出た。
「家で死にたい」

介護保険の認定申請書が届いた。
母美代さんは住所変更をしていない。
母宛の書類は、その都度むすめ達から送ってもらっている。

この書類のやり取り・送付に関しても正直煩わしい。

母美代さん。
まだらボケ・要介護1。
食欲旺盛。「忘れた」を連発しながらも、室内でのことは、ある程度のことは自分でできる。

10年前に他界した父も軽度認知度だったが、当時の介護は母に任せていた。
介護に関する本を購入し、重要と思われるページには付箋を貼り、そこだけでもいいから読むようにと渡したが、「本を読む」という行為の経験が無い母は、拒絶反応でページを開くこともなかったようだ。

仕方がないので、電話で「こういう時はこうする。こうなったらあれをする」と、いちいち説明。
わがった、やってみると言いつつも、その後に電話してみると何もしていないと言っていた。
今となっては、父に対して何をして何をしていなかったかも憶えていない言う。

このブログで何度も記している言葉。
「そったな病気、エイッ・ヤアッて治すんだ!」

母が父に向かって言い放った言葉。
こんなことを普通に言っていたと、当時むすめ達から聞いていた。

「祖母ちゃん、自分が言ったこと棚上げしてるよ。それに、たぶん忘れてもいるよ」
先月遊びに来た際に、物忘れが頻繁になり、孫むすめ達の前では可愛い祖母ちゃんで居ようとしている母を観て感じたようだ。


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2~3日前、このことを母に投げつけたところ、母から面白い返事が返ってきた。
「オレはそったなごど言ってね。あいづらだって(孫むすめ達)オレのごど悪ぐ言うわげね!」

やはり忘れていた。そして、可愛い孫むすめ達が、自分の事を悪く言うはずがないという、自己弁護とも言える内容。

家で死にたい。
母は、何歳まで生きるつもりなのか。

「こごはオレの家でね」

「なら、新幹線に乗って帰ればいいじゃない」

「オレはひとりでは乗れね。誰がいねば何もでぎね」

昔は新幹線にもひとりで乗っていたが、歩くことさえままならない、誰かがいなければ何もできない今の状況を理解している?
自分の状況を、ひとりでは何もできないことを理解しながらも、何れは岩手に帰ることを希望している。
今の母の生活状況の全てをあたしがやっている。それでも、あたしといるより、可愛い孫むすめ達と暮らしたいと思っている。と、言うより長年住み慣れた自宅での死去を望んでいる。こっちの方が正しいようだ。


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娘のあたしだから、仕方なくやっていることを、いくら可愛い孫むすめ達でも、自分の生活があることを、結局のところ帰ったところで、邪魔になるだけだということを理解していない。


この先、病気が進行したらどうなるのかも解っていない。
在宅介護をいつまでしてもらえるのかも、わかっていない。

ときどき思う。
いっそのこと、思い切り進行して何もかも忘れてくれたら・・・。



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