物心ついた時、父は町立病院の用務員(地方公務員)
病院の一室、四畳半に家族4人の暮らし。
その当時は「小使い」と言われ病院の職員から、
バカにされていたそうです(そういう時代だったのだろう)

その後は、小学校の用務員となり3~4校の転勤。

子供たちから「用務員さん、おはとうございます」とか、
「お手伝いしましょうか」などと言ってもらえたことが、嬉しかったと言っていました。

あたしが10代後半の頃だったと思います。
我が家にオーブンがやってきました。
当時、電子レンジさえもない我が家に『オーブン』
新し物好きな父が、何を思ったのか突然の購入。

料理嫌いな母の一言。

「こったなもの買って、何つぐるのや?電気代勿体ね!」

「いいべや、〇〇(あたしや妹)だぢだって欲しがってだべ」

・・・欲しがっていたかは・・・記憶にございませんが・・・

でもまぁ、あればあったで便利なもので、けっこうな頻度で使いました。

当時の記憶として一番使用していたのはあたしで、ほぼお菓子。
クッキー、パウンドケーキ、アップルパイetc.。
酒もタバコもやらない父は、甘いものが大好きでとても喜んで食べてくれました。

料理で使ったのは、今では全く作らなくなった手作りグラタン(笑)
マカロニグラタン・ポテトグラタン。

結婚してからも、むすめ達には度々クッキーは作っていました。
母娘で型抜きして、楽しかったですねぇ。

でも、母には不評、
「電気代が勿体ない、買ったほうが安い」

確かにそうなんです。
でも、『母娘で一緒に作る』がいいんじゃないですか。
分かってはもれえませんでしたが・・・。


そう言えば、この頃に食器のシリーズ物も購入していました。

大皿、スープ皿、スパゲティ皿(当時、パスタという言葉は知りませんでした)
グラタン皿、フルーツ皿、キャセロール、ケーキ皿、コーヒーセット。
今も実家で使ってるので、もうかれこれ40年物です。(物持ちいい!)

これら以外にも、和食器を中心にかなりの量の食器を取り揃えていましたが、今は段ボールの中、物置でひっそり。

そうそう、ベッドです。
両親はシングルのツインで娘のあたしたちは二段ベッド。
(小学校後半時)

中三の時、家の増改築であたしと3歳下の妹の各自の部屋ができました。
その時に、両親のベッドがお下がりで与えられ、親はダブルベッドに格上げです。
・・・よく寝られたものね、あたしは一人寝のほうが楽・・・

でも、ベッドは楽ですね。布団の上下しが要らないのですから。
これも、父の母への気遣いだったのかな、と思います・・・。

父は高等小学校しか出ていません。
    ↓
【学力や経済的理由などで中学へ行けなかった人 
年齢的には今の中学1・2年生】
それこそ母と同じように、貧乏人の子沢山の末っ子として生まれ、
教育を受けさせてもらえたのは長男・次男までということを聞いています。

そんな父がとても大切にしていたのは一冊の国語辞典。
事あるごとに引いていました。
 
あたしが物心がついたころから使っていましたので、亡くなる頃にはボロボロになっていました。

スポーツが大好きな人で、TVでの野球やバレーボール観戦などは、ひいきのチームを声をハリ上げて応援していました。

スキー、スケート、水泳、バドミントンなどは、そつなくこなす人でした。
あたしのバレーボール好きは専ら父の影響です。

因みに、母の好きなスポーツ観戦は『ボクシング』
何故か?・・・たぶん、点数の移動がなく勝敗が分かりやすい。



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(父65歳、母62歳、家族旅行 ホテルにて)


生きていたら88歳。

亡くなる数年前に認知症を発症していましたので、仮に生きていたとしても、かなりの進行状態にあり、もしかしたらあたしは両親の介護に追われる毎日になっていたかも・・・。あぁ、考えたくない。

誕生日を有意義に過ごし、母の手を煩わせることもなく、微笑みを浮かべて永遠の旅へ。

新し物好きで何にでも興味を示し、実行に移す人でした。

お読み頂き、ありがとうございました