にゃんズの母

「老猫、桐ちゃん18歳、青(せい)くん16歳」「あたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、88歳。方言と訛り×認知症要介護3で、田んぼの観える特別養護老人ホームに入居」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、ケンカして・・・なのですが、母が特養に入所しケンカ相手が居なくなり少々寂しくも感じています。 人生一度きり。前向きに生きるためのブログです。

2019年03月

子どもにとって、親とはどのような存在なのか・・・。

25日・月曜日、次女からライン電話あり。
ピピピピぴぴ・ピピぴン♬(ぴ・ぷ・ぽ、どれが正解音?)

あたしには、娘がふたりいる。
長女のユカと次女のサキ。

次女のサキは、13年間勤めていた歯科医院の退職を決め、新たな医院の面接を受けていた。
「仕事、決まったよ!」

「前に言ってたとこ?おめでとう」

詳しいことはこちらに記しております。
宜しかったら、お入りください。
http://aya1205k.xyz/archives/15986936.html


面接前に、院長夫人から事前説明のような電話が入り、その電話が一時審査のようだったと話していたが、職場見学も含めての正式な面接を受けて決まったようだ。

新しい職場の様子や動線についての不安などを、細かに話してくる次女。
ときどき笑いありの会話は、楽しさがある。

スポンサーリンク


一通りの会話の後、
「あ、お墓から花を持って来るのを忘れた」

お彼岸のお墓参りをしてくれた際に、花を持ち帰るのを忘れたとのこと。
「行ってくれたんだね、ありがとう。ところで、28日は〇〇さんの命日だよ」(夫の名前)

「わかってるよ」

(あたしたち夫婦は、次女が中学を卒業以降お互いを名前で呼ぶようにした)

本来であれば、跡取りで長女のあたしが出向いての、お墓参りをするのが筋であろうが、母美代さんを連れての帰省は簡単ではなく、むすめ達に任せてしまっている。
そしてそれは、あたしから頼んだわけでもなく、彼女らが自発的に行ってくれることを、ありがたく思っている。

夫が亡くなった時、長女28歳・次女23歳。

長女が20歳のとき、あたしたち夫婦は岩手を離れ、5年後に次女があたしたちの元から離れた。
ふたり共、夫と暮らしたのは20年間のみ。
むすめ達にとっての夫は、どんな存在であったのか・・・。

夫がどの様な人間であったかは、過去のブログに何度か記しています。
良くも悪くも、家族にとってはまぁまぁいい加減な人でしたが、職場では、上司からは勿論後輩からも慕われていたことを、娘たちは知らないままでいます。


38f8e8b2a5f6c80b064205a9a4e061f7_s

実家を離れ19年目。
「おかぁ、こっちに戻ってくる気ないでしょ?!」

「オリンピックを観たいから、それまでは古河にいるよ・・・」

「ふ~ん・・・」

あたしの心を見透かしているような感じです。

あたしも夫同様に、いい加減な母親なのかもしれません。
それでも、何かがあったら・・・いざとなったら一番の良き理解者で在りたい。

大人となった娘たちにとって、あたしの存在は・・・。
自信を持って言えること、それは、
わがままな生き方をする、勝手なおんな。

そんな、勝手なおんなである母親を、帰省時には普通に受け入れてくれる娘たちに、感謝しています。


スポンサーリンク

夫が亡くなった、10年前の記憶を辿る。

霊柩車で8時間(憶えていないが、東北道岩槻インターから100キロ平均走行、途中休憩を入れるとたぶんこのくらいの時間)

葬儀屋さんの運転手は2人。(交替での運転の為)
遺体安置は後部席。当然寒い。
後部スライドドアの横に小さな椅子があり、そこにポツンと座る。横の棺の中には53歳胆管細胞がんで亡くなった夫。

運転席と助手席は暖房が効くが、後部座席はブルブル震えるほど寒かった。

途中、トイレ休憩が2回ほどあったような・・・。
トイレから戻ってくると、葬儀屋さんから、缶コーヒーを頂いた。
「うしろは寒いですよね・・・でもこればかりは仕方のないことですので」

気遣いは嬉しかった。


夫が亡くなったのは、2009年3月28日 午後11時13分。

余命宣告を受けていたので、亡くなるのなら岩手で。との夫の気持ちを尊重し、事前に岩手の病院への転院手続き・民間の救急車の手配、そして引越しの準備を全て終えた日でした。

