入れられないこともありますが・・・」と。

「提出したものは参考にして頂くためです。答えはホームで導いてくださればと思っています」

これまでは母とあたしの1対1の生活で、何から何までをやっていたが、10対1~2では全てをお願いできるはずもなく、致し方なしということは解っていた。


看護師からの説明は、事前説明会で聞いていた通りのことに加え、歯科診療・インフルエンザ予防接種・健康診断・看取りについて。
万が一体調を崩し病院に搬送されることになった場合は、キーパーソン以外に連絡できる人を二人追加してほしいと言われ、大阪に住む妹のソノコではなく、岩手に住む娘たちの連絡先を記入。

入所している特養は加須市にあるが、提携医よりも古河市の病院のほうが近いということで、救急隊員の判断で古河市に搬送されることもあると。
あたしにとっては、そっちの方がありがたく思い、肺炎での入院や手の甲骨折でお世話になっていた病院名を言うと、後日診察券を持って来てくださいと。

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管理栄養士からは、随分と好き嫌いが多い方ですね・・・と。
基本的にお年寄りが多いので、提供する食事は軟らかいもので対応してるが、どうしても食べられないものに関しては代替品で対処してくださると。

年間行事食予定表を渡された。
毎月3~4回のお楽しみ食があるらしいが、そのうちの1回は特別食で別途予算になり、金額的には1300円で、これは決定事項。
1日の食費以外に1300円が毎月プラスになる。

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コロナ禍で、どこにも出かけることもなく、食べることくらいしか楽しみはないのだろうから、こういう形の提供になるのだろうね。


この後は、副施設長と契約の話。
これまでに、いくつもの契約書に署名捺印をしてきたが、今回の量はそれとは比べ物にならないほどの量で、書いている字も次第にミミズが這ったような字に…(苦笑)

契約書作成は、昨日で終わりになることを願いたい。
この先、美代さんに何かが起き退所することになったら、延命処置は行わないことにしたいが、副施設長から、素晴らしいお話をお聞きした。

要介護4で入所された男性。
立つこともできなかったのが、入所後みるみるうちに回復されさっさと歩けるようになり、認定調査で要支援までになられたと。
流石に要支援では入所は続けられず、近々退所の日を迎えられるそうな。

この話だと、この男性はいつかはまた特養を探すことになるのだろうか。
そうなると、契約は始めからやることになる。

親の死を願う訳ではないが、特養で好きなだけ長生きをし、ある日突然ピンピンコロリが理想だヮ。

住所変更。
古河市に転出手続きをし、加須市に転入手続き。

転出手続きをしたが、介護保険住所地特例入所・退所連絡票と、介護老人福祉施設利用計画書があることで、保険者はこれまで通り古河市のまま。
住所は変更になるので、保険証や介護保険関係類は一旦古河市に返し、変更された物は施設に送らることになる。

保険者がそのままなのは、
住所地特例(じゅうしょちとくれい)とは、社会保険制度において、被保険者が住所地以外の市区町村に所在する介護保険施設等に入所又は入居をすることで施設等の所在市町村に住所を変更した場合、住所を移す前の市区町村が引き続き保険者となる特例措置である。
施設等を多く抱える市区町村に、当該市区町村以外に住所を持つ利用者が施設等の入所等で住所を変更した場合、施設を抱える市町村が保険者となると、当該保険者の負担が新規に発生し財政を圧迫する。それらを防ぎ保険者の負担が過大にならないようにするための措置であり、国民健康保険・介護保険・後期高齢者医療制度に設けられている。根拠規定は国民健康保険法第116条の2、介護保険法第13条、高齢者の医療の確保に関する法律第55条である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E6%89%80%E5%9C%B0%E7%89%B9%E4%BE%8B


知らないことだらけ。
美代さんが健康で、普通の年寄りボケならば、特養にお世話になることもなかっただろう。そうすると、上記のようなことも知らずに生きているということになる。

そう言えば、ハンコが必要無くなる話はどこまで進んでいるの?
今回の押印の数はハンパなかったけれど、ハンコを押す場所にはサインになるのかしら?
さて、どちらが楽なんだろうね。

ショートステイを最長で1週間の利用があったが、ホームに確認すると、早くも帰りたいと言っているらしい。
田植えの季節がやって来る。
それらを眺めながら、皆様方と穏やかに過ごしてほしいと願う、鬼娘のお仲間のあたし。

鬼は、鬼なりに辛いこともあるのです。


母、特養に入所する そんなことなど、聞いてない!

2021.4.26(月)

今日、母美代さんは特別養護老人ホームに入所しました。

ホームへ向かう途中、利根川橋から富士山の雪を被った頭の部分が見えました。
あれが、富士山だよと教えると、

「富士山はここがら近いのが?」

「かなり遠いよ、でも天気の良い日は見えたりするんだよ」

「岩手山は見えねのが?」

「岩手山は見えないなぁ・・・」

道すがら、ホームに入所するとそこが家になることや、コロナ禍なので簡単には外出ができないこと等を話しました。

ホームに入所することは、あたしが半強制的に決めたことで、この1週間の間事あるごとに教えていましたが、毎回忘れているので、毎回同じことの繰り返しの説明でした。

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ホームに着くと、早速車椅子に乗せられ館内へ。
一旦談話室に入り、そこが美代さんとのお別れの場所になりました。

「美代さん、車の中でも話したよね。今日からここが美代さんの家になるのよ。皆様方の言うことを聴いてね。友達をちゃんと作るのよ」

「なしてよ?オレは何もきいでね」

長い時間を掛けての別れではありませんでした。
スタッフが車椅子を押し、美代さんを連れ出しました。
エントランスホールの天井から、藤の花が垂れ下がっているのを見つけた美代さんは、

きれんたなぁ、藤が?」(綺麗だなぁ)

「そうですよ、でも本物ではなくて作りものなんです」

このような会話をしながらエレベーターに乗り込んでいきました。
今生の別れになる訳ではないので涙は出ませんでしたが、美代さんの背中を見ると、本当にこれで良かったのかと、何だか可哀想になっている自分がいました。
でも、もう後には引けない訳で、この後は入所に当たっての説明や契約が待っていたので、気持を切り替え深呼吸。

施設長がお見えになりご挨拶。
その後は、ホームのケアマネ・看護師・管理栄養士から、こまごまとした説明を受け、最後に副施設長と契約の話に入りました。

談話室に入室したのは午前10時30分過ぎで、全ての説明・契約を終えたのは、午後1時を回っていました。

この後は古河市役所に走り、転出手続きです。

少し、疲れました。
朝食・昼食抜きで、これから晩ごはん。

この続きは明日にします。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と5にゃんズとの7人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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