にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん4歳。黒ちゃん4歳。常くん3歳。連くん1歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、91歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

2020年11月

土方仲間とデイサービス

最近、デイサービスのことを仕事と表現することが多い。

デイケアの送迎はスタッフである女性で、軽自動車が多いが、デイサービスの送迎は男性で、ワゴン車で来る。
たぶん、送迎のみ若しくは施設の力仕事などをしているのかもしれない。
詳しいことを聞いていないので、憶測だけれど。

そのデイサービスの運転手を「土方の仲間」と言うことがあった。
母は、あたしが小学校の頃には土方仕事をしていた。
その後は、町内(現在は合併されて市)にできた電子機器の会社で、定年まで勤めあげた。

認知症になると、昔の記憶が鮮明となり勤め人だった人は、仕事に行くと言い出すことがあるらしい。
送迎車が俗にいう土方バスに似ているから運転手を見て土方と思ったのか、それとも、勤めていた会社も送迎バス(大型車)の利用だったので、その会社の事を思い出して言ったのかは定かではないが。

元々語彙力や表現力の乏しい人だったが、最近は極端に話す言葉も減り、何のことを言って居るのかも判らないことがある。
通所したての頃は、利用者・スタッフと使い分けができていたけれど、今ではもう言えなくなっている。

「それは利用者のこと?」

こう言う訊き方をしても、返ってくる言葉はおらんどのような者よ」
(おれ等=私達)

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美代さんはデイケ・デイサを楽しみにしている。
それは、美味しい昼食と入浴ができるから。
美味しい昼食・・・美代さんは食べ物の好き嫌いが激しく、一番好きな食べ物は白まんま=白米。

白米を食べられればそれが一番の幸せで、おかずについては何を食べたかの記憶は殆ど残らない。
が、それは好きな白米を食べた時の記憶で、嫌いな物が出た時は帰宅後に勝手に報告してくることがある。

「今日はうどんだった・・・短ぐ切ってらったども、かだくて美味しぐねがった。おどごらは、美味しいって言ってらったども、オレさば合わね」(男等)

麺類は、クタクタに煮込まなければ食べないので、ただでさえ太いうどんを毛嫌いする。
土曜日の晩ご飯は蕎麦にし、美代さん用にはかなり煮込んで出した。
「美味しい」と言い、完食してくれたあとで、デイサービスの昼食のことを思い出したらしい。

・・・ありゃ、昼も夜も麺類になってしまったかぁ・・・

このように、ダブってしまうことがあると困るので、以前献立表を欲しいと申し入れたことがあるが、その日に、近隣の農家さんから頂く新鮮な野菜等があるので、献立表は作れないと断られている。
まぁ、うどんのイメージが悪かったので、口直しではないが蕎麦にして良かったのかもしれない。

因みにデイケアでは、献立がうどんのときは、母用にはスプーンで食べられるように細かく切ってくださっている。

施設の規模でいうと、デイサービスはデイケアよりも小さい。
スタッフの数も比例している。
そんな中で、うどんを細かく切ってもらえるのだろうか。

一度、お願いしてみようか。


因果応報、嫌な記憶は排除したい・・・

9月から、在宅介護4年目に突入。

10年とか15年とか、長く介護をされているご家族様には、たったの4年?!と、思われる方も中にはいらっしゃるでしょう。

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あたしには、おぎゃとこの世に生を受けた時には、父方の祖母のみでした。
その祖母からお小遣いをもらったり、どこかに連れて行ってもらった記憶は全くなく、亡くなる頃に認知症を患っていたのかも判りません。
要は、自分の周りには認知症患者が居なかったのです。

亡き父も認知症患者でしたが、亡くなる頃は要支援1か2で、自分のことは何でもできていたので、認知症であると言う実感はなかったです。
ただ、離れて暮らしていたので、介護は母任せ。
その母美代さんは、トイレを汚されると、ぼやいていました。

美代さんは自分の母親の看護経験はあります。
祖母は、たぶんガンだったのだと、美代さんは言います。
入院していた医院には、当時7~8キロほどの道のりを歩いて見舞いに行っていたそうです。
亡くなる前辺りには病室に詰め、貧乏故にゴザ・ボロ布を布団代わりにし、看病していたと言います。(今から、60年以上前のこと)

父方の祖母が亡くなったのは、記憶の中ではあたしが小学6年生のとき。
用務員をしていた父の、勤め先の町立病院に入院していました。
仕事の合間を見て、父は病室に詰めていたそうです。
学校から帰ると、家ではなく病院の用務員室で過ごすことが多かったのですが、父からは病室にはなるべく行かないようにと言われていました。

美代さんは、祖母の看病はしていなかったはず。
当時は土方仕事をしていたので、看病どころではなく、また、息子の父が居るのだからと、自分がすることではないと想っていたようです。
そう、美代さんからはお姑さんである祖母とは、あまり仲が良い状態ではなかったと、聞いています。

