にゃんズの母(しがらみと生きる)

「老猫、桐ちゃん19歳、青(せい)くん16歳」「あたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、89歳。方言と訛り×認知症要介護3で、田んぼの観える特別養護老人ホームに入居」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして・・・なのですが、母が特養に入所しケンカ相手が居なくなり少々寂しくも感じています。 人生一度きり。前向きに生きるためのブログです。

2021年03月

携帯で写真を撮る習慣がない・・・問題・・・あり?

2021.3.22(月)

盛岡冷麺。
岩手に帰省した際には、必ずと言って良いほど食べます。

韓国冷麺と盛岡冷麺とでは、全く違う。
都内に行けば、盛岡冷麺を食べられるお店があるけれど、わざわざ食べには行かない。
ついでの用事があったなら、時間があったなら食べるかもしれないけれど。

あたしの実家のある街に、盛岡冷麺を食べさせてくれるお店があると知り、明日の法要に必要な物の買い物ついでに、長女とふたりで寄って食べてきた。

焼肉とセットで、半冷麺と半ライス・漬物・サラダ付。
写真を撮るのを忘れた('A`|||)

普段から写真を撮る習慣がないので、ここぞと言う時のシャッターチャンスを逃してしまう。
冷麺セットも半分くらい食べてから「あ、写真を撮るのを忘れた・・・」
まぁ、致し方なし。

帰りに、これまたクレープ屋ができたらしく、せっかくなのでデザートとして食べてみようと、寄ってみた。
今度こそはと、写真を「カシャ」

DSC_1142

お店は撮れたけれど、肝心のクレープも食べてから写真のことを思い出し、結局クレープの写真はなし(苦笑)

ウォーキング中も、今日は写真を撮るんだ!
そう決めた時でなければ、スマホは持たない。
(これからは桜の季節なので、ちゃんと持って出ようと思う)

にゃんズの写真も、載せているものはたまたまの物が多い。
もっと写真を撮る習慣をつけなければ・・・と、思うも、これが又難しい。

習慣を身に付けるには、「これをやるんだ」みたいな、決心のようなものが必要かも。
顔を洗ったり、歯磨きなどは普通にしているのにね。

それにしても、帰省をする度に何かしらが変わっている。
そして、「ここには昔は何が在ったんだっけ・・・」
浦島太郎ならぬ、浦島太郎子だヮ。

人の記憶は、古い物から追い出されていくらしいが、次に帰省するときも何かが変わっているのだろうね。
そして、「ここには何が・・・」と、想うのだろうね。

記録として残すためにも、写真を撮る習慣は必要なのかもしれないヮね。


実家に在るおびただしい寝具の数・・・さて、どうする?

2021.3.21(日)

やっぱり寒い。
関東の気候に比べると、約ひと月ほどの差があるような気がする。
あたしは、只今にゃんズを連れて実家のある岩手に帰省中。

昨日の夕方、家に着く前に晩ご飯の調達をと想い、スーパーへ寄った。
カゴを手にしようとした瞬間に、携帯のアラームと「地震です」
かなりの揺れで、お客たちはその場から動かずに収まるのを待っていた。
車に残してきたにゃんズが気になったけど、地割れでもしない限り車の中の方が安全かもで、そのままに。
震災から10年が過ぎ、昨日の地震も余震だったのかな・・・。

東北自動車道の運転も、丸20年になる。
夫が亡くなる前までは、交代か夫の方が長い距離を運転してくれていた。
12年前からはひとり運転。

50代前半の頃までは、ガンガン飛ばしていた。
と言っても、軽自動車なので最高速度は140キロ。
と言うか、そこまで出したことはない!
平均110キロくらいの走行で、たまに130を超すこともあったかな。

510キロを、遠いとは思わなかった。
6~7時間の運転は、苦にならなった。
元々運転が好きなので、ロングドライブを楽しくさえ感じていた。

美代さんを乗せるようになってからは、スピードはかなりダウン。
100キロ出すか出さないかで走っていた。

昨日もそう。
国見峠の辺りで約半分だけれど、そこまで行くのが長かったぁ。
・・・こんなに遠かったっけ・・・
ダラダラ歩くと疲れるけれど、運転も同じかも。
で、岩手に入ってからは、120キロ出せるお試し走行区間があったので、スピードアップさせて110~120に。

年々、疲れが溜まるようになってきた。
お盆はお墓参りがあるから、必ず帰省しなければならないけど・・・。
年末年始・GWの帰省は、少し考えてみようかな。

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帰省の度に想うこと。
両親が買い揃えた山ほどの寝具と、冠婚葬祭で頂いた寝具類。
真新しいままで使うこともなく、いつの間にかカビだらけ。
旅館を開けると思うほどの量だけれど、全てをあたしが何とかしなければならないんだろうな。

