な~んにも頭に浮かばない。
こんな日も、ときにはあるよね・・・。
今日は朝からなにも考えられない。
母美代さんの自由な行動も、どうでもよい。
人は、何かの使命を受けてこの世に誕生するのだろうか。
だとしたら、あたしのこれまでの人生は、娘二人を設け、夫を看取り、母の介護に費やす日々。介護というほどの大袈裟なものでもないけれど・・・。
十人十色、百人百色・・・とは言わないか(笑)
ブログを始めて、色いろな方の考えや想いを知った。
影響を受けたブログもある。
あたしのブログはどうなのだろう・・・。
日々の、母の愚痴が多い内容で、読み手は嫌気を憶えないのだろうか。
でも、そんなことを考えていたら、この先書くことができなくなる。
昔、姑に「親の傍で暮らす気ままな嫁」と言われたことがある。
姑の次女は、長男の嫁となり、身体の弱い姑の世話・息子3人の世話・亭主関白の夫に遣え毎日大変な想いの中で暮らしていると。
それに比べ、あたしは親の傍でぬくぬくとしていると。
確かに当時は姑の言う通りだったのかもしれない。
姑は89歳となり、独身の67歳の長男と暮らしている。
暫く会っていない。連絡を取り合うこともない。
姑にとって亡き夫はとても可愛い次男坊。
あたしが直接聞いた訳ではないが、夫の葬儀のあと、姑の口から怖ろしい言葉が発せられた。
〇〇ではなく、これが先に逝けばよかったのに・・・。
(夫ではなく、夫の兄が先に逝けばよかった・・・と)
股聞きではあったが、あの姑なら言いかねない・・・。そう、思った。
そして、あたしと結婚しなければ〇〇がこんなに早く死ぬことはなかった。
直に言われたこの言葉もまた、本心だったのだろう。
運命は変えられるが、宿命は変えられない。
親は選べない。これが宿命という。
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人生の選択。
人生の岐路。
様々な想いの中で精いっぱい生きる。
そう、何だかだ言いながらも、精いっぱい生きる。
あたしは、自分を諦めたくはない。
今も、これからも・・・。
明日、新元号が発表になりますね。
昭和・平成、そして・・・駆け抜けていく。
こんな日も、ときにはあるよね・・・。
今日は朝からなにも考えられない。
母美代さんの自由な行動も、どうでもよい。
人は、何かの使命を受けてこの世に誕生するのだろうか。
だとしたら、あたしのこれまでの人生は、娘二人を設け、夫を看取り、母の介護に費やす日々。介護というほどの大袈裟なものでもないけれど・・・。
十人十色、百人百色・・・とは言わないか(笑)
ブログを始めて、色いろな方の考えや想いを知った。
影響を受けたブログもある。
あたしのブログはどうなのだろう・・・。
日々の、母の愚痴が多い内容で、読み手は嫌気を憶えないのだろうか。
でも、そんなことを考えていたら、この先書くことができなくなる。
昔、姑に「親の傍で暮らす気ままな嫁」と言われたことがある。
姑の次女は、長男の嫁となり、身体の弱い姑の世話・息子3人の世話・亭主関白の夫に遣え毎日大変な想いの中で暮らしていると。
それに比べ、あたしは親の傍でぬくぬくとしていると。
確かに当時は姑の言う通りだったのかもしれない。
姑は89歳となり、独身の67歳の長男と暮らしている。
暫く会っていない。連絡を取り合うこともない。
姑にとって亡き夫はとても可愛い次男坊。
あたしが直接聞いた訳ではないが、夫の葬儀のあと、姑の口から怖ろしい言葉が発せられた。
〇〇ではなく、これが先に逝けばよかったのに・・・。
(夫ではなく、夫の兄が先に逝けばよかった・・・と)
股聞きではあったが、あの姑なら言いかねない・・・。そう、思った。
そして、あたしと結婚しなければ〇〇がこんなに早く死ぬことはなかった。
直に言われたこの言葉もまた、本心だったのだろう。
運命は変えられるが、宿命は変えられない。
親は選べない。これが宿命という。
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人生の選択。
人生の岐路。
様々な想いの中で精いっぱい生きる。
そう、何だかだ言いながらも、精いっぱい生きる。
あたしは、自分を諦めたくはない。
今も、これからも・・・。
明日、新元号が発表になりますね。
昭和・平成、そして・・・駆け抜けていく。
ブログは自分のためにある
だから気にせず
自分の気持ちを吐露する
それだけで気持ちが軽くなる
自分も含め人間いろいろ
ジジババもいろいろ
好かれる年寄り
嫌われる年寄り
確かにいます
ジジババ達の生き様と
人生の達人であるジジババの後姿をみて
我が老いを考える
宿命といえば
砂の器を想い出します
砂の器は やはり映画がいいですね
小説で読む砂の器は更にいいですね