にゃんズの母

「老猫、桐ちゃん18歳、青(せい)くん16歳」「あたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、88歳。方言と訛り×認知症要介護3で、田んぼの観える特別養護老人ホームに入居」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして・・・なのですが、母が特養に入所しケンカ相手が居なくなり少々寂しくも感じています。 人生一度きり。前向きに生きるためのブログです。

2021年03月

頭の中は60年前?それとも現在?そして、漫才は・・・続く

2021.3.31(水)

昨日は火曜日で、デイサービスには行かない日。
食べて寝て、意味もなくTVをつけての繰り返しの中で、仏壇に立ててある夫の写真を手にし、これは誰かと訊いてきた。
以前のあたしなら、あなたには関係のない人だから気にしないでと突っぱねていたが、昨日は心境の変化?(笑)で、素直にあたしの夫の〇〇だと教えた。
すると美代さんは、

「したら、ユカどサキのお父さんが?こったな顔してだっけが・・・おべでねじゃ(憶えていない)

顔を憶えていないとは言え、ユカ・サキの父親だと理解できたことが素晴らしい。少し前には二人の父親が誰なのかも解らなかったのだから、その時は褒めてあげた。

が~~~、夫の写真と共に父(美代さんの夫)の写真も立てているのに、その写真のことには「チラッ」とも触れない。
だいたい、仏壇に写真があるということは亡くなっているからなのだが、美代さんはそれを理解してはいない。
思うに、そういうこともあって父の写真を無視するのか、それとも写真を観ても判らなくなっているのか、イマイチ判断が難しい。
そんな美代さんから、夕方久し振りに「じっちゃ、帰って来ねな」という言葉が出た。

「ナガゼギのヨシさんの農場で働いているんじゃない。前にあなたがそう言ってたよ」

これは、ある日のデイサービスから帰って来た際に、送迎車の中で何方かとの会話の延長で出た言葉。それを、そっくりそのまま美代さんに話してみたが、まぁ、当然の如く憶えていないヮよね。

「オレ、そったなごど喋ったってが・・・おべでねじゃ」

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。

晩ご飯の時に、またまた不思議なことを言い出した。

「オレど一緒にご飯食べるわがいやづ、帰って来ねな」(若いやつ)

わが家は美代さんとあたしの二人家族だ、それ以外に誰かが居たら、それは泥棒さんになるではないか(苦笑)

「誰?その人の名前分る?言える?」

「わがらね・・・」

あたしはてっきり父の事を言っているのだと思っていたが、若いやつとなると父ではない。ならば弟のトスさんのことかと訊けば、そうではないと言う。
美代さんにはもう一人弟がいるので、その名前も出してみたがやはり違うと。美代さんの頭の中には、誰が住んでいるのだろう・・・。

ちょっと待って・・・。
美代さんはもう、自分の年齢を言えない。判らなくなっている。
となると、もしかしたらず~っと若い頃の、新婚当時のことが頭によぎったのか。それが父のことだという確信も持てずに【わがいやづ】になったのか。

60年以上も前の時代と、現在を行ったり来たりしている美代さんの頭の中では、あたしの脳では理解できないことが起きているようだ。


健康診断書を特養に届けてきた。
庭に咲いていた花と、施設の外観の写真を撮った。

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美代さんが入居する予定の部屋からは、望んでいた田んぼは観えない。
田んぼが見える部屋が空き次第、引越しをしてもらえることになっているが、その部屋が空くということは・・・そう、その部屋の住人がお亡くなりになるということ。

今朝も、靴は何処にあるのだ?と、訊いてきた。
玄関にあるよと教えると、玄関が判らないと言う。

「玄関はトイレの隣」

「トイレ、どごよ?」

真面目に、漫才の様な会話が続くが、話ているあたしには頭痛が忍び寄ってくる(はぁ・・・)


特養入所のための、健康診断書が出来上がった

2021.3.30(火)

昨日、特養に提出する健康診断書が出来上がり届いた。
出来上がりに2~3週間を要すると言われていたが、正しくその通りの日数だった。

疾病名
  • アルツハイマー型認知症
  • 脳梗塞
  • 骨粗鬆症
  • 高脂血症
  • 不眠症
既往歴
  • 膵炎
  • 過活動膀胱

疾病名がこんにあったんだ・・・飲んでいる薬が物語っているか。

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    身長は、靴のかかと部分が含まれている

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既往歴の膵炎は、平成16年のときに入院加療を受け、その後古河に来るまで薬を飲み続けていた。
そのときの担当医には、油っぽいものや辛いものは、なるべく食べないようにと注意されていたようで、その言葉を守っていた美代さんが常に食べていたのは【白米・味噌汁・漬物】の3点セット。