20年間で、引越し回数8回のあたしが学んだのは、人は必要最小限の物で暮らせるということ。
例えば、用途に合わせた食器でと、拘りを持っている人も居るようだけれど、慌ただしい毎日の暮らしの中では、あたしはそこまでの拘りはない。
兼用できる物があれば、それで良いと思っている。

昔買った本にあったけれど、70歳を過ぎた辺りには身辺整理でもないけれど、遺された人たちに煩わしさを与えないように少しずつ物を少なくすることが望ましい。みたいなことが書かれてあった。

山ほどある寝具は、幼い頃にまともなお布団に寝られなかった美代さんが、欲しくてほしくてたまらなく揃えた物だけれど、いまとなっては宝の持ち腐れ状態。
申し訳ないけれど、少しずつ整理していくしかないわよね。

初代が大きくしたものものを、二代目がダメにする。
なんてことが世間ではあるけれど、あたしもその口かも(泣)

欲しい人がいたら、差し上げたいくらいだけれど、カビ・埃付きでも良かったら、運送費はそちら持ちでどーぞ!と、言いたいですヮ(トホホ)

コレクターと呼ばれる方には、あたしの気持ちは解ってはもらえないのでしょうね。

明日は、法要に必要な物の買い出し。
雨が上がりますように。


20年の歳月 生き方は一つではない・・・

2021.3.20(土)

昨日から美代さんが居ない生活。
これまでも何度かショートステイを利用していたが、今回の様に1週間という長さは初めて。

父の死を理解していない美代さんは、ショートステイでお留守番。
回忌法要のための帰省だけれど、美代さんの居ない自由さを味わおうと、出発は明日の日曜日の予定にしていた。
が、天気予報を観ると明日は雨。
雨の高速道は怖い。
視界もさることながら、路面が濡れることでスリップも怖い。
なので、今日の出発に変更。

東北道の運転は昨年のお正月以来。
GWは、緊急事態宣言で、県をまたいでの移動禁止を守った。
お盆は、他県ナンバーの車では実家近辺の目があるので、むすめ達が送り迎えをしてくれた。
年末年始は、長女のユカが古河に来てくれた。

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実家を離れ丁度20年になる。
亡き夫の仕事の関係で、あたしと次女のサキの3人で茨城県へ引越し。
夫・45歳、あたし・40歳、サキは15歳で、中学卒業を待っての引越しだった。(高校は事前に進学先は決まっていた)
長女のユカは、専門学校を卒業していたが、就職先がまだ決まっていなかった。それなのに一緒に来なかったのは、友達のいない知らない土地へ行くことを拒否し、親ではなく友人を選んだ形。

あれから、20年の歳月が流れた。
この間、父が、夫が亡くなり。母美代さんが認知症に。

悪いことばかりでもない。
次女が結婚し男の子が生まれ、あたしは名実共にお祖母ちゃんになった。
その次女夫婦は自分たちの家を建て、実家を出た。

20年前まで、父・母(美代さん)・夫・あたし・ユカ・サキの6人で、わいわいがやがやと暮らしていた家には、今は長女のユカだけが一人。
7LDKの家に、たった一人。

「ねぇ、あの家売ったら?おねぇ一人にはもったいないし、維持が大変だよ」

確かに、独身のユカ一人で住むには広過ぎる。
美代さん似で、家事が嫌いなユカのことを、サキが心配するのは当然のことだ。
これは、今後のあたしの課題になる事案。

取り敢えず、岩手までの510キロを安全運転でガンバしよう。

にゃんズ?
当然、連れていきます。

PS
朝方、カラスの鳴き声で目が覚めた。
昔、美代さんが言っていたことがあった。

「カラスが上空で鳴く家には不幸が出るものだ」

あのカラスたちは、どこの家の辺りを飛んでいたのだろう。

往復、1000キロ強。
くれぐれも、安全運転を心掛けます。


何年経っても、どこに住んでいても、想いは生家

2021.3.19(金)

今日から25日までの1週間、美代さんはショートステイにお泊りです。
土日の送迎がないので、金曜日の今日からの利用です。

3月23日に、亡き父と夫の十三回忌法要を岩手の菩提寺で執り行います。
七回忌法要までは、家族以外に親戚にも声掛けをしましたが、今回は家族・それも、あたしとむすめ達の3人だけの法要になります。

あたしの妹・ソノコですが、現在大阪在住で、コロナ禍の中での長距離移動を心配し、出席しないとの連絡が来ています。
その、一番の理由は「自分が感染したら、夫に迷惑が掛かる」でした。これも致し方なしなのでしょう。

喪主の美代さんが出席しないのは、父が亡くなったこと理解できていないから。
昨年のお盆には帰省し、お墓参りも普通にできていた。
お墓の前で「じっちゃ、来たよ」と、挨拶できていた。

父の死を理解できなくなったのは昨年秋から暮れにかけてだったような。
年が明けてからは「どうしてここにいないんだ」「どこで何をしているんだ」「ちゃんとご飯を食べているんだろうか」などと、とにかく父を心配する言葉が出ていた。