個室に移り、付添い用の簡易ベッドを借り、ロングドライブに備えて早めに休んだ方がいいね。などと、車の移動のために岩手から来てもらったむすめ達と話したことを憶えています。

亡くなる2~3日前から、虚ろな目をしベッドの上で、起上がる・横になる、という動作の繰り返しをしていた夫。
たぶん、無意識で病気がさせていたのだと思います。
それでも、明日は岩手に向かうのだいうことは解っていたようで、
「引越しの物は片付いたのか・・・?」

と、自分が何もできない状態で、申し訳ないという気持ちも出ていました。

急変。と言うのでしょう。
いきなり呼吸が荒くなり、すぐに意識がなくなりました。
慌てて看護師を呼ぶと、心臓マッサージが始まったのです。

夫の名前を呼び、傍にいることしかできませんでした。

「手をさすってあげてください。名前を呼んであげてください。伝わりますから!」

看護師から言われた通りに手をさすり、何度も何度も名前を呼んでいたあたしの横で、むすめ達も「おとぅ、おとぅ」呼び続けていました。

心臓マッサージを始めて、どのくらいの刻が過ぎたのか分かりませんでしたが、「ガッ!」という声にもならないような声と、大きく見開いた目で上半身が上がり、バタンとベッドに落ちたのが最期だったように思います。

看護師の手が止まり、夜勤の医師が脈をとり黙って見ているだけ・・・。
でも、諦めきれないあたしは、医師に対してもう少し心マを続けてほしいとの懇願に、元々心臓が弱っての急変なので、これ以上は意味がありませんとの応え。どうすることもできませんでした。

瞳孔と時計確認をし、
「午後11時13分。御臨終です」

余命宣告されたとき、一応の覚悟はしていたしたつもりでしたが、あまりにもあっけない別れでした。


10年の歳月が過ぎた今でも、はっきりと憶えていること。
その夜、夫の口から出た一言。
「俺は死ぬとき苦しむのかな・・・」

「そんなこと神様しかわからないでしょ・・・」

まさか、この会話の後に亡くなるとは夢にも思ってもいなかったので、こんな素っ気ない返事をしてしまったあたしです。

嘘でも、「だ丈夫だよ」と、どうして言えなかったのか・・・。
後悔しています。


人によっては、全てのことが頭の中に残っている。と、言える方もいるでしょう。
あたしには・・・断片的な記憶しか残っていません。

そんな記憶の中での最大の後悔が、先の会話です。


人は、必ず亡くなります。
それがいつであるかは、判りません。

あたしは、母美代さんを看取る覚悟はしています。
まぁ、それもいつになるか判りませんし、もしかしたらあたしの方が先かもしれないのですが・・・。

この世に、悔いなき人生を送られている方が、どれほどいらっしゃるのか定かではありませんが、
なるべくなら、後悔のない日々を送りたいと思っている、あたしです。

お読み頂き、ありがとうございました。


自分の意思で服選びができる。大事なことですね。

昨夜、
「明日はデイだ。この服着る」
と言い、ベッドに入った母美代さん。

今朝7時過ぎ、起こしに部屋へ。
「起きてる?7時過ぎてるよ。今日も休むの?」

月曜日は、体調が悪いと言い休んでいます。

「は?・・・今日は・・・あ、水曜日だ、デイだ。行ぐ」

今日が水曜日と認識できていた・・・良かった・・・。

着替え終わった美代さんですが、昨夜言っていた服とは違います。
・・・ま、いっか・・・

昨夜の気分と今朝の気分が違った・・・そう、取りましょう。

でも、たまに恐ろしく、ちぐはぐな格好をすることがあるのです。
その時はすかさず「チャチャ」を入れます(笑)

スポンサーリンク


現在、要介護1の美代さん。
アルツハイマー型認知症と変形性膝関節症の症状があります。
そして、一昨年の10月に脳梗塞発症で2週間の入院加療を受けています。

認知症は軽度から中等度を行ったり来たりで、たぶん中等度になりつつあるように感じています。


あたしが物心ついた頃から、美代さんはお洒落には無頓着で、父がファッションリーダーでとして、服選びをしてくれていました。

父が亡くなり、一人農作業になってからは、取り敢えず着る!みたいな汚れても良い服選びをしていた美代さん。
それこそ、柄物×柄物で、「ザ・ちぐはぐ」
一緒に出掛ける際には、必ずと言ってよいほど着替えさせていました。
それも、自分で選んだ服はやはり・・・??なので、あたしや孫むすめ達に選んでもらうという次第。