その言葉を守っての3点セットだとは思えない。
なぜなら元々料理嫌いで、漬物大好き人生。
漬物も自分で漬けていたから、好きな時にいつでも食べられていた。
結局、その習慣が響いて脳梗塞に繋がったのではないかとの診断だった。
(2017.10月に発症)

長年飲み続けていた膵炎の薬も、古河に引っ越すずっと前から、飲んだり飲まなかったりの状態で、薬の管理もできなくなっていたようだ(次女サキの話)

過活動膀胱は、父が亡くなった後に盛岡市内の泌尿器科に連れて行ったが、当時76歳の美代さんは盛岡市内まで通うことを拒否。
仕方なく尿とりパッドを使用していたが、勿体ない精神が災いし、漏れ汚れたパンツをその都度洗っていたようだった(これもサキからの情報)

古河に越してきて、膵炎は完治していることが確認されたが、オシッコについては過活動膀胱・切迫性尿失禁の診断を受け、暫くはベタニスを飲んでいた。
が、薬の効果を感じることができず、あたしの判断で止めてしまった。

現在のオシッコは駄々洩れ状態で、朝外したパッドの吸水量は、身体中の水分が出ているのではないかと想うほどの重さだ。
尿とりパッドとリハパンには、感謝してもしきれない(苦笑)

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感染症は全てマイナス。
皮膚湿疹や医療措置も無し。
インフルエンザ予防接種は昨年10月。
肺炎球菌ワクチンは85歳の時に済ませてある。

血液検査結果についてはローマ字記載で、あたしには何がなんだか理解できないが、問題があったら医師から何らかの報告があるだろうから、たぶん大丈夫なのだろう。

この診断書を元にし、すぐの入居が可能になるかの判定になるらしい。
通り次第、施設側からの説明が行われることになるが、早ければ来月中旬で遅くとも月末前の入居になるとのことだ。

母を特養に入所させることに罪悪感を持っているあたしだが、特養の副施設長は仰る。

「ご本人様もですが、入所はご家族様の負担を軽減するためでもありますので、罪悪感など持つことはないですよ。同じ様に感じる方が多いですが、暫くすると落ち着かれるようです」


飲んでいる薬は、コロナ禍でもあり外出は難しいだろうから、特養提携病院に移譲されることになると思う。


ここは岩手県〇〇市? と、生前遺影はバッチリ

2021.3.29(月)

母美代さんの認知症は、日ごとに進んでいるような気がする。

「トイレは外に在るのか?靴を履いて出て行くのか?」

「トイレは玄関の隣だよ。今時外にトイレが在る家なんて無いと思うよ」

トスえはそどだっけ。そどさあるっけ。トスはまやで寝でるのが?」

(トスさんの家のトイレは外、厩)

トスさんは母美代さんの弟で、生家のナガゼギの家を継いでいる。
最近は父が何処で何をしているのかと言わなくなった代わりに、トスさんを心配することが多くなっている。

トイレに行くと言い出し戸を開けたが、ここからトイレに行けるのか?と訊いてきた。
毎日同じ事をしているのに、毎日忘れる。
ついさっき、トイレの場所を教えたのに、一瞬で飛んでしまう。


ここは茨城県古河市だが、美代さんは岩手に住んでいると思い込んでいる。
トスさんの家も、路地を曲がってすぐのところにあると言ってくる。

金曜日の、美容室の帰りに訊かれた。

「今はどの辺りを走っているのだ?ここらに、まつ〇りがあるはずだ」
(しまむらの様な、地元の呉服店)

「まつ〇りはここら辺ではないよ。もう少し道が狭い所にあるんだよ。暫く外を歩いていないから、忘れちゃったかもね」

「そうがもしれね・・・」

古河市なのだから、まつ〇りはないよと、言ってしまいそうになった。
迷女優は、その都度迷いながらの名演技をしなければならない(苦笑)

すぐに忘れるのだから、古河市であることを言っていいのかもしれないが、そうなるとなぜ古河市に住んでいるのかと、そこからの説明になってしまう。
全てを忘れるわけではないから、そこが面倒くさい所だ。

