今日のことわざは、「井の中の蛙大海を知らず」です。
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昨夜の晩ご飯。「ねぎとろ丼」

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       (イメージです)

母美代さん。マグロのお刺身は食べられます。(イカ、タコは硬くてダメ。大振りエビは意味なく嫌い)
以前、山かけ丼を出した際、
「これは何だ?なして、混ぜるんだ?マグロはマグロで食べてぇ。今度がらはオレのは別々にしてくれ」


ネギと刻みのりを用意し、いざ、ご飯の上へ。
「待てよ」

山かけの際に言われたことを思い出しました。
美代さんは、思いの外好き嫌いが多い。偏食とまでは言わないが料理嫌いなだけあって、調理法も料理名も???のオンパレード。
食べたことはあるのですが、記憶が残っているか定かではありませんし、箸をつけ、まんま残されるのも困りもの。ねぎとろは別の器へと。

「いただきます」

食べられるのかチラ見。
オットー!ご飯には箸をつけず、ねぎとろのみを黙々と。
なぜご飯を食べないのか聞きますと、
「美味しいぃ!こったな美味しいもの初めで食べだ。ご飯食べるの忘れでだ」

又もや、でたでた「初めて」
いえいえ何度も食べています。ただ、調理法が違うのです。
お寿司の、軍艦巻き。ねぎとろ巻き。
日曜日の「料理はしない日」にスーパーより購入で食卓へ。

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「米が好き。米がなければ生きてゆけない」
美代さんの偏った思い込みについては何度も記しています。
ご飯以外のものでは、いくら食べても満腹感を味わえない。
この考えって、どうなの?損な生き方のようにも思うのですが・・・。

「ねぇ、食べられるのなら、どんぶりにしても良かったよね。皿汚しだよ」
洗うのはあたしですから。

「そだなぁ、はずかすども、ねぎとろのごど知らねがった。だがら、食べられるがわがらねがった。美味しいぃ」

恥ずかしい。・・・ねぎとろを知らなかったことが、恥ずかしい。
知らなかった。・・・正しくは、覚えていなかった。いや、忘れた。

記憶とは何なのか?これまでに確かに食べたことはあるのです。どんぶりとしてでも食べているのです。でも、母の中では初めての経験。
85年の人生で、ねぎとろを食べたことがないのが恥ずかしいと言う。

人生て、経験値で出来ていると思うのです。
母は経験値が極めて少ない。そういう人生だったのでしょう。
だからこそ、いろいろな料理を食べさせてあげたい。でも、母には「小さな親切、大きなお世話」なのです。結局は「井の中の蛙大海を知らず」状態。
(注:芸術の世界においては経験値のみではないと思っています。)

~今日のことわざ~

『井の中の蛙大海を知らず』

自分のせまい知識や見解にとらわれて、他の広い世界のことを知らないのをいう。世間知らずのこと。
藤原為顕の夫木抄に、「はかなしや筒井の蛙我ばかり外をも知らず浅き心は」


(日東書院発刊 ことわざ辞典より)

認知症となって、忘れることが多くなり、知りたいの気持ちがあったとしても、この先は難しいのかもしれません。


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