昨日は涼しく、とても過ごしやすかったです。
一転して今日は、予報では30度超えの暑さとな。

セミの鳴き声が、ミーンミーンから、ツクツクボーシに替わってきました。
友人の花ちゃんは、ツクツクボウシの鳴き声を聴くと、夏休みの終わりを感じたものだと言っていました。
ツクツクボウシはセミですか?
セミの世界のこと、イマイチ判らずすみません。

30代半ばの頃、八幡平市「焼け走り国際交流村」で子供会行事がありましたが、その際、セミの脱皮?羽化?を初めて目の当たりにしました。

あれは杉か松だったでしょうか?
木の種類は忘れましたが、一匹のセミの脱皮が始まり子供達含め静かに見守っていました。

時間をかけ少しづつ、普段目にする形を現し、最後にはとても綺麗な半透明ともいえる薄グリーンの羽が殻から抜け、全体像が観えた時は大人も子供も「やったー!」の大歓声。

「きれいだね~」「初めて見たわ~」

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   イメージ写真です。
   記憶の中では、羽はもっと透き通っていました。

そのセミは、後ろ脚で羽を何度か撫で、少し間をおいてすぅ~と木から離れ、青い空へと羽ばたいていきました。

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セミは土の中でとても長い時間を過ごし、地上に出てからはたったの1週間の命と教わって来ました。
その短い1週間で恋をし、自分のDNAをこの世に残し死んでいく。

でも、最近のある方の調査では、地上での一生は1週間ではなく、最長で30日以上生きたセミがいた、との結果が出たそうです。
その長く生きたセミは「ラッキー」と思ったか、それとも「大変だ」と思ったのか、人間のあたしには想像もできませんが、1週間を有意義に生きるのか、はたまた1ヶ月をのんべんだらりと生きるのか、それはそのセミ次第でということでしょうか。

人間の一生はどうなのでしょう。
亡き夫は「悔いはない。やりたいことは何でもやった」と、53歳の若さであの世とやらへ召されました。
亡き父は、79歳の誕生日に朝から夜までの1日を有意義に過ごし、あの世へと旅立ちました。

母美代さん、日に日に記憶が減衰しています。
あたしの言うことも聞いてくれません。
聞いてる・解ったと言いながら一瞬で記憶が飛びます。

その時その時が全て。
何度も繰り返し「今わがった」と言いつつ、次の瞬間には別の事をしています。
それでも、クリアな時の行動は「ホントに認知症なの?」と、思えるようなことをします。

決してのんべんだらりと生きている訳ではない。
その通りだとは思いますが、
「うん、でぎる・やる」は口だけ。
たぶん、その時はやろうと思うのでしょうけれど、
その、やろうと思った時にやらなければ忘れてしまう。

人生100年の時代で、86歳の母美代さん。
まだまだ、これからが長いです。


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