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生前遺影の写真を撮って来た。
てっきり、嫌々をするのかと思っていたが、二つ返事で「いいよ」と。
写真が無いことは解っていたようで、先日の帰省から持ち帰ったブラウスを着せた。
肩パットが入っている昔流行ったブラウスだが、ユカの一言で決めた。

「なるべく、白っぽい物を着せた方がいいよ。ライティング効果があるからね」

岩手を出る際に持って来た写真の中の1枚に、家族で沿岸に遊びに行ったときに写したものがる。
30年近く前の写真だが、その時に来ていたブラウスで、その写真を見せ同じ服だと教えたが、美代さんはきれいに忘れていた。
まぁ、致し方なし。

当時は50代後半で、髪の毛も黒く染め体型も今よりも細く、ブラウスのウエスト部分には余裕が観られていた。
年月は残酷だと思う。

口紅を差す習慣がないあたしなので、100均で購入したものを用意。
紅筆で綺麗に差してあげ、チークを薄く延ばしてあげた。

写真スタジオの入口は昇り降りの階段が2段ずつあり、結構しんどかった。
なかなか上がれずにいると、有難いことに、店主が足を持ち上げてくださった。
美代さんを外に連れ出し、歩きまわることはもはや困難なことで、そのことは本人も自覚している。


口を閉じている写真と、少しだけ歯が見えている写真の二通り6枚の中から、1枚ずつ削除して最後に残ったものが遺影写真となる作業。
それにはあたしの判断が必要とのことで、パソコンの前で1枚ずつを確認。
が、どうしても判断できない最後の1枚については、プロの目に委ねた。

「目の輝きと口元で笑顔は決まります。それが自然に観える方はこちらですね」

「そうですね、こちらの方が自然ですね」

心の中で選んだ方と同じだった(良かった)
出来上がりは4~5日後で、連絡をくださるとのこと。
車中で、

「美代さん、とっても綺麗に撮れてたよ。もう、いつ死んでもいいね」

「そが。でもよ、準備しておぐど、ながなが死なねものだ」

ハイハイ、あなたは100歳まで生きるのよね(苦笑)


あれほど写真を撮られることを嫌っていた美代さんだが、斜視であることも気にせずに撮ることができたのは、「ハイ、いいですよ~。そのままでね~」と、店主のすり鉢の効果かも(笑)

出来上がりが楽しみだ。


毎年訪れる命日 その日にあなたは何を想う・・・?

2021.3.28(日)

毎年訪れる命日。

12年前の今日、夫は天に召された。
享年、53歳。

54歳になる年の3月に亡くなったことで、墓標には55歳没と記されている。
仏教の世界では、数え年で記されるらしい。

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余命宣告をされていたので、死ぬときには故郷の岩手でという気持ちが強く、民間の救急車を手配していたが、運び込まれたのは救急車ではなく霊柩車だった。

夫と一緒に岩手へ行くために、入居したアパートの解約や引越しの手配などが、バタバタと過ぎて行った。
岩手へ出発するために朝から忙しかったが、部屋のことはむすめ達に任せ病室に詰めていた。
準備が全て終わり、明朝には岩手に向かうことを夫に知らせ、今夜はゆっくり休もう。そんな気持ちでいた。

夜、急変した。
担当医からは、いつ亡くなってもおかしくない状態だとは言われていた。
それでも、何とか頑張って死ぬのは岩手で・・・だったが、その想いは絶たれた。

夫は、もしかしたら岩手に行けるということで安心したのだろうか。
それまで頑張って生きてきたが、張り詰めていた糸のようなものが「プツン」と切れてしまったのだろうか。

看護師からの数分の心臓マッサージのあと、担当医はいなく当直医がやってきた。
「これ以上は何もできない」と言われ、最期は「ウッ」という声が漏れ、臨終となった。
様々な管に巻かれるわけでもなく、左手の指にパルスオキシメーターが一つ。
意識が朦朧とする中で、死に対する恐怖心の様なものはなかったと想う。

病気になるなる前から「やりたいことはすべてやった。いつ死んでも後悔はない」こんなことを普通に言っていた人だった。
後悔はないが、未練はあると言っていた。
それは、孫の顔が観られないこと。
こればっかりは、あたしでも手助けはできないこと、むすめ達次第だから。