ここであたしと暮らすようになり、岩手とは気候が違うことや、農作業などもなくなったので、色合いなども含め、少しだけお洒落になってきています。

元々、ファッションやお洒落には関心がなかったということもあり、自発的に「こういう服が欲しい」とはあまり口にはしない方でしたが、デイケアに通うようになり、「誰々はこんな服を着ていた」と言うようにもなりました。

27d85edae75f09117ec239c00f0ac6cf_s

お店で服選びをする際は、あたしが何点かチョイスし、美代さんに選んでもらいます。
そして、必ず試着させます。
見た目と、着てみての印象はかなりの違いがありますから。

ひざ痛・腰痛持ちの美代さんには、立ったままでの試着は辛いものがあるのですが、最近の試着室には椅子が置いてあるところもあるので、大変助かります。

今はまだ、「この服を着る・着たい」という感情があるので任せていますが、それもいつまで続くのか分かりません。

この病気には、色いろなタイプがあるようなので、今の所は穏やかである美代さんのお洒落感を、少しでも長く維持できればと思っています。



スポンサーリンク

わが家の調味料には「砂糖・みりん」がない。ダイエットのため?

昨日の生ふき、調理法が判らず・・・いいへ、言葉に語弊がありました。
母美代さん、油炒めはできるのです。
昔・・・まだ元気はつらつとしていた時分、畑で収穫したふきを丁寧に下茹でし、皮(筋)を剥き、油炒めとして食卓へ並べてくれました。
味付けは醤油です。(俗にいうめんつゆ)
美味しかった記憶があります。

でも、今の美代さんは料理は一切しません。
ガスを使うことが「おっかない」と言いますが、本当の理由はこちゃましたことが嫌いなので、やりたくないのです。

こちゃます➡こまごまとしたこと。

美代さんは本当に料理嫌いで、調味料の使い分けが嫌いです。
想像力が少ないと言いますか・・・調味料の組み合わせでどんな味になるか。という考えをしないようです。
まぁ、昔の事なので、調味料の数も今ほどあった訳でもないでしょうから、それも仕方のないことですが。
結局のところ、料理男子の父に「おんぶにだっこに肩車」状態でしたから、今更こうしてみれば・ああしてみれば。と言ったところで無駄なのですが・・・。

スポンサーリンク


ふきは煮つけにしてみました。
他の料理用にと買っていた、油揚げとかまぼこを千切にし、斜め切りにしたふきと一緒に煮ました。
味付けは、醤油・料理酒・だしの素・パルスイートを少々。隠し味にめんつゆ少々。仕上げにさば缶投入。
さば缶の出汁でコクが出、美代さんも美味しいと言ってくれました。
が・・・さば缶が入ったから美味しい。と、付け加えられてしまいました。
褒められたのか、けなされたのか・・・。

あたしはオシャレな料理は作れませんが、それでも母よりはレパートリーがあります。

また作ってほしいと言われたので、その内に・・・。

わが家には砂糖は置いていません。
みりんもありません。

その代わりとして、パルスイートを使用します。
カロリーゼロ・糖類ゼロ。

DSC_0882

体重増加の美代さんの、ダイエットの為でもあります。

みりんの代わりとして、このパルスイート・お醤油・料理酒で味付けします。
慣れるものですよ。

ダイエットに興味のある方は、お試しくださいませ。


迷子(迷い婆)になったら、結局は家族の責任・・・。

昨夜から一緒に行きたいと言っていたので母美代さんと連れ立って、近所のスーパーへ買い物に。

美代さんは杖歩行。
一緒に歩くあたしは、超が付くスローペース。
やっとのこと店内へ入った途端に、疲れたから近くにあるベンチで休むと言い出す。
かなり筋力が落ちたようだ。

野菜売り場から見て回ると、陳列棚に葡萄があった。
どうしても食べたいというので、カゴの中へ。
少し歩くと今度は生ふきが。
例の如く上から突き始めたので、頼むからやめてほしいいと小声で伝えるが、美代さんは突いているつもりはなく、ただ、懐かしさのあまり触っただけだと。

