にゃんズの母(認知症と猫とわたし)

「老猫、桐ちゃん20歳(2023.7.14没)、青(せい)くん19歳。琴ちゃん4歳・常くん3歳。連くん1歳」「わたし、お洒落大好き還暦過ぎたおんな」「母、91歳。認知症要介護5で、完全車椅子生活。地域密着型の特養に入所」 ねこ、お洒落、母の認知症と日々のあれこれについてを綴っています。 泣いて笑って、愚痴満載(苦笑) 今生は一度だけ、前向きに生きるためのブログです。

2018年12月

新しい年を迎え、なにも変わらない日常。まだらボケは続く

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。


新年を迎えても特に何かが変わることはありません。

母はまだらボケ。行ったり来たりの記憶の中で、良い日悪い日・良い時間
悪い時間の繰り返しの毎日が、今年も続くことになると思います。

今年がどの様な1年となるかは、母美代さん次第ですが、ミリ単位の進行ですので極端には変わらないでしょう。

2009年に、父と夫が立て続け亡くなり、今年で10年目になります。
ふたりが亡くなってからは、お正月行事もなくなりました。
10年前に家族皆で天台寺に初詣に行ったのが最後。
母も実家を離れ岩手と茨城の二家族の、お互いの健康な姿を見せあうための帰省のような感じです。

我が家の大晦日の習わしは、紅白歌合戦を観ながらのカニパーティです。
年に一度の大盤振る舞いが、30年近く続いています。

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次女が大皿を用意したのですが、皿汚しになるからと結局使わずにトロ箱のままで頂きました。我が家はそんな大雑把なところがあるのです。
イベント大好きだった父が生きていたら、たぶん叱られていたと思います。

このパーティの後に年越しそばを頂きます。

怪獣くんがとなりで遊んでいる姿を観て、年越しそばを食べていた母美代さんが突然、

「そだ、〇〇(ひ孫)にお年玉あげでねがった」

「祖母ちゃん、まだ年開けてないから」(ハモってました、笑)

むすめ達の言葉に、

「そだのが、まだしょうがづでねのが」


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母の今朝の起床はいつもと同じでしたが、小一時間もしてから、携帯を片手にお喋りをしながら台所に入ってきました。相手は、そういつもの妹ヨッコさん。

「オレ、まだ朝飯どいうが昼飯食ってねがら、は、切るじゃ」

と言いながら、あたしが作った白子汁や、昨夜の年越しそばのスープの蓋を開け確認し、自室に戻って何やらガサゴソ。

母のこの行動には何か訳が合っての事なのでしょうが、食欲だけは失せない母ですから、必ず食べに戻ってくると思っていました。

無事、朝食兼昼食終了。

年はじめも、快調な母の食欲。


昨日、長女から貰ったノンシュガーの飴を美味しそうになめていました。
(ノンシュガーで良かったね)

ダイエットは、古河に戻ってからのことになりそうです。


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母の介護を通しての、出会いとなった1年。

今年も今日で終わりですね。

若い頃の1年はとても長く感じたものですが、この年齢になると1年はあっという間です。

特にあたしにとっては忘れられない、初めて尽くしの1年でした。

ブログ開設をしたのが1月。

少しづつですがPVも増え、「介護」を通しての出会いもありました。

今年出会えた全ての皆様に感謝致します。

ありがとうございました。


帰省中ですが、母との日常が変わることはありません。

母お得意の「KY発言」や、気遣いなしの行動は健在。

まだらボケの母との、チンプンカンプンな1年が過ぎようとしています。

年が明けてもこの生活が変わることはないと思います。


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毎日繰り返されるバトルですが、訪問頂く皆様には、これからもありのままをお伝えしたいと思っています。

1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。

よいお年をお迎えください。



スポンジの様に吸収する「脳」と萎縮する「脳」

あたしの孫は、2016年1月初旬生まれ。
年が明けて3歳になります。

お盆の頃より言葉数も増え、聞き訳も良くなっています。
何より会話が成立するのです。
男の子は一般的に喋りが遅いと言われていますので、この時期で会話成立はまあまあでしょう。

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2週間ほど前から
「おばあちゃん、あーちゃん、きりちゃん、せいくんはいつくるの?」
と、次女に尋ねていたそうです。
可愛いものですね。
でも、動物園のパンダ状態で2~3日もすれば慣れ、飽きて寄り付かなくなるかもよ。と娘に言われています。ま、それはそれで、たまにやってくる派手なおばあちゃんの認識で良いのです。

孫の脳はなんでも吸収します。
大人が発した言葉を、意味も解らずに面白いほどに繰り返します。おいそれと悪いことは言えません。
色々なものに興味を示し、大人と同じ事をしたがる。
なんでも吸収する孫の横で母美代さんは、ひたすら

「危ね・ダメだ・やめろ!」

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       孫が組み立てたレールです


固定電話を観て、

「これは古河にあるのど同じだな」

「ん?、古河にはこれはないよ、これは電話だよ」

「そが、電話が。ああ番号つでるな」(ついてるな)

何と勘違いしたのか、古河には固定電話はなくあたしと母の携帯のみ。
この固定電話で母の妹たちと何度も電話していたでしょと言うと、
「そだのが」電話番号は憶えておらず使い方も忘れていますから、今はもうこの固定電話は使えないでしょう。使っていたこともあやふやのようです。
でも、携帯は使えます。番号は登録してあるので、ボタン一つ二つを押すだけ。そして、仲良しの妹「ヨッコさん」さんと繋がる大切なアイテムです。

母の脳は萎縮していく。孫の脳はどんどん吸収していく。
4世代の中で、母だけが置いてけぼり状態ですが「足の痛みさえなければお前たちには負けない」と強気な言い草。

むすめ達のぼやき。

「祖母ちゃんうるさい!自分で動けないくせに口だけは達者なんだから」

母にとっては、可愛い内孫のむすめ達ですが、そのむすめ達にとっては、うるさいだけの半ボケ老人。

【老いては子に従え】
あたしは思います。
孫が成人する頃には、あたしも程よい老人。

願わくば、かわいい年寄りで居させてください。


軽度認知症の母、古い写真は脳の活性化になる・・・?

