昨日朝のワイドショーのコーナーで、作家『下重暁子』さんの人生についてのコーナーがあった。

『家族という病』を、読んだ方もいらっしゃるだろう。
あたしも、母とのことでとても悩み、本を購入し一気に読み終えた覚えがある。

そこで、母、あたし、そして娘の、世代間の考え方のギャップについて記してみた。

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 1.下重暁子氏の生きてきた時代背景との違い

 
 2.家族の在り方とは

 
 3.子が親の面倒を見るのは当然のこと

 
 4.娘のストレートな言葉



1.】

下重暁子氏とあたしとでは、生きてきた時代背景、家族構成など大きな違いはある。年代的には母親世代だ。

下重氏は夫を「つれあい」と呼び、お互いを干渉しない夫婦関係に在るそうだ。

以前、何かのTV番組で夫婦の正しい呼び方についてを観たことがある。
その中で、「主人、家内、旦那様、奥様」などの呼び方は主従関係に在る者が使う言葉とあった。
そしてお互いを正しく呼ぶ言葉としては「妻、夫」がふさわしいとあった。

氏は本の中で母親を、厳格な父親の顔色を窺うだけの泣きながらの生活を続け、父亡き後も自立できずに、娘である氏に頼りきりの人生を送ったことを厳しく批判し、親や子に頼らない人生を選択してきたとある。

氏が子供を作らなかったのも、自立できなかった母親を観てのことだったようだ。

2.】
家族の在り方とは、型にはまらなければならないものなのか。
平成の現代(いま)、「主夫、イクメン」などの男女に限らない役割分担もある。
家事全般を得意とする夫が家庭を守り、育児が好きな夫が子供の世話をする。

亡き父は定職に就きながらも、家事が得意で特に料理好きで、朝晩の食事支度から弁当作りまでそつなくこなしていた。それは、現代の主夫にも通じているのかも知れない。

母の口から時々「親父はとても怖い人だった。言うことを聞かないと火箸が飛んできた」という話が出るが、明治生まれの父親とは少し旧いが「亭主関白」「家長第一」が当たり前だったのだろう。

その明治生まれの恐怖でしかない絶対的存在の父親の元、身体が弱いにも関わらず次から次へと子を生し48歳の若さで他界した母親の傍で、「夫となる人は優しさを一番」とするを決め、思い通りの何でもできる優しい父親と出会えた。

しかしその優しい父でさえ、怒ったときの怖さは昭和の頑固おやじそのもので、あたし自身は襟元を引きずられ外に放り出されたり、柱に紐でくくられるということもあった。
当時の親の考えとして「悪さをしたら体罰=身体で覚える」が当然の時代で子に対する愛情の一環であったのだろうが、今の時代ではそれは「虐待」に相当するのだと思う。

氏と母とでは育った環境はあまりにも違うが、背景にあるのは「自立できない母親」を観て育ったことだと思う。

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3.】
子が親の面倒を見るのは当たり前という、恐怖でしかない明治生まれの父親の考えが母の根底にあり、それをするのが跡取り娘である、あたしの役目と思い込んでいる。

あたしは跡取り長女。本来ならば、実家で母や娘たちと暮らすのが筋なのだろうが、18年前に夫、次女の3人で茨城での生活を選択し、現在に至っている。(長女は就職を控え実家を選択。次女は、専門学校卒業後実家に戻る)

「じっちゃんは何でも出来る人だった。オレは助けられできた」
母は父を頼り、父亡き後はあたしを頼る。

叔母たちとの電話では、「〇〇は(あたし)良ぐしてくれでる。何でもやってもらってる。〇〇がいねばオレは何にも出来ね。有難いど思ってる」
などと話しているが、聞いている叔母たちはどの様に思っているのだろう。

叔母たちも「いいんだ。娘どいるのが幸せなんだ」と言う声が電話の向こうから聞こえてくる。本心なのか社交辞令なのか、仮に社交辞令だとしても、悲しいかな母には通じない。

母と暮らし始めて一年になる。
この一年で、母の症状はミリ単位ではあるが確実に進んでいることがわかる。

4.】
長女のストレートな言葉
「あたしは、おかぁの面倒はみないよ!自分で何とかしてよね」

認知症の祖母を観ての言葉であろう。
度々言われているので・・・あぁ、又言われた・・・と思いつつ、
ここまでストレートに言葉にできる娘を羨ましくさえ思う。

母に対して厳しい言葉を発するも、結局は見放すことができないでいる自分を、遠くでもう一人の自分が蔑むように観ている。

願わくば、母のように認知症にならずに健康長寿でいたいものだ。
そして、ある日突然ピンピンコロリと逝くことを希んでいる。


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