この頃の母美代さんの進行の度合い、ミリ単位ではなくなりつつあります。

昨夜の晩ご飯のあと、ピルケースを持ってきて、
「ほれ、あげでけろ」

「なんで?」

「あげれねがらよ」

「美代さん、今朝までちゃんと自分で開けていたよ」

「そだけが、忘れだ」

この後、自分でしっかり開けて飲みましたが、なんだか、いきなりの進行のような気がします。

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9日に遊びにやってくるむすめ達ですが、この2~3日は毎日「いつ来るんだ?」と訊いてきます。
かわいい孫・ひ孫が来てくれるのを心待ちにしているので、何度も訊いてくるのでしょうが、頭には入らないようです。
曜日や日付の感覚もあやふやになってきているので、仕方ないですね。

どちらの爺様・婆様も、初孫に対する感情はひとしおのことと思います。
眼の中に入れても痛くない、かわいいかわいい初孫の名前。出にくくなりました。「うんと~、ホレあれよ。あれの名前よ」
こんなことが多くなってきています。

あたしもたまに、むすめ達の名前を言い間違えたりしますが、美代さんは名前自体が出てこない。頭の中では、顔はしっかりと浮かんでいると言いいながらも、口には出ない。辛いですよね・・・。

と、擁護するような言い方ですが、あたしはそんなに甘くはないのです。
たとえその場限りだとしても、何とかして思い出してもらいます。
名前が出るとスッキリするという美代さんも、あたしに食らいついついてきます。
これが美代さん式「なにくそ根性」のようです(笑)

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今日はデイケアはお休み。
こたつの高座椅子に座り、いつもの定期便。

叔母「ヨッコさん」の声が携帯の向こう側からガンガンと聞こえてきます。そう、会話の中身が筒抜け(笑)
「何聞いでも忘れる・・・」

「年取ったら、忘れる方がいいんだ。その方がお互いの為なんだ・・・」

お互いの為・・・母とあたしのこと?それとも、ヨッコさんと美代さんのこと?ま、いっか。

年を取ったら、忘れる・・・。
ただ忘れるのなら、しあわせかもですね・・・。
でも、そこに行きつくまでが、先輩介護者様の仰る「修羅の道」なのだと思います。
(「修羅」の表現は大げさかもしれませんが、敢えて使わせて頂きました)

美代さんを認知症と認めていない叔母ヨッコさん。
そう言えば、叔母はお姑さんとの同居だったはず。
「忘れることがお互いの為」は、経験値からの言葉だったのでしょうか。

母美代さん・・・センチ単位の進行になっているように思います。



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