お盆から5ヶ月半ぶりの岩手。

母美代さん、住み慣れた我が家でも勝手が違うようで、しっくりこない。

自分が脱いだスリッパが、脱いだと思っている場所にない、

「だれがオレのスリッパ履いだな」

仮にあたしだったら、「スリッパ観なかった?」とか「スリッパどこに脱いだっけ」で済むことが、母は自分が脱いだ場所も忘れ人のせいにする。

お焼香のあとに血圧測定をしたのですが、1時間後くらいでしたか、

「血圧はがるの、どごさあるっけ?」

測り終わっていることを伝えると、「ああ、そだな・・・」思いだしての言葉なのか、いい繕いなのかはわかりかねますが・・・。

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自室で古い写真を観て「懐かしい」
認知症患者には、昔の写真を観せることが、脳の活性化効果になるそうですね。
写真についている日付を観て記憶を辿っていたようです。
同級会の写真が出てきたようで、「写ってるながの何人がは、もう死んだんだなぁ・・・」
人には必ず死が訪れます。

当たり前のことですが、母にも若い時があり、なんでも一人で出来た時代があった訳で。
年を取るとその当たり前のことが出来なくなり、ましてや認知症ともなるとそれまで出来ていたことが崩壊していく。

5ヶ月ぶりの母の姿を観て次女から出た言葉。

「年取るとみんな祖母ちゃんみたいになるんだね・・・。嫌だけどあたしもそうなるんだね」

そう、年は平等です。
でも、防げるものであてばそれに越したことはないわけで、オプジーボではないけれど認知症特効薬なるものが早い時期に開発され、認証されることを希望するばかりです。

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           イメージです

昨日の車中、母に約束してもらったことがあります。
実家には、あたしの長女、そして次女夫婦とその息子(もうすぐ3歳)が
住んでいます。
あたしの外孫になる怪獣くんはやんちゃ盛り。
母は、怪獣くんのやることなすことに口を挟むので、なるべくそのような言葉を発しないようにとの約束でしたが、口から出る言葉は「ダメだ、壊れるじゃ。あ、そごさいぐな。あ、取るなやめろ」の連発。手が出ないだけマシでしょうか・・・。

母が孫(あたしのむすめ達)の面倒を見ていた時代とは違い、今はその子の自主性を伸ばす叱り方、というか諭し方があり、母には追い付かないようです。

写真を入れていた封筒を破かれ、

「なすてしゃぐ、やめろ!しゃぐな!」(しゃぐ=破く)

「美代さん、あまりがみがみ言うと自分が疲れるから、ほっときなよ」

「オレはおめみだいに言えね・・・」

母が幼い頃は頭ごなしに怒られ、殴られていた時代。自分がやられていたことを踏襲しているだけ。ただそれだけなのですが、それが今の時代にはそぐわない。

ミリ単位で進んでいる母ですが、孫たちの姿をずっと見ていたいから、まだまだ死にたくないと言っています。

忘れてしまう日が訪れることを解っていないようです。


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東北道移動での、危険走行と思われるトラックの行い。

昨日の出発で正解でした。

混雑もなく、まあまあ快適な7時間。
途中、福島県の二本松辺りから吹雪になったのですが、下されることもなかったので順調。ところどころ強風があり、フワッと浮く感じはいまだに慣れませんが・・・。

年齢公表しているあたしですが、年々辛くなってきています。
この2~3年は、スピードも控えめのオバサン走行。
軽自動車なので、メーターは140キロまで。もう少し若い頃は平均120キロで、一刻も早く着くことを専決にしたいましたが、今は、疲れない走行を一番に考えています。

東北道は、宇都宮インターから先は2車線になります。
走行車線は長距離トラックが多く、間に挟まれると少なからずの恐怖感はありますので、間あいだを観て、追い越し車線走行になります。
その追い越し車線を走行中、怖いことがありました。
メーターは110キロ。走行車線の切れ間を見て、車線変更しようと思っていたその時、後ろに大型トラックがピタリ、恐怖でした。

あれは今問題になっている「あおり運転」に近いものだと。
確かにスピードは出ていませんでしたが、あのようにピタリと付くのは「早く走れ」「どけ、邪魔」の意味する行為なのだと感じました。

トラックだけではなく、普通乗用車でも同じ行為をする方がいます。
怖いです。軽自動車は追い越し車線を走るな!みたいに感じます。
高速道は当然スピードが出ているので、安定した走り方が必要です。
自分が気をつけていても追突されたら一瞬で終わりですから、殊更安全運転の心掛けが必要だと思っています。


皆様も、高速道に限らず思いやりの心を持って、安全運転を心掛けてくださいませね。

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岩手、寒いです。
昨日の夕方5時の外気温、マイナス4度でした。
あたしの実家は盛岡寄り。豪雪地帯ではないので日本海側の様に、積雪うんメートルとまではいきませんが、それでも雪かきは必要です。

午後には、お正月用品の買い出し。


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          今朝の風景

日差しがあるので日中雪は解けますが、夕方には凍り始めるの雪道走行を思い出しながらの運転です。


プロフィール
こんにちは、にゃんズの母と申します。 2009年に夫を亡くし、現在は独身の長女と4にゃんズとの6人暮らし。 人生も残り三分の一となり、イマを精一杯生きている60代です。
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