日曜日の朝は、いつもより遅い朝を迎える。

8時30分頃だろうか。母美代さんの携帯が鳴り響く。何事かと思い慌てて起きて出ると、母の二番目の妹からのいつもの電話。

朝早くから(早くもない?)何事かと思い電話が終わった後で訊いてみたら、朝仕事が終わり何とはなしに掛けてきたとのこと。
それはそれで良かったけど、少しお騒がせの叔母だ。

午後、暇を持て余した美代さん、今度は自ら電話。
母と丁度一回り違う叔母との会話。

自室で掛けていたのだが暑くてドアを開けっぱなしなので、全てではないが話し声が居間に聞こえてくる。

「なんちゃらみだいなとごろさ入るには、
 1000万円もかがるらしい
(たぶん、介護施設のこと)
 おめはまだ73だべ、オレど一回り違うんだがらまだわげべ(若い)
 オレだってよ、膝がいだぐねば曲げれれば、
 も少し動げればこんなどごで娘の世話になんかなってね
 オレはまだ85だ。よその奴らど同じぐらいピンピンして稼げる」



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母は、
身体の自由が利かなくなったことがあたしとの同居の理由と思っているようだ。

まぁ、間違ってはいないが、
本来の理由は認知症により薬や食事の管理ができなくなったことによるものだ。

昨年の9月初め。風邪で高熱。自らタクシーを呼ぶことができず、あたしにどうしたらいいのかと電話。

何を話しても要領が得ないので、ここから地元のタクシーを手配。
点滴を受けて帰ってきたらしいのだが、どうやって帰ってきたかも憶えていないと言っている。

処方された薬の飲み方も理解できず、電話をしてくる。
(母の携帯は『らくらくホン』で、9年前父がが亡くなってから畑作業をひとりでするようになり、何かあっては大変と76歳の時から持たせている)

孫が(あたしの次女)が用意しておいた、お椀の中身が即席みそ汁の具であることも、それがみそ汁であることも作ることもできずに電話。(フリーズドライの具)

次女からの電話。
「祖母ちゃん、ヤバイよ。おかぁ、何とかして」

まだまだ大丈夫だと思っていたのだが、思いの外症状が進んでいたのかもしれない。
母を引き取ることに葛藤したが、たった一人の親だ。そんなことも言っていられない。
ここで一緒にくらそうと電話。

「いがったぁ(良かった)おめがら一緒に暮らそうど言われるの待ってだ」

そして現在に至っている。

若い時分からがむしゃらに人一倍働き、何でもやってきた自負というものがあるのだろう。
弟妹に、のんびり暮らしていると思われるのが心苦しいと言う。

人は必ず老いる。
その時は、できないことを受け入れる心の余裕を持っていたいものだ。

   
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