何かにつけて「忘れた」の連発。
思い出そうとすると、頭の中がモヤモヤすると言う母美代さん。

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あたしと暮らし始めた頃の入浴は、身体は自分で洗えたが、頭を洗うのは腕が疲れるからと言いあたしの役目。しばらくはそれで良かったが、背中に手が届かないからと秋口から背中が追加。
実家に来てから少し様子がおかしい。
浴室に入り湯船に浸かりすぐにあたしを呼ぶ。
前側を洗ったにしては呼ぶのが早いなと思いながら浴室に入ると、どこも洗わずに椅子に腰かけている。
身体の前は自分で洗えるのだから、前を洗ったら呼ぶように教えていたが「忘れだ」の一言。

ある日は、背中も頭も洗ったが、すすぎができないから呼んだと。そしてある日は、頭だけを洗わずに呼ぶ。
統一されていない。

毎回、「前側を洗ったら呼んでね」と言っているが「そだけが、忘れだ」
こんなものなのだろうか?

古い日記を観て活性化されているはずの母の脳だが、これとそれとは別。ということなのか?

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今朝、神棚にお供えしていた尾頭付き鯛を焼き、母の食卓へ。
(お供えは元日のみ)
食べきれずに残したと言うので、ラップをするように言うと、皿から取り出し直接ラップの上へ。
間違ってはいないが、一般的には皿ごとラップをするのでは?
こうした方がいいんじゃない?と言うと、皿ごとラップをかけるという行為を忘れたと言う。

まだらボケ。記憶がまだらになっている状態。
いつも忘れている訳ではなく、同じことでも解っている日、いない日と毎日がまだらだが、自分に都合の悪いことは特に「忘れた」と言うことが多いように感じるのは気のせいだろうか。

本当に忘れたのか、忘れたと言えば事が済むと思っているのか。

「ねぇ、美代さん。本当に忘れたの?」

「忘れだじゃ」

忘れた・・・なんとも都合の良い言葉だ。