帰省中に実家で見つけた古い会報誌。

懐かしいと言いながら読みふけっている母美代さん。

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厚生年金ギリギリまでの年数を勤め上げて定年退職。

母の学歴は小学校2年生まで。
弟妹たちの子守りで、おんぶをして授業を受けたこともあると言う。
背中で泣く弟妹たちの為に、授業途中で抜け出し、結局何も覚えることができなかったと。

貧乏とは罪なことだ。

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会社員として工場勤務をしていた母は、アルファベット記号の部品を扱っていたが、当然ABCなど分かるはずもなく、中学か高校生だったあたしや妹に訊いてきた。
ノートに書き読み仮名を振って教えていたが、今思うとかなりの頑張り屋さんだったと思う。

母の自慢は、ミスを犯さなかったこと。
他のラインでは小さなミスが噴出、何度も作り直しがあったと言う。

「みんなして、オレにまがせれば安心だて、オレのどごさばりあづめできてだ。おれはみんながら頼られでだ」

当時の母のプチ自慢。
あたしも若かったので、その通りに受けていたが、今にして思えば周りの皆さんのズルを見抜けなかった「正直者が馬鹿を見る」状態だったのかもしれない。

母は、気持ちの裏側を読み取る力がない。良くも悪くも言われたことをそのまま受け取る。
母のことを、よくKYだと記しているが、「その場の空気を読まない」のではなく読めないのだろう。

明治生まれの恐ろしいだけの父親の元で、顔色ばかりを窺って生き、裏側を読み取ろうにも、それさえも許されない状況だったのかもしれない。そして、そのまま大人になってしまったのだろう。

読んでいる会報誌の中に、当時とてもよくしてくれたという方の投稿文を見つけたようで、付箋をつけてあげた。

「懐かしい、〇〇さんには本当に世話になった・・・。すっごぐいい人で、オレみたいだ何もわがらね者にも、優しぐ教えでくれでだ」

読み続けていくとボソッと、

「そうがぁ・・・あったにあだまのいい人でも苦労してだんだなぁ・・・」

そう言えば、母が働いていた当時話題に出ていたSさん。
優しく親切で理解力もあり、みんなからの信頼も厚い人だったということは何度も聞いていたが、そのSさんが苦労していたということを初めて知ったようだ。

この会報誌、あたしは目にしていない。
漢字が苦手な母が、一度も訊かずに読んでいるのだから、さして難しい漢字表現もなかったのだろう。
Sさんの投稿文を全て読み終わったのか、あたしにはわからないが「疲れた」と言い自室にしまいこんだ。
次に手にするのはいつになるのか母の気分次第だが、それで良いのだと思う。

認知症・・・記憶がなくなる・消える病気。

何度でも読めばよいのだ。
懐かしいと思えることが、脳の活性化にも繋がるのだと、あたしは思う。


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