日曜日。

面会開始時間の、午後1時過ぎに母の病室へ。
土曜日に頼んでおいたパジャマに着替えていた。良かった。

がしかし、
入院時に着ていた服がビニール袋に入れられ、ロッカーに入れておいたもう一つのパジャマが無造作に小さなデスクの上に置いてあった。
丁度、寝ている態勢を変えに来ていた看護師がいたので訊いてみた。
「あたしたちは何も知りません。着替えたからここに置いてあるんじゃないですか?」

清拭時に着替えたのかと思い、美代さんにも訊いてみた。
「パジャマは昨日の夜に着替えだ、朝ははだがになってね」(裸)

何だろう・・・この病院はどんなシステムなの?
認知症のある患者に対しては、適当でいいということ?
モヤモヤだらけ。

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   いつも連絡を取り合っている、ヨッコさんへの電話
状況を上手く説明できなかったので、このあとあたしから説明。

咳は、だいぶ出なくなっていた。
抗生剤の効果が出ているのだろう。

ウトウトしている時間が多かったが、
ベッドから観えるベランダの天井にクモの巣が張ってあり、取りたいと言いだした。
「あの高さじゃ、あたしは取れないよ」

「長いたげボーキあれば、オレが取る」(竹ボーキ)

「ここは家じゃないよ」

「誰がの家が?」

「ここは病院だよ」

「・・・」

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以下、昨日の母美代さんとの会話(標準語で)
ハヤブサの声が聞こえる」(美代さんのひ孫)
「そっか、でも今日は来ていないよ」

「桐の息遣いが聞こえる」
(桐ちゃんはヘルペスの後遺症により、いつもフガフガとした息遣い)
「あたしが座っている椅子の音だよ。桐ちゃんは別の部屋にいるよ」
「・・・・」

「トイレに行く」(おむつをしていることを忘れている)
なぜおむつにしているかの説明は、何度もした。
(酸素吸入とベッド上安静で、歩くことができないことなど)
「おむつをしているから、そのまましていいんだよ」

トイレに行くは何度も出た。
顔を洗いに洗面所へ行くとも、言っていた。
毎日していることが頭から離れないのでしょう。

「ここは家だろ?向かいに〇〇さんの家があるはずだ」
実家に居ると思っているようでした。
「ここは病院だよ、美代さんは入院しているんだよ」
「・・・、そだな」

「若い時には病気などしたことなかったのに、なぜ80歳を過ぎた今、こんな病気になるんだ?」
「年が年だから、抵抗力がなくなったんだね」
「そうか・・・」

これらの会話で、一番怖かったのは自分の家に居ると思っていること。
入院に因る急激は変化・・・と、思われるのですが。

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晩ご飯のメニューは、
お粥・ほうれん草としめじのおひたし・大根と人参のきんぴら・シチュー。
ほぼ完食(シチューの鶏肉が少し硬く残した)
スプーンと箸を使い、しっかりと自分で食べました。

食欲はいつもと変わらずの美代さん。
24日に、レントゲンと採血の予定が入っています。
早く酸素吸入が外れ、ベッド上安静から解放されるといいのですが。


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