霊柩車で8時間(憶えていないが、東北道岩槻インターから100キロ平均走行、途中休憩を入れるとたぶんこのくらいの時間)

葬儀屋さんの運転手は2人。(交替での運転の為)
遺体安置は後部席。当然寒い。
後部スライドドアの横に小さな椅子があり、そこにポツンと座る。横の棺の中には53歳胆管細胞がんで亡くなった夫。

運転席と助手席は暖房が効くが、後部座席はブルブル震えるほど寒かった。

途中、トイレ休憩が2回ほどあったような・・・。
トイレから戻ってくると、葬儀屋さんから、缶コーヒーを頂いた。
「うしろは寒いですよね・・・でもこればかりは仕方のないことですので」

気遣いは嬉しかった。


夫が亡くなったのは、2009年3月28日 午後11時13分。

余命宣告を受けていたので、亡くなるのなら岩手で。との夫の気持ちを尊重し、事前に岩手の病院への転院手続き・民間の救急車の手配、そして引越しの準備を全て終えた日でした。

個室に移り、付添い用の簡易ベッドを借り、ロングドライブに備えて早めに休んだ方がいいね。などと、車の移動のために岩手から来てもらったむすめ達と話したことを憶えています。

亡くなる2~3日前から、虚ろな目をしベッドの上で、起上がる・横になる、という動作の繰り返しをしていた夫。
たぶん、無意識で病気がさせていたのだと思います。
それでも、明日は岩手に向かうのだいうことは解っていたようで、
「引越しの物は片付いたのか・・・?」

と、自分が何もできない状態で、申し訳ないという気持ちも出ていました。

急変。と言うのでしょう。
いきなり呼吸が荒くなり、すぐに意識がなくなりました。
慌てて看護師を呼ぶと、心臓マッサージが始まったのです。

夫の名前を呼び、傍にいることしかできませんでした。

「手をさすってあげてください。名前を呼んであげてください。伝わりますから!」

看護師から言われた通りに手をさすり、何度も何度も名前を呼んでいたあたしの横で、むすめ達も「おとぅ、おとぅ」呼び続けていました。

心臓マッサージを始めて、どのくらいの刻が過ぎたのか分かりませんでしたが、「ガッ!」という声にもならないような声と、大きく見開いた目で上半身が上がり、バタンとベッドに落ちたのが最期だったように思います。

看護師の手が止まり、夜勤の医師が脈をとり黙って見ているだけ・・・。
でも、諦めきれないあたしは、医師に対してもう少し心マを続けてほしいとの懇願に、元々心臓が弱っての急変なので、これ以上は意味がありませんとの応え。どうすることもできませんでした。

瞳孔と時計確認をし、
「午後11時13分。御臨終です」

余命宣告されたとき、一応の覚悟はしていたしたつもりでしたが、あまりにもあっけない別れでした。


10年の歳月が過ぎた今でも、はっきりと憶えていること。
その夜、夫の口から出た一言。
「俺は死ぬとき苦しむのかな・・・」

「そんなこと神様しかわからないでしょ・・・」

まさか、この会話の後に亡くなるとは夢にも思ってもいなかったので、こんな素っ気ない返事をしてしまったあたしです。

嘘でも、「だ丈夫だよ」と、どうして言えなかったのか・・・。
後悔しています。


人によっては、全てのことが頭の中に残っている。と、言える方もいるでしょう。
あたしには・・・断片的な記憶しか残っていません。

そんな記憶の中での最大の後悔が、先の会話です。


人は、必ず亡くなります。
それがいつであるかは、判りません。

あたしは、母美代さんを看取る覚悟はしています。
まぁ、それもいつになるか判りませんし、もしかしたらあたしの方が先かもしれないのですが・・・。

この世に、悔いなき人生を送られている方が、どれほどいらっしゃるのか定かではありませんが、
なるべくなら、後悔のない日々を送りたいと思っている、あたしです。

お読み頂き、ありがとうございました。