あたしが母を嫌うようになったのは、いつからだった・・・。

10代の頃は気にも留めていなかった。
20歳。長女を生んだときもそんなには感じていなかった。
25歳。次女出産時は、5歳の長女の面倒を見てもらっていた。このときもさほどではなかった。むしろ有難いと感謝の気持ちでいた。

夫が会社を辞め自営の職を選んだとき、経理を手伝うためにあたしも会社を辞めた。
その頃から母と過ごす時間が増えたように思う。

自宅兼職場の、同じ屋根の下に主婦二人。嫌でも母の雑な家事が見えてきた。
そして、「どこに行くの?何しに行くの?何時に帰るの?」の3点セットが頻繁になった。
本当に嫌だった。もうすぐ40になろうとしている女に、毎回この言葉。
・・・いい加減してほしい・・・いつも思っていた。

元受けの会社の傾きで夫の仕事にも影響が及び、あえなく倒産。そして転職から転勤。
このとき、心から親元を離れられることを嬉しく思った。
・・・やっと自由になれる。やっとこの母親から解放される・・・


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のちに、このときの気持ちを母に伝えたことがあったのだが、母の中であたしの想いなどはこれっぽっちも感じていなかったという。大げさだと、自分が幼い頃から親に言われてきたことを、単に娘に言っていただけ。それだけのことだったと言っていた。
母は、20代半ばで両親を亡くしている。以後誰にも言われることはなかったはずだ。
母とは状況がまるで違うではないか。いつまでも若いお姉ちゃんではない。大人として扱ってほしかった。


親元を離れてからの8年間、夫のギャンブルで生活苦に陥り、母にお金の工面をしてもらったことが何度もある。(母娘関係に記しています)
申し訳ないとは思った。それでも実家に戻りたいとは微塵も思わなかった。

この間の両親はいつも一緒の行動で、口の悪い母のこと、時に喧嘩になりながらも毎日農作業に勤しんでいたらしい。
そして、父の他界。
火葬の最中の母の信じられない様子(これも記しています)と、会食の際の座ったままの梃子でも動かぬ母の態度には情けない気持ちでいっぱいになった。
母はあの当時から変形性膝関節症の症状があり、正座椅子を使っていた。
お酒を飲めない父だったので、お酌の経験もなく76年。
参列頂いた方々へのお酌周りは一度もしないまま、自分の席でただ黙々と食べるのみ。どんなに膝が痛くても自分の夫の葬儀だ。多少の気遣いがあってもいいのではないか。
この気遣いの無さ。あたしには考えられない。
このこともあり、余計に母を疎ましく感じるようになった。


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唯一の話し相手である父を失ってからのこの9年。母の生活は365日農作業。
もともと、家事嫌いなのだから、家の中の汚れを注意する父が亡くなったこともあり、一層外仕事に拍車がかかった。
母は、人の話に耳を傾けない。これまでにも母の身体を気遣い、農作業も週休二日制として、1日は家仕事、もう1日は休日として身体休めをするようにと何度も助言をしたが、「わかった、やってみる」と言いつつ「畑の草は1日も待ってはくれない」と結局何も変わらずの9年。

膝の痛みや腰痛は、農作業で身体を酷使したせいだと、体調を崩した際に医師に言われたことがあり、身体と相談しながらと念押しされたことも無視。

今ここでの生活で、やっと身体を休めることができている母だが、新たな問題がでてきた。
そう、体重増加問題。
ご飯が美味しい、食べて食べて、動かない。膝が痛くて腰が痛くて動くと辛い。悪循環。

長文。
お読み頂きありがとうございました。

続きは次回にて。


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