わが家ではドラマをONタイムで観ることはない。
一緒に観ている母美代さんからの「何でだ?どうしてだ?」攻撃があり、応えているうちに見逃してしまうから。

昨日、3日遅れで録画しておいた最終回を観た。
前回の、やっとのことで書いたであろう置手紙のラストでも泣いた。
あの、揺れる字は主人公「尚」の素直な気持ちだったのだろう。

そして最終回。
始まりからドキドキ。

泣いた・・・泣いた・・・泣いた。
しっかりメイクがほぼ落ちた。映画館でなくてよかった・・・。


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尚の気持ち・・・わかる。
あたしも、尚の立場となったらたぶん姿を消す。
でもそれは、壊れていく自分の姿を見せたくないからではなく、面倒を掛けたくないから。
母を観ていると一層強く思う。

なりたくてなった病気ではないことは重々分かってはいる。それでも尚の夫、シンジのように献身的にはなれないだろう。
「全てを受け入れる。何があっても一緒にいる」
あたしは言えない。軽度の今の状態でさえそう思うのだから、この先のことはもっとわからない。
シンジのようにいつも「笑顔」を絶やさなかったら、母もしあわせに違いないが、あたしには難しい。

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母が認知症になるまでは、あまり深く考えたこともなかった。
父も認知症だったが、「要支援2」の状態で、当時の母も深刻には思っていなかったようだったし、「そったな病気、エイッヤッて治すんだ」などと平気で父に投げかけていた。
そんな母に父を任せっぱなしにしていた罰が、今あたしに報いとなっているのだろうか。

母は自由だ。「忘れだ」の一言で済む。「何で忘れるんだがなぁ」と言いながらも、深く考えることはない。

尚とシンジのように、お互いを信頼しきっている関係はどのようにして生まれるのか。
そもそも母はあたしを信頼しているのか?
「おめがいねどいぎでげね」(お前がいないと生きていけない)と言われる。

85年の母の人生の中で、認知症であったのは父のみ。その父も母に対して面倒を掛けるということもなく、浴室での突然死。(心不全)

父と同じ病気となって、当時の父の記憶がなくなりつつある中で、母のこれからの「しあわせ」は、たぶんあたし次第なのだろう。

ケアマネさんの言う、「お互いが笑顔でいる方が楽しいじゃないですか」を実践するもしないもあたし次第。
記憶がなくなる母に「笑顔」でいてもらうことが、「しあわせ」

母の「しあわせ」・・・それはご飯を食べること。
隠れてお菓子を食べている母に、ダイエットは必要なのか。

あたしの独りよがり・・・そんな気もする。


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