それに合わせ、あたしも頑張って迷女優をしていたが、美代さんのツッコミに耐え切れずに「じいちゃんは亡くなったんだよ」と、言ってしまったことがあった。
その時は、驚きながらも一応理解していたようだったが、暫くするとまた元に戻り「じっちゃが心配だ」を繰り返すようになっていた。

あんなにも心配していた父のことを、ここ最近は全くと言って良いほど口にしなくなっている。美代さんの中で何かが変わったのだろうか・・・。
あたしは、敢えて言うこともしないが。

今回の法要については、以前1~2回話しているが、たぶんぜ~んぶ忘れていると想う。
今朝も、法要のことは一言も話していない。
それよりも「ショートステイで皆様方と一緒に美味しいご飯を食べてきて」
こう言って送り出した。

DSC_1137

美代さんがあたしと暮らし始めたのは、2017年の9月から。
それまでは、岩手の家であたしのむすめ達と暮らしていた。
岩手の家・・・父と美代さんが建てた家だが、その家のこともすっかり飛んでしまっている。
美代さんが口にする家は、美代さんが生まれ育った生家。

「まや、家のオレの部屋の隣さ藁をおいでいだども、おめ、それをどごさやった?」(置いていた)

美代さんの生家がどんなだったか、あたしは殆ど忘れているが、茅葺屋根だったことだけは憶えている。
美代さんは、生家の図面等も全て頭にあるようで、美代さんが暮らしていた当時、あたしも一緒に暮らしていたと思い込んでいる(60数年以上も前のこと・あたしは生まれていない)
こんな風に昔のことは鮮明に憶えていても、そこに現在の事を入りこませる不自然さもある。

「美代さん、あたしと暮らし始めて何年になるか判る?」

「何言ってれ。ずっと一緒にいだべな(居たでしょ)

3年半前に岩手を出てきたことは、既に頭にはない。
住んでいるのは岩手だと思い込み、ご近所には生家があると思っている。

特養に入居したら、初めのうちは戸惑うかもしれないが、段々にあたしと暮らしていたことも忘れていくのだろう。
そして、想いは常に生家。

田んぼの向こうには生家があると、言い出すのかもしれない。



大往生と言われる年齢まで生きられた

2021.3.18(木)

暖かいって暖房費がからない。本当に感謝です。

美容室に行って来た。
半年ぶりのカット&パーマ。
担当美容師Tさんは、それこそ半年前にお母様を胃ガンで亡くされている。

「お彼岸で半年になるんです」

脳梗塞発症で半身麻痺と言語が難しくなり、デイサービスを利用していたが、ある日室内で転倒し、それからは車椅子となっていた。
老健に入所されていたある日、血液検査で胃ガンが発見され、意思の疎通が厳しいことで、痛みを取る緩和ケアを中心となさっていたようだったが、最期は穏やかに、眠るように逝かれたとのことだった。

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美代さんの担当もしてもらっているので、特養に入ることになったことを話すと、

「良かったですね。プロに任せた方が安心ですよ。家で看るには限界がありますし、離れてみると優しくもなれますよ」

Tさんは3姉妹の三女で、母親と同居。
二人のお姉様は、仕事柄や性格的なことで、母親との同居はできなかったそうな。それでも、Tさんが仕事で忙しいときは、交代で介護を引き受けてくれていたらしい。

美代さんと暮らし始めて3年半になるが、Tさんの勤める美容室に通い始めて、何年になるだろう。いつから通い始めたっけ・・・。

同居した当時から美代さんの認知症のことは話していたし、これまでの美代さんの様子なども話題にしていたので、今回の特養についても、それが最善策だろうと言ってくれた。
施術が終わる辺りに、

「部屋が狭くて広い所に引っ越されたのに、美代さんが居なくなると余計に広く感じますね」

「ああ、そうですよね・・・。いなくなって寂しいって思うかもしれません・・・」

「え!それはないと思いますよ。うちは亡くなりましたけど、確かに哀しみはありますが、あの大変さがなくなりホッとしています」

そしてもう一つ言われたことは、

「例えば家での介護が長く、ずっと付きっ切り状態で亡くなられると、自分がいたのにと言う罪悪感が生じるかもしれないので、施設で亡くなられた方が気持ち的には楽かもしれませんよ」

78歳で亡くなられたTさんのお母様。

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少し前に観たテレビドラマ【神様のカルテ】で、88歳で亡くなった患者さんに対して、ある看護師の言葉として「88歳は大往生でしょ」と、あった。

美代さんは、来月88歳になる。
まぁ、長生きの太鼓判を押されているので、入居したからすぐにどうにかなるということもないだろう。
大往生と言われる年齢になり、好きなだけ生きればよい。
そう思えるのは、特別養護老人ホームに預けられることになったからこそ言えるような、そんな気がする。

プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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