そして、小さな子供が欲しい物の傍を離れないように、生ふきの上に手を置いたまま、みそ汁で食べたいので買ってほしいと。
自分で料理をするわけではない。
いや、あたしが傍についているときは使うのです。それでいて、ガスが、火が怖いから・・・火の調節が上手くできないからと言い訳をする。

思えば、昨年の夏には自分でそうめんを茹でていた母。
そうめんは、茹でるだけで食べられますから・・・。

スポンサーリンク


ソーセージが目に留まった。
買って欲しいと言う。
ソーセージには申し訳ないが、諦めてもらった。

それこそ、昨年の夏辺りに、自分で買い物をしてきたことがあり、朝食のおかずとして丸ごとむしゃむしゃとかぶりついていた。
1本~2本と順調になくなったが、残りの2本に手を付けずに冷蔵庫の片隅で忘れられていた。
賞味期限があるのだから、なるべく早めに食べるように言っていたが、結局期限が切れて3ヶ月も過ぎた頃、勿体ないが破棄。
あたしが調理してあげたらよかったでしょ?!と、思われるかもしれませんが、それは違うのです。
一昨年の9月、ここで暮らすと決めた際に、朝食・昼食は自分で作るとの約束をし、料理嫌いの美代さんが、調理せず食べられるものとして自ら買った、ソーセージなのです。

このようなことがあったので、買うことを諦めさせました。
そして、このようなことがあったことを、当然の如く忘れていました。

約束をした話を持ち出すと、「憶えている」との返事が返ってきます。
どこまで憶えているのか、定かではありませんが・・・。

あたしは母に厳しい。そしてズルい。
だって、あたしは母が嫌いなのだから。
それは、過去に色いろあり、根強く心の中に留まるものがあるから。

DSC_0828

買い物帰りの途中、
「あぁ、疲れだ・・・もう買い物には行がね。歩げね・・・」

「そうね・・・その方がいいね・・・」


ソーセージの場所から離れる際、
腹いで・・・、トイレさ行きて・・・」(お腹が痛い)

一番近いトイレへ急いで移動。
近くにベンチがあったので、トイレの後はあたしの買い物が済むまでここに座って待つようにと言い聞かせていたのに、会計を終え母の元へ行くと歩き回っていた。
「ねぇ、ちゃんと待っていてくれないと迷子になるでしょ。お願いだから言うことを聞いて・・・」

「待ってだ!でも、観たい物あったがら・・・」

時間がズレていたら、あたしは母を探して歩く羽目になっていたはず。
どうして分かってもらえないのだろう・・・。
情けなくて泣けてきた。

眼を離したあたしが悪いのだと思う。分かってはいる。
それでも、イライラ感・モヤモヤ感が残る。

※ 母の杖には、名前と年齢・携帯番号を記しています。

PS
生ふきの下茹では美代さん自らしました。
よほどのこと、食べたかったのでしょう。
そして、ガスを使えたのです(あたしは傍にはついていませんでした)

「おっかね、ガス使えね・・・」


・・・・・・・・・・・・・・?

まだらボケの母美代さん。
今日は、良い日・悪い日どっちだったのでしょう・・・。


スポンサーリンク
プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2001年、念願の実家脱出に成功。 2009年、最愛?の夫と死別。 以後、気ままな一人暮らし。 2017年、軽度認知症の母との生活が始まり、 介護と思しきバトルの日々でございます。 動物大好き、特に猫。 酒とお洒落を愛する、普通?の「おんな」でございます。
お問い合わせ
プライバシーポリシー
ギャラリー
  • 施設からの電話 オムツでお腹が擦れた・・・?
  • 根性と精神力で仕事をする?
  • 特養での面会を心待ちにしているのは、娘のほう?
  • 親が亡くなっても、仕事を優先・・・?
  • 介護の関り 祖母と孫娘 母親と娘  
  • ハロウィン用のカボチャ・・・でも、切ってみたら
  • 度重なる地震で想うこと・・・親を担ぐことはない
  • インフルエンザ予防接種・・・受ける?受けない?
  • 収納の達人から学ぶ・・・物は増やさないこと(自分流)