48歳で亡くなった母親の、看病の経験はあっても介護経験は無し。
お姑さんに至っては、看病も介護も無し。
その母が認知症になり、あたしの介護を受ています。

父も総入れ歯でしたが、自分で入歯洗浄をしていました。
トイレを汚していたかもしれませんが、リハパンのお世話にはなっていなかったし、入浴も一人でできていました。
母は、介護度が父よりも上ですが、入歯洗浄からリハパン・尿とりパッドの交換まで、全てあたし任せ。
おまけに、トイレも汚します。
入浴は、浴槽に浸かることができないので、家では無理。

認知症の疑いが出てきたことでの同居。
この3年で、随分と進行したと感じています。
日々、カッカしながらの介護をしてきました。

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   見ようによっては黒猫・桐ちゃん((=゜エ゜=))


因果応報。
穏やかな認知症と言われても、毎日同じことの繰り返しで、あたしはイライラが増す一方。
いつかあたしも、美代さんのように認知症になるかもしれない。
そのとき娘たちは、今のあたしが美代さんに辛く当たっているように、あたしにも辛く当たって来るのでしょうね。

この先、あたしが少しでも優しい介護をすることができたなら、それを観た娘たちはあたしを見習ってくれるのでしょうか。
母の記憶は無くなっていっても、あたしの記憶はこの先も詰め込まれる。
コップから溢れ出す前に、嫌な記憶は排除したいと思ってしまう。

優しい介護・優しく在りたいと思いつつ、今日もつんけんとした態度を取ってしまう。


新規オープンのスーパーマーケットが・・・

古河市に、新しいスーパーが開店した。

国道4号線沿いの、ずっと畑だった土地に建築資材等が運び込まれ、「交差点のある場所に何が建つんだろう」と思っていた。
お盆過ぎから長女が来ていたので、二人で、「建物的には医院・ドラッグストアとかなんじゃない」などと、勝手に想像していた。

10月の中頃に、その近くにあるスーパーに行った際に看板が設えてあり、そこが「ヤオコー」というスーパーであることが判った。

その近くのスーパーというのはベイシアで、あたしがワインを調達するお店。
古河市内のスーパー巡りをし、飲んでいるワインの価格が一番安いのがベイシアだったので、今日も買い出しに行って来たという訳。

ベイシアまでの直線距離で言えば、200メートルくらいかな。
それこそ目と鼻の先に、同業の出店。

価格競争とか、大変なんだろうな・・・なんて、いらぬお節介だけれど、消費者にとっては賢い買い物ができるので、良いことなのかもね。

道路が少し渋滞していた。
警備員が誘導していたけれど、開店売り出し期間中は、混雑は避けられないのでしょうね。
でも、思ったのは、スーパー自体が建っている敷地の駐車場は、そんなには広くはなく、道路を挟んだ向かいに2ヶ所の駐車場があったけれど、利用する客はカートを押して道路を横断することになるのよね。
ちと、大変かも。

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混雑が一段落した頃を見計らい、一度くらいはどんな感じか見物がてらの買い物をしてみましょうか。
そうそう、ワインの価格をしっかりと見て来なくては(笑)

PS
いつも利用しているイオンには、あたしが飲んでいるワインは置いていないのです。
とても、残念なことです。


結膜下充血と、認知症老人の外出

午前中、かかりつけ眼科に行って来ました。
毎回思うこと。・・・今日も混んでる・・・

美代さんは白内障の手術をしているので、その経過とドライアイの目薬。
あたしは、老化とパソコン等の使い過ぎに因るドライアイの目薬。

10日ほど前に、いきなり右目が渋くなり違和感を覚え、特に痛みはなかったのですが、鏡を観ると充血していました。
何だろう・・・と、思うもそのままにし、翌朝にはかなり引けていたので気にせずにいました。
結局、完全に元に戻ったのは3日後くらいでしたが、そのことを思い出し、医師に訊いてみました。

【結膜下出血】
ということでした。
原因は良くは解っていないものらしく、そのままにしておいても1週間から10くらいで治るとのことで、単発でなる人もいれば癖になる人もいるそうで、まぁまちまちなのだそうです。
現に、あたしは3日ほどで治りましたし、その後は綺麗な白目です(笑)
参考資料
http://www.hayashi.or.jp/disease/detail/masterid/58/

ドライアイとは、この先も仲良くお付き合いするしかないと思っています。
目のゴロゴロ感は少なくなり、差す回数もグッと減ってきていますが、パソコンやスマホを観ない日はない訳で、年齢にしてもこの先若くなることなどあり得ないこと。
市販の目薬でも良いのかもしれませんが、金額的なことを考えると、眼科処方薬の方が割が良いのです。


美代さんの白内障手術後の視力は、特に変わりなく「手術しておいてよかったですね」と。
ただ、あたしと同じ様にドライアイがあり、乾き方もあたしに比べると範囲が大きいのだそう。
こまめに目薬を差すように言われました。
診察が終わり診察室から退出する際に、

