毎週、水曜と土曜日はデイケア(通所リハビリ)の日。

母美代さん、ピンクの頭髪を気にして、
「何が言われるがもしれね・・・」

9時10分。迎えに来てくださいました職員さんからの一言。
「アラッ、かわいい」

「そすか?なんだがおがしぐねすか?」

「かわいいですよ」
・・・母の訛りに大分慣れたようです。ありがたいことです・・・

褒められたことに気を良くして、いそいそと出ていきました。
・・・なんとも分かりやすい・・・


『鬼娘の介護日記』のあんず様のブログに、「認知症の終末期」についてが記されております。
考えさせられました。

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あたしは、家族二人を同時期に失くしています。(母もですが)
2009年2月初旬、急性心不全で父を(79歳)
     3月下旬、胆管細胞がんで夫を(53歳)

父は亡くなる数年前に認知症を発症。急激な進行には至ってはいませんでしたが、周辺症状の一つである「財布を盗まれた」と騒いだことがありました。
お洒落が大好きな父でしたが、お風呂嫌いになり、気付くと同じ服だけを着るようになっていました。
発症後はペンギン歩き(小股でよちよち歩き)になっていましたが、亡くなった年のお正月、家族皆で天台寺へ初詣に行ったのですが、その際、長い坂や階段を颯爽と歩いていた姿が印象深く残っています。

亡くなった時のブログ『亡き父を想う』を記しています。
宜しかったこちらからお入りください。

夫は、ガテン系の職種に就き体力には自信のある人でした。
(亡くなる頃は工場作業員)
亡くなる数年前から、腰痛に悩まされていましたが、仕事からくるものと受診することなくシップや鎮痛剤でごまかしていました。(腰痛がサインだったようです)
疲れやすくなり、肌、そして白目までも黄色となり、これは尋常ではないと慌てて受診。
黄疸が酷いことにより、手術も受けられず、また抗がん剤の効果もなく入院後わずかひと月での他界。

俳優の坂上忍さんは、既に終活を済まされたそうです。
50代となり、周りを見渡し決して早い行いではないとの想いのようでした。

小・中学校の同級生に51歳で他界した友人がおります。
仕事大好き人間の彼は、糖尿病を患い入院中もベッドの上で社員に指示を出していたそうです。
無理な退院で、数日後には帰らぬ人となってしまいました。
(その朝お母様が、なかなか起きて来ない彼を心配し、既に布団の上で冷たくなっいる彼を発見したと聞いています)


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昨夜、母が、てきぱきと物事をこなすあたしを観て、
「何でもさっさとうごげるな・・・オレはうごげね。もう永ぐはねぇみだいだ」

むかつきました。
「もう永くはない・・・ハァ!?どの口が言うの!食欲旺盛でなんでも美味しいと食べるよね。食欲のある人はそう簡単にはお迎えは来ないのよ!」

事実、この1年で体重が5キロ増えたのです。

あんず様のお母様も「美味しい」と笑顔で食され、介護職員さんも微笑まれているご様子。
食べられているうちは、『あの世』とやらへの道は開かれないようです。
認知症の進行は、高齢者の場合は一般にゆっくりで、10年以上経って寝たきりになることもあるようです。
だとしたら、美代さんはあと10年は『この世の人』。あたしも先輩介護仲間様と同じような道を辿ることになる。
・・・ハァ・・・

母は5~6年前、まだ記憶がしっかりとしている頃に司法書士を訪ね、今後のことについての相談をしています。その際、書類作成もしております。
今ではその記憶も怪しくなってきていますが・・・。

【終焉とは】
「晩年を送る(この場所で死ぬことにする)」「命の終わり、死に臨むこと(この瞬間で人生が終わる)」

命あるものは必ず死を迎えます。

日々、後悔なきように生きたいものです。

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