先日の定期検診で、母美代さんの認知度が改善されたことを記したが、正直何がどう変わったのかわからない。と、いうより変わっていない。

確かに叔母たちと話すときは理にかなっている会話だ。それだけで「ホントに認知症?」と疑う。かと言って、物忘れについては相変わらずいつもの調子。
開けたドアは閉めない。点けた電気は消さない。毎回ではないがトイレの水は流さない。それでいて、必ず、忘れず摂る朝食。日課のお焼香や血圧測定は忘れるのに、ご飯を食べることは忘れない。

お風呂の湯ハリは時間になるとできる。自分に仕事を与えられたという責任感?のようなものか。


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この2~3日、母のショーツが洗濯物に出ない。
なぜ出さないのかを問うと、寝るとき履いている紙パンツがそろそろ汚れてきているので日中も履いて完全にゴミ扱いにしたいためと言う。これは貧乏性故の性格か?
ケアマネさんの言葉にもあったが、母だけではなく母の年代の年寄りは同じようなことをしているらしい。
戦争という時代を、物資の少ない時代を経験した人たちの、生活の知恵的なことなのか。

母と同じ軽度認知症の母親の介護のために仕事を辞めた方のブログを拝読した。
その方のお母様は、最近家の中での徘徊が始まり、ブツブツ独り言が多くなってきたそうだ。
母の室内俳諧は今のところはない。独り言も言うが、ブツブツではない。
大声であたしに聞こえるように言う。そうだ、聞いてほしいのだ。相手になってほしいがための独り言なのだ。そこの違いがある。
めんどくさい。

食べた後の食器洗い。洗い残しがある。これは昔からだ。
テーブルに広げたものを片付けない。これも昔から。
注意されてから、「今やろうと思ってた」の言い訳。食器棚への片付けの際、同じもの同士を重ねることができない。
これらは認知症だから?それともズボラだから?

この1年、「認知症だから仕方がない」
そう思い込んで接してきたが、改善されたとなるとあたしの態度も変わってしまう。そうそう優しくはできない。
このことを母に言うと、

「なんで改善されたされたんだがなぁ・・・」

「だって、スラスラ答えていたでしょ!」

「あのどぎはな・・・」

あのときは、たまたま調子が善かった日だったのか。運が良いのか悪いのか。

土曜日、デイケアから渡された計算問題。
ぶどう・1,200円、梨・400円、柿・300円、松茸・1,200円の合計金額。
支払ったお金5,000円。お釣りはいくらでしょう。の問題。
答えの欄に1,100円と書き、〇をもらえず帰宅。
午前中復習をしていた母。もう一度ゆっくり計算するように促すと、時間はかかったがちゃんと正解できた。これは計算能力の差のように思う。

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夕方、買い物に行く際の会話。

「その恰好で寒くないの?」

「さむぐね」

「でも、今の時期その恰好じゃおかしいよ、何か羽織って。それにいつものバッグは背負わないの?」

「あ、バッグは忘れだ」

ジャケットを羽織らないのは寒くないから。バッグは単に忘れた。
母の頭の中はどのようになっているのか。
あたしはどのように判断するべきなのか。

認知症とは、調子が「善い日善くない日」の繰り返しなのか、だとしたら電話のときだけが毎回善い時間になるのか。おかしな話だ。

認知症・・・奥が深い。


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