死期を悟り、死の恐怖はなくても「死ぬときに苦しむのは嫌だ」そんなことも言っていたが、眠るようには逝かなかった。
最後に漏れた「ウッ」は、苦しみの声に聞こえた。

入院期間、約1ヶ月。
死亡時刻、夜11時13分。
死因、胆管細胞がん。

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     落ちていた小枝に残っていた桜です


茨城県民となり、20年の歳月が過ぎた。
この20年のうち、野田市に約2ヶ月間。
岩手の実家に、約6ヶ月間住所を置いていた。

関東に出て、夫と暮らしていた期間は8年。
以後の12年は夫のいない世界で、この中には母美代さんとの同居も含まれる。

死は平等だ。
死なない人間はいないだろう。
あたしも、いつかは夫のいる世界に行くことになる。
でも、あたしは小心者なのだろう。
後悔することが沢山あるし、未練も多い。

いつかはお迎えが来るのだろうが、それはまだまだ先であってほしい。
そして、お迎えが来るまでは、なるべくなら自分の事は自分でできている人生で在りたい。
欲を言えば、夫が言っていた通り苦しまずに逝きたいものだ。


ねぇ、あたしはまだそっちへは行きたくないよ。
だから、そっちの世界で良い人ができているのなら、その女性(ひと)と楽しくしててね。
でも、お願いがあるの。そっちに行った時のあたしの姿は、あなたが知っているあたしではないはずよ。それでも、ちゃんと見つけてほしいの。
そして、できれば「お疲れ様」の一言がほしいな。


この12年間、一日たりとも忘れたことはない。
人は二度死ぬと言う。
一度目はこの世から去ったとき。
そして、二度目は人々の記憶からなくなったとき。

母は、父の死を受け入れていない。
父は、母が亡くなるまで生きているのだろう。

あたしも、自分の生が尽きるその日まで、夫のことは憶えていたいと思う。

今生は一度限り。



デイサービスに出勤する?そして生前遺影

2021.3.27(土)

今日から、いつものデイサービスへ出勤の美代さん。
出勤したら、一般的にはお給料が発生するけれど、美代さんの場合はお金を支払っての、お仕事。お給料をもらっているという意識はないが、仕事に行くという感覚があるようだ。

美代さんは55歳の時に定年退職をしている。
電子機器メーカーの工場で、ベルトコンベヤーでの流れ作業。
レーンの中で、母の作業はとても細かい仕事だったらしく、もたもたしていると自分の所に製品が溜まり、皆に迷惑が掛かると、必死で仕上げていたらしい。

当時の母は、何故だか社長からの信任が厚く、「美代さんに任せておけば大丈夫」みたいな感じで仕事を任せられていたと。そのため、休憩時間もそこそこにして、仕事に就いていたと言っていた。


「美代さん、デイサービスはただではないのよ。迎えもご飯もお風呂も、ぜ~んぶお金を払ってるのよ。今時、ただでご飯を食べさせてくれるところなんて、ないんだよ」

「そだのが?!・・・そだよな~・・・ただなはず、ねぇよな・・・」

この内容は、これまでにも何度も繰り返されているが、毎回忘れる美代さんは、毎回お金を支払っていることに驚いている(苦笑)

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       ウォーキングコースの桜です

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    落ちていた花びらを拾い、カップに浮かべました

1週間ぶりの出勤になる今日。
昨日は美容室でフルコースを受け、いつもより短めのカットにパーマをかけてもらい、髪の色はトレードマークのブルー。

髪を切ったことを、スタッフの誰か一人でもいいので、気付いてもらえたらいいな。
女って、何歳になっても綺麗で居たいのですよ。
髪型や髪の色が変わったことに、気付いてほしいのですよ。

特養に入居になったら、簡単には外に出られなくなる。
髪の毛も、特養でのカットになる。パーマは当然だが、ヘアーマニキュアも暫くは無理だろう。

生前遺影の予約を入れた。
明日の午後2時から。

100歳まで生きると太鼓判を押されている美代さん。
87歳の写真を、100歳で使っても良いものなのかと、先に問うてみた。

「80歳くらいで、若い頃の・・・40~50代の写真では少し難があるかもしれませんが、今撮った写真を100歳で使うことは、特に問題はないと思いますよ」

死は突然にやって来る。
誰も自分の寿命などは知らないだろう。
いざという時に写真が無いと言う人は多いらしい。
そのための生前遺影。

写真嫌いの美代さんを、ゴマすりながらも何とかなだめて連れ出さなきゃ。
がんばりましょ。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
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