「美代さん、どんなこと話していたか解ってる?」

「わがらね・・・あどで教えて」

医師と看護師は苦笑いしていましたヮ。

白内障の手術をしたことを憶えているのかしら。
と、言うか、眼科に行って来たことも、たぶん忘れます。
デイから帰ると、何処に行って来たのかも忘れるくらいですから。

まぁ、それは仕方ないとして、大変なのは外出先のトイレ。
場所も解らず「おしっこ」と、ぼそり。
ズボンの上げ下げから手を洗わせたりと、ぜ~んぶお子ちゃまと一緒。

待合室・診察室の椅子には一人では座れない。
椅子との距離感が判らなく、どの位置でお尻をつけば良いのかが判断できないので、あたしが誘導し座らせよとするのですが、見かねた受付や看護師がお手伝いにやって来ます。
自宅やデイの椅子は慣れてはいても、たまに行く場所では勝手が違い、身体を預けられない美代さんは腕を振り上げながら「おっかね!転ぶ!!」の、大騒ぎ。
座らせる看護師も一苦労です。(ご面倒お掛けします)

美代さんを外出させるのは、もう・・・本当にしんどい、大仕事です。

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PS
今朝、入歯を外して口濯ぎするように言いましたが、ポカンとしているのです。

「ねぇ、口濯ぎよ!」

「くぢ濯ぎって何だ?」

・・・え!「水を口に入れてコポコポすること!」

「そが、そう言う風に言えばわがる」

一瞬、頭が真っ白になり、口濯ぎとは何のことかが判らなくなったと言いました。

頭が真っ白になることが、この先は益々増えていくのでしょうね。


ボケ防止のひとつ。惹かれる事・物があること・・・?

突然ですが、あたしはジャニーズの嵐が好きです。
今日11月26日は、嵐のリーダー・大野君の誕生日です。
若く観えますが、もう40歳になるんですね。(観えないので敢えて)

あたしはたぶん、アイドル好きなのでしょう。
小学校の高学年の頃は、森田健作さんが好きでした。
ドラマ【おれは男だ!】の影響ですね。
「吉川くん」の、高音の声が今でも耳に残っています。
どう着姿で竹刀を持っている姿や、海岸沿いを走る姿なども、目に焼き付いています。

中学生になり、その対象は郷ひろみさんに変わりました。
世の中には、こんなにも美しい男の人が居るんだ・・・。

新御三家として、西城秀樹さん・野口五郎さんと一緒に活躍されていましたね。
クラスの女子は、甘いマスクのひろみ派。
ワイルドで、パンチのある歌声の秀樹派。そして、抜群の歌唱力の五郎派に分かれていました。
郷さんのファンで居たのは、高校3年の秋くらいまでで、その間コンサートにも何回か行っていました。

卒業真直になる頃には、フォークの松山千春さんのファンになっていました。
当時、確かラジオ番組の【オールナイトニッポン】で、知った記憶です。
顔が良いとかスタイルが好きとかではなくて、純粋に歌詞と曲に惹かれていました。

「めぐるめぐる季節の中で貴方は何を見つけるだろう」

好きなフレーズです。

郷ひろみさんを嫌いになった訳ではなくて、千春さんの歌を聴きながらひろみファンで居ることも続けていましたが、19歳で結婚20歳で母親になったあたしは、子育てに追われいつの間にかアイドルの世界から離れて行きました。

嵐を知ったのは、バレーボールが好きでワールドカップの際の、オフィシャルサポーター?をしていた時。
でも、年齢的には言えば息子くらいなので、特に惹かれることもなく過ごして居ました。
特別にいいなぁ・・・好感が持てるな・・・と思ったのは、松本潤さん主演の【花より男子】の主題歌
「ONE LOVE」を聴いた時から。

「100年先も愛を誓うよ。君は僕のすべてさ」

なんて素敵な歌詞💛
携帯のメールの着信音にもしていました(笑)

この歌をきっかけに、どんどん嵐が好きになり、嵐の出ているドラマや歌番組は必ず観るようになっていましたね。勿論、アルバムも買って・・・いや、レンタルし録音していました(苦笑)

5人の誰が好き?
と、問われることがあるけれど、誰を好きというのではなく、各々の個性が好きでファンで居る。
若いコ(娘さん)たちみたいに、熱狂的な追っかけをすることもなく、静かに地味~にファンで居る。そんな感じです。

今年いっぱいで、活動を一旦休止することになっています。
5人一緒に居る姿を観ることができなくなるのは、やはり寂しいですね。
でも、解散の選択肢でなかったことに感謝です。
いつかは、5人揃った姿を見せてくれるでしょうから。

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あたしは、これからも嵐のファンで居ます。
誰かのことを好きで居られることが、ボケ防止にもなる。
そう、色ボケは呆けに非ずです。

老いてなおかくしゃくと。でしたっけ?
姿形は老いていきますが、心はいつまでも若く在りたい。
何かに・誰かに惹かれて生きることも、ボケ防止になるのでは。

にゃんズの母は、今日も(一応)元気です(苦笑)


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と5にゃんズとの7人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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