昨日は、月に一度のケアマネさんの来訪日。

予定通り、午後3時にお見えになった。
いかがですか?何か変わったことは有りましたか?」

「・・・」

訊かれても、そうそうすぐには応えられない母美代さん。
あたしの顔を見て「何か言ってくれ」の言葉なき催促。

昨日は骨折から丁度2ヶ月であることを言うあたし。
この言葉を聴いて、美代さんのお得意のお喋りが始まる。
そう、指が動かないがギュッの練習をしていることや、デイケアでの理学療法士から言われたことをちゃんと実行していることを得意げに話していた。

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ここの所、30分前の記憶が飛んでしまうことを相談するあたしの前で、
「そだ・・・すぐに忘れでしまう」

その後のケアマネさんの言葉が鋭い。
「そうですね。これからはもっと忘れるようになるんですよ。それがこの病気です。そして、4人に1人が認知症になる時代です」


美代さんもあたしもため息です。
特に美代さんにはキツイ言葉のようでした。

ケアマネさん曰く。
「今の介護形態は団塊の世代の人達以降は、ガラッと変わります。
今までは、介護施設をどんどん使い、沢山外に出ましょうという政府の考えでしたが、介護の現場も色いろな面で行き詰ってきているので、25年以降はなるべく保険を使わずに家の中で自分のことは自分での、生活を求めるようになるんですよ。美代さんは幸せなんですよ、好きなデイケアにいけるのですから」


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知りませんでした。
でも、あたしもむすめ達から言われています。
「おかぁの面倒は見ないよ、自分のことは自分でしてよね」

言われるまでもなく、そう思っています。
母を看ていると、このようなことはむすめ達には味わってほしくない。
もし、運悪く認知症になったら姿を消す。くらいの気持ちでいます。

このことは、随分前に母にも話していますが、母は憶えていました。
そして、なぜ娘たちがあのようなことを言ったかについての自論展開です。

「ユカもサキもオレが育でだ。おめが〇〇さんど家出るどぎ、ユカは一緒にいがながったべ!オレのごど選んだんだ!」(亡き夫)

19年前、亡き夫の都合であたしと次女のユカは実家を離れましたが、長女のユカは二十歳で自分の意思で残ることを決めました。
ユカは友達が多い。これまで培ってきた友人関係を捨ててまで新たな地に行くことを拒否。丁度、就職時期でもあり、実家での祖父母との生活を選んだ。
そして、次女のサキは当時15歳。半強制的にこちらの高校を受験させ連れてきましたが、サキも自分の年齢を受け入れ素直に従ってくれたのです。

「サキだって、専門学校出だら戻ったべ。オレのごど選んだんだべな」

13年前のことをよ~く憶えています。
この時母は近所の人たちに自慢をしたそうです。
そして、良くできたお孫さんだと皆に褒められたとも言うのです。

このこと、昨日初めて知りました。

サキはお姉ちゃん子。
専学卒業後には、姉のいる実家に帰ると始めから決めていたようですが、母は自分を選んでくれたと思い込み、自慢にしていたようです。

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現在、長女・次女共に、岩手の実家住まいです。
それは、母のいる家を選んでくれた・自分との生活を選んでくれたという、自負であり自慢となっているようで、だからこそ、孫むすめ達のいる実家での暮らしを恋しく思うのかもしれません。

そうそう、ゴールデンウイーク以降、暫く実家で暮らしたい考えでいることをケアマネさんに伝えました。
「それもいいかもしれませんね。日中一人になるのなら、ヘルパーさんに来てもらうことも可能ですよ」

母美代さん、
「まだ、決めだわげでね。一人で何でもでぎるども思ってね・・・」

・・・おやおや?気持ちが揺らいでいる?・・・

そう、これが母美代さんの今の本音なのですが、ズルい娘のあたし、
「いいじゃない、やってみれば!できなかったら新幹線に乗ればいいのよ」

新幹線。
たぶん・・・いいへ、一人では無理